「できない自分」に戻れば、大きく前進できる。
人は成長していけば行くほど、「できる自分」のことを大事にしてしまいます。
そりゃあ、誰かに負けるなんてカッコ悪いし、自分の頑張りが認められないなんて信じたくありません。
悔しさのあまり、自分なりに工夫を凝らして、努力を重ねて、なんとか「できる自分」のままでいようと、必死になっている人が多いでしょう。
僕も、「できる自分」であり続けたいと思って、必死に頑張っています。
しかし、頑張れば頑張るほど、空回りしている気もします。
自分の望む結果が出ないたびに「ヤバい」と思い、どうにかして結果を残すために、いろんなことをしてみますが、なかなか上手くいきません。
時には、自分のこれまでのキャリアを否定して、「もしかしたら、この道は向いていないのかも…」と諦めかけてもいました。
そんなことを、ここ1ヵ月考え続けていたのですが、何も解決の糸口は見つかりませんでした。
昨日は立ち止まって、ここ1ヵ月の行動を、振り返ってみました。
ここ最近、自分のことを考え出すと、自分の至らなさに目がいくようになりました。
自分の至らなさに目を向けては、それぞれどうやって改善していけば良いのかを考えるのが癖になっていました。
その癖に気がついた瞬間、こんな疑問が浮かび上がります。
できない自分を、悪者にしすぎていないか?
もちろん、自分の至らないところを改善できれば、それはそれで素晴らしいことですが、多少至らなくたって、できていることもあるので、いちいちできない自分を責めなくてもいいはずです。
しかし、年齢や勤続年数が絡んでくると、プライドだけが高くなり、「できない自分」でいることを、カッコ悪いと強く思うようになります。
だから、なんとか「できる自分」にすがりたくて、焦って望んでいない道を歩もうとしたり、できない自分を厳しく責めたりするのです。
「できる自分」以外を、認められなくなったのです。
仕事を始めた頃よりは、ずいぶんとできることが増えたのに、できない自分が少しでも見えたら、許せなくなってきました。
できない自分を何度も見るのが怖くて、毎日の仕事から目を背けてしまうこともあります。
でも、それぐらいなら、「できる自分」を一度壊して、「できない自分」からはじめた方が得策です。
振り出しに戻っているようにも見えますが、何の経験もない頃の振り出しとは、スタート地点が全然違います。
前に進めないのなら、助走をつけて進んだ方が、進みやすくなるはずです。
「できない自分」はカッコ悪いことではなく、「できる自分」を通過するためのスタート地点なのです。
少し後ろに下がった方が、進む道全体が見やすくなります。
「できない自分」を認めて、結果を出すより、人に好かれるより、まずは楽しむことから始めたいと思います。
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