「妥協」の選択こそ、勇気を持ってするべき。
今日、あなたは、妥協の選択肢をいくつ選びましたか?
食べるもの、観るもの、着るものなど、自分自身の選択をはじめ、家庭や仕事での発言などの、協調性のための選択まで、妥協なしで選んできたでしょうか?
僕は、全てを妥協せずに選択したといえる自信は、全くありません。
テキトーに選んでいるものもあるし、やりたいことを我慢していることも、たくさんあります。
おそらく、妥協した選択肢を選んでいることの方が、圧倒的に多いです。
決して、それが悪いというわけではないのですが、時々、自分にこんなことを問いかけます。
安易に、「妥協」を選びすぎじゃないか?
自分がやりたいことと相手のやりたいことが違った場合、「この人、揉めると面倒だなぁー」と感じる人や、「この人に逆らいたくないなぁー」と思う人に対しては、すぐに妥協してしまうことってありませんか?
もちろん、立場上、強く言えなかったり、従わないといけないこともあるでしょうが、せめて、もう少し自分のやりたいことに寄せた妥協策(折衷案)を考えても良いはずです。
ときどき、僕はそんなことも考えずに、安易に妥協してしまいます。
相手の言うことを聞いて、うまくいくのなら良いのですが、必ずしもそうとは限りません。
人間界に神様はいないし、相手の考えていることなんて、完璧に分かりはしません。
そして、何より大事なのは、自分の履歴が残る場合は、必ず自分の責任になるということです。
少しでも、「自分がやった」と言えるものは、すべて、自分に影響してきます。
進路の選択、仕事の作業、食べるものの選択まで、自分が手を加えたのであれば、それは「自分の選択」です。
よく、親の言う通りにしてきたという人もいますが、それだって、周りの人から見れば、本人が自分で選んだとしか思えません。
それで苦労しても、自分で何とかしなくてはいけないし、常に周りの人が助けてくれるわけではありません。
人と衝突するリスクを恐れた結果、自分が危険にさらされるリスクが高くなることは、よくあることです。
決して、選択肢を勧めてきた人も、その人を苦しめようとして選んでいるわけではありませんが、やはり、その人のことは、その人自身がよく分かっています。
リスクを怖がる人ほど、簡単に「妥協」を選んではいけません。
今の自分が目指すもの、今の自分ができそうなこと、今の自分がやってみたいことなど、正確に自分を捉えて選んでおかないと、恐ろしいことが、次から次へと降りかかります。
やはり、妥協だって、勇気を持って選ぶ必要があるのです。
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