“自分の印象を守る表現”より、“相手に伝わる表現”を。
僕ら日本人は、相手に敬意を表すための表現をたくさん作ります。
最も典型的な例は、「職業+さん付け」。
僕は、この表現への違和感が拭えません。
なんと今日は、これだけについて書きます。
かなり偏った内容だと分かっていますが、どうしても書きたくなりました。そのため、共感できる方だけお付き合いください(笑)。
僕は基本的に「職業+さん付け」はあまり使わないのですが、他の人が「職業+さん付け」をしていると、僕も使わないと相手に生意気な印象を与えてしまいます。
もちろん、それぐらいで悪印象を持つ方にも問題はあると思いますが、言葉をなんとなく捉えている人は、職業を呼び捨てにしている人に対して、悪印象を持つでしょう。
「職業+さん付け」のルールは、意外にもややこしいです。
全部が全部、『さん付け』をしていいわけではなく、「先生」に『さん付け』するのは間違っているという謎のルールがあります。
小学1年生のとき、大人がよく使っている「職業+さん」を真似して、先生に向かって、「先生さん」「教師さん」「担任さん」と呼んでみたことがありますが、「先生には、さんはつけなくていいのよ」と真剣な顔で先生に説明された覚えもあります。
その当時から僕は、「職業+さん付け」に苦手意識を持つようになりました。
大人になってからは、「職業+さん付け」を使う場面をよく見かけますが、その度に「『さん』さえつけておけば、敬えているだろ?」という横暴な姿勢を感じてしまいます。
ひどい場合は、「○○社さんの社長さん・鈴木さんの息子さんが~」のような、『さん』が散々散乱している悲惨な状況に出くわすことだってあります。
もう、敬意が散らばりすぎて、言葉が伝わりにくくなっています。
そもそも、『さん付け』されたからといって嬉しくは思わないし、『さん付け』されないからといって失礼だとも思いません。
ただ、ここまで「職業+さん付け」が当たり前になったら、話は別です。
きっとこれからは、「職業+さん付け」を強要される時代になり、文章中に『さん』が散らばっていき、表現が伝わりにくくなるでしょう。
言葉はもっと複雑に、もっと丁寧に、もっとまわりくどくなるでしょう。
「それの何が悪いの?」と思っている人もいるかもしれません。
確かに、悪いことではありません。
ただ僕は、心の中でこんなことを思っていまいます。
「職業+さん付け」に労力を使うぐらいなら、もっと他の部分に労力を使えないだろうか。
どうしても「職業+さん付け」は、自分を守るためだけの表現のような気がします。
自分が与える印象を気にする前に、相手への伝わりやすさや、表現の工夫を重視して、コミュニケーションを楽しむことはできないのでしょうか。
そんなことを考えながら、本日も、「職業+さん付け」が流行する現代を生きています。
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