だれも敵視しない人だけが、楽しく生きられる。
ときどき僕は、人の見え方が歪んでしまうことがあります。
すれ違う人に腹が立ったり、呆れたり、嫌になったりして、生き苦しくなってしまいます。
今までは、僕の気分の波が激しいだけかと思っていたのですが、最近は“ある意識”によって、その最悪な気分が変えられることに気がつきました。
その意識とは、他人を敵視しているかどうかです。
こんなことを言うと、「コイツ、性格悪いな~」と思われるかもしれませんが、精神状態が悪いときの僕は、他人を敵視していることが多いです。
というよりも、他人を敵視しているときは、精神状態が一段と悪くなります。
たとえば、大声ではしゃいでいる大学生を見ると、僕は心の中で「浮かれてんじゃねぇよ!」と叫んでいます。
1度でも敵視してしまうと、その見方は、他の人を見るときにも影響してきます。
見知らぬ人だろうが、店員だろうが、友達だろうが、悪いところを探し出して、必ず心の中で文句を言います。
信じられない人もいるかもしれませんが、こんな人もいるんです(笑)。
なぜ、こんなふうに敵視してしまうのか。
それは、自分を肯定したいからです。
僕は、大学に行く前に社会に出たので、19歳~22歳の頃はものすごく働いていました。
その期間に、好き放題遊んでいる大学生を見ていると、「こんな不景気なのに、なに浮かれてんだよ!(働けよ!)」と思ってしまうのです。
しかし、心の奥底では、彼らに怒りなんて持っていないことも分かっています。
自分がやりたいことをしている人を否定して、何もできていない自分を肯定したいだけなのです。
そうやって、見せかけの自己肯定感を得ようとして誰かを否定しはじめると、誰かを否定することに快楽を覚えます。
結果、他人を敵視することが多くなり、より生きづらくなってしまいます。
この世に敵が多いと思ってしまうと、誰とも仲良くなれないし、誰も信じられないし、生きているのが辛くなります。
僕が勝手に敵視している人だって、僕を攻撃しようと思っているわけじゃなく、単純にその人たちの正義を貫いているだけです。
他人を敵視すると、自分だけが楽しくない思いをしてしまうんです。
これまでは、他人を見ないようにしていましたが、社会生活をしていると他人は目に入るので、防ぐことはできません。
だったら、いっそのこと、他人を味方だと思った方がいい。
そう思って、味方意識を持って街を歩いていると、一気に景色が変わって見えました。
はしゃいでいる大学生にも、自分と同じ部分があることに気づくし、これまで気付けなかった味方の存在も、たくさん気付けます。
僕と同じように、図書館で借りた本を読んでいる人がいる。
僕と同じように、人間関係で悩んでいる人がいる。
僕と同じように、現代の息苦しさを嘆いている人がいる。
みんなを味方だと思うだけで、なんでもない一日を穏やかな気分で過ごすことができます。
誰かを敵視している限り、人は楽しく生きられないのです。
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