見出し画像

人と喋りたいのに、人と喋るのが面倒くさい。

僕は、「人に興味がない」という感覚が分かりません。

人に興味がないのであれば、友達も恋人も要らなくて、自分本位で一人楽しく生きていくことができるのでしょう。

人に興味がない人達の方がちょっとクールにも見えますが、やはり僕は、人の生き様・考え方を見るのが好きです。

自分じゃ気づけなかったこと、自分が知らなかった幸せ、自分が経験したことのない苦しみを知るだけでも、十分な価値があると思っています。

僕のnoteは、だいたい「人間」にまつわることで作られています。おそらく、人への興味はありすぎると言っても良いでしょう。

ただ、人に興味がありすぎるというのも、あまりにも酷なことです。

僕は人と話すとき、人がどんなものを面白いと感じて、どんな考えを持っているのか、どんな生き方をしているのかということに関心を持ちつつ、この人に苦労をかけてはいけない、迷惑をかけてはいけない、期待してはいけないとも思っています。

人の言葉だけではなく、表情、本音にも関心を向けているため、人と話すことは、すごく疲れてしまいます。

例えば、全然話そうとしない人見知りの人には、「この人が退屈しないようにするにはどうすればいいだろうか」「自分から話さなきゃ…」「何話して良いか分からないんだろうな…」と考え、自分からたくさん喋ってしまいます。

そうして、相手の表情をほぐしていくだけで一仕事を終えた感覚になり、帰るころには疲れがどっとこみ上げてきます。

そういう体験を積み重ねると、矛盾した現象が起きます。

人と喋りたいのに、人と喋るのが面倒くさい。

これが、人の心にまで関心を向けなければ、どれだけ楽だったのでしょう。

人に興味がない人は、「相手がどんな気持ちになるかという問題は、自分の責任ではない」という態度がちゃんとできていて、自分なりにできる話を続けます。

僕も、その人たちに倣おうと、あまり気にしないように試みたこともありますが、やっぱり後悔することだらけです(笑)。

ただ一方的に質問をすると迷惑がられるし、沈黙を続けすぎても距離を縮めるスピードが遅くなるし、結局、核心ついた話ができなかったりして、時間がもったいなく感じます。

そうなると今度は、「人と喋りたくもないし、人と喋るのは面倒くさい」という状態になっていきます(笑)。

やはり、自分の性格はちゃんと受け入れなくちゃいけません。

僕は、「人に気を遣いながら、人を深く知る方法」しかないことを受け入れて、コミュニケーションをする必要があるのかもしれません。

あぁ、人に興味がないって、どんな感覚なんだろう・・・。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!