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不幸は、逃げた分だけ成長していく。

自分が不幸を認定してしまうと、逃げたくなります。

不幸を完全に断ち切れたら良いのですが、不幸と関係を続けていくなら、目に入れるたびに辛くなっていきます。

僕は時々、自分のやっている一部の仕事が嫌いになって、「この仕事をしている自分は、不幸だ」と不幸認定してしまうときがあります。

それらを不幸と認めた瞬間、不幸から逃れようとして、僕はあらゆる言い訳をしはじめます。

不幸な仕事をやる時間が来ても、「今はやる気がないからやらない」「それよりも他の予定が入った」「これをやる意味が分からない」とか言って、不幸な仕事から離れるようになります。

しかしながら、不幸というのは、こうして逃げれば逃げるほど、追いかけてくるものです。

どんなことをしていても、頭の片隅には不幸と向き合わないといけない自分がいて、他のことをやっている自分すらも、不幸に思えてきます。

その不幸は、どんどん大きくなっていきます。

はじめは、たった一部の不幸が、いつしか人生全体が不幸になっている気がして、何をしても楽しくなくなります。

不幸というのは、自分から立ち向かっていかないと、消えていかないのです。

例えば、仕事が不幸だと感じるなら、仕事を辞めてしまえば、十分に立ち向かっていることになるでしょうし、仕事にかける時間を短くしていく工夫をするのも一つの手でしょう。

ただ、その前に、なぜ不幸認定しているのかを考える必要があります。

なぜ、それが嫌と感じるのか、じっくりと考えてみれば、案外違うところに理由があったりします。

僕が不幸だと感じる仕事のほとんどは、「眠れなくなる仕事」です。

なかなか終わりが見えずに、ずっと朝までやらなければならない状況に追い込まれる仕事は、とにかく不幸な気がします。

もちろん、自分が好きでそうしている分には問題ないのですが、やはり、「自分は眠りたいのに、仕事のせいで眠れない」という状態を嫌う傾向にあります。

意外にも、仕事の内容次第じゃなかったりするのです。

それだけで、それらの仕事に取り組むこと自体は不幸ではないと、気づくことができます。

深夜にやらなければ、不幸が一つなくなるということです。

ざっくりと不幸を感じるのではなく、細かいところに目を向けていくと、不幸への対処が見えてきます。

不幸の芽を摘んでおけば、不幸は成長しません。

逆に言えば、不幸を認定して、不幸から目を逸らして、不幸をごまかした分だけ、どんどん大きくなっていき、自分や他人も襲ってきます。

今の不幸は、今のうちに芽を摘んでおきましょう。

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