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非苦労人間から見た苦労人間。

皆さんは、自分が苦労している人間だと思いますか?

どうやら僕は、苦労している人間らしいです。

確かに、高校時代からバイトで学校の費用をまかないつつ、家計も助けながら、上京資金を貯めるために肉体労働をして、現在があります。現在だって、会社員でもないので収入も安定もしていません。

そのことを「苦労している」と周りの人に言われて、自分の家族にも言われて、結構悲しげな顔をされることが多いのです。

昨日も、父親から連絡が来て、「大学に通ったらどうだ?」と提案を受けました。

父親は、大学に出たからこそ、今の職に就けたと思っているみたいで、この不安定な時代に、大学卒業の資格があれば、苦労しないで済むと考えているみたいです。

自分の体験談、他の人のエピソードも交えながら、苦労しないで済んだ人が、どれだけ羨むべき存在なのかを教えてくれました。

「苦労しないことが賢い」「安定することが勝ち組」

こういう考え方を持っている人は、たくさんいます。

ここまではっきり言わなくても、こういう考え方を押しつけているということは、非苦労人間に憧れているということです。

ただ、自分が非苦労人間だと思っている人に考えてほしいことがあります。

苦労していないことに、何の価値があるでしょうか?

あなたが使っている製品やサービスは、誰かの苦労の上に生まれたものでしょうし、苦労していないからといって得しているとも限りません。

そもそも苦労していないように見えている人でも、僕よりも会社の言いなりになって働いていたり、学生時代に勉強を頑張っていたり、ちゃんと苦労しています。

僕とは苦労の仕方が違うだけで、みんな頑張っていることは確かなんです。

それを、「苦労人間」と「非苦労人間」に分けて考えて、「安定しないなんて、有り得ない」「そんな苦労、私にはできない」と言うのであれば、非苦労人間が苦労人間に言える言葉は一つもありません。

人間は、必ずしも平等ではありません。

生まれた地域、家庭環境、運など、それぞれ違いはあるでしょう。

大事なのは、自分の状況に屈せずに生きられたかどうかです。

僕は、自分の状況や恐怖心に屈しなかっただけで、非苦労人間は、自分の状況や恐怖心に屈しただけなんです。

僕は、将来の自分のために肉体労働でもなんでもしましたが、非苦労人間は、肉体労働するぐらいならコネや資格を活かして、会社に自分の人生を委ねただけです。

しかし僕は、非苦労人間に憧れる人を否定するつもりはありません。

収入への怖い気持ちはよくわかるし、臆病なのは僕も一緒です。父親だって、僕を心配してくれているのでしょう。

ただ、自分の状況や恐怖心に屈さずに生きている人に対して、高みの見物でいるのは、思考停止になっている証拠です。

大学に出て学んだことは、「長い物には巻かれろ」ということだけなのでしょうか?

苦労人間の僕は、肉体労働や日々の苦労から学んだことがあります。

苦労って、意外と面白い。

もしかしたら、人から見れば苦労に見えていることも、割と楽しくやれることもあります。時々すごく喜んだり、時々発狂するのも、苦労が楽しい証拠です。

この楽しさを知らないで、変わり映えのしない毎日を送っている方が、僕は大変な苦労だと思います。

だから、苦労人間を見下さないで、見上げないで。苦労との向き合い方を変えてほしい。

非苦労人間になるために苦労する人を、これ以上量産しても、幸せな人が増えるとは限らないんですから。

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