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理想が現実にならない人だけが、面白い文章を書ける。

理想と現実にギャップがあると、もどかしさを感じることがあります。

自分の頭の中では「こうしたい!」「こうした方がいい!」と分かっていても、あと少しの勇気が足りなかったり、あと少しの実力が足りなかったりして、なかなか現実にならないことがあるでしょう。

そうやって、理想と現実が乖離していくほど、「自分はダメだ」「なんで自分はこんなに何もできないのだろうか」と、自分を責めてしまいます。

最悪の場合、そんな自分から目を背けたくて、理想を考えないようにすることもあるでしょう。

僕自身、ずっと理想と現実の乖離に悩まされてきたし、未だにそのギャップを埋められない自分に腹が立つことがあります。

しかしながら、今の僕は、理想と現実の乖離こそが大事だと思っています。

以前、文学の授業を受けていたとき、こんな話を聞きました。

「僕らが文学を読む理由は、うじうじ悩んでいるからだ」

その先生が言うには、理想と現実の乖離を描くことこそが文学が存在する理由で、それに共感できる人が、物語を読みに来ると話していました。

僕はその話を聞いて、ものすごく納得しました。

「こうしたい!」と思っていることがすべて現実になると、その人の中には「内面」が生まれません。

理想と現実のギャップがないので、「心情」を描きようがないのです。

もし、その人を題材に文学を書かないといけない場合、ただ事実を並べるだけになってしまいます。

その人の行動の理由も描けなければ、どんな思いを持っているかも描けない。

これでは面白くないのです。

僕らは心情を読むから、物語に共感したり、学ぶことができたり、感動することができるのです。

理想と現実の乖離がない人には、面白い文章は書けないのです。

だから、理想と現実のギャップはあって良いものだし、文章を書くときは、その苦悩を描けばいい。

その言葉に誰かが感動してくれるし、その言葉で助けられる人は必ずいます。

だから僕は、少し恥ずかしいけど、「小さいことに腹が立った話」や「人見知りで悩んだ話」も書くようにしています。

きっとこれが、誰かの力になると信じて。

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