自分らしいって、わがままで親切だ。
よく、「自分らしく生きる」という風な言葉を聞くたびに、「そもそも、自分らしさって何?」と考えてしまいます。
僕にとっての自分らしい行動がたくさんありすぎて、どれが一番自分のありのままの自分なのか、分からなくなるのです。
気を遣って周りを盛り上げようとする僕も自分らしいし、周りに流されず本音を言う僕も自分らしいです。
使うべき時にお金を惜しみなく使うのも自分らしいし、無駄なことにお金をかけないことも自分らしいです。
このように、自分が相反することを抵抗なくやっているときは、本当の自分がどれかなんて、特定できなくなってしまうのです。
ただ、いろんな本を読んでいく中で「”自分らしい”を貫くと、幸せが訪れる」と書かれていることが多いことから、「自分らしい」というのは幸せに直結するものだとは理解できます。
ほとんどの本で、「自分らしいこと」は苦しいとは書かれていません。
ということは、「“自分らしい”というのは、自分が楽しいこと」という定義ができそうです。
しかし、小学校からの同級生で怠け者の千葉くんに、僕の自分らしさについて話しているときに、こんなことを言われました。
「昔から、“全員助ける”みたいな、意識が高いよね。それ見ると、お前らしいなって感じがする」
僕は小学校の時から、みんなの輪の中に入っていくことが苦手でした。
無理矢理輪の中に入っても、周りから迷惑がられたり、仲間外れにされた経験もあったので、友達と遊ぶことが嫌でした。
そんな僕が心がけるようになったのは、「全員を孤立させないこと」です。
誰かの輪の中に入っていくのではなく、自分が輪を作って、そこに人を呼ぶようにしました。
自分が仕切るときは、誰も孤立させないような人の集め方をして、全員に話を振って、全員がわかるような話題を選び続けました。
その癖が今もあって、常に全員が楽しめるような気遣いをしています。
それを”自分らしい”と言われることは、少し誇らしい気もしますが、実際にこんな気遣いをしている自分に酔っているわけではありません。
ただただ、自分と同じ経験を誰かにしてほしくないだけなのです。
なかには、「話を聞いているのが楽しい」「自分のことは気にしないで」と、僕の気遣いを拒む人もいますが、それでも僕は仲間外れにすることはできません。
絶対にその人にも分かるように喋ろうとしますし、それができなかったら自分を責め続けます。
おそらく、自分らしさというのは、「自分がやってしまう余計なこと」なんです。自分でも止められないことが、自分らしさなんです。
自分らしく生きるというのは、全方位において幸せなことでもなければ、貫くのが難しいことでもありません。
自分最大のわがままで、自分最大の親切なんです。
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