見出し画像

諦めることは、決して現実的なことじゃない。

いつ頃からか、「現実的に・・・」という言葉を使う人が増えました。

「現実的に難しいだろ・・・」

「もうちょっと、現実的になってみれば?」

「現実的に考えた方が良いだろ!」

その「現実的」というのは、すべて消極的な意味で使われます。

僕は、学生時代からこの言葉が好きではなく、この言葉を両親や先生や友達が賢そうに使うたび、「現実的って言うけど、現実に起こることすべてを、自分が予測できるとでも思っているのか?」と、疑問に感じていました。

しかも、その言葉のほとんどは、自分の人生や他人の人生に対して使われます。

現実的に無理だと思うから、やりたいことを諦めるという人が多いです。

僕は自分がそんなに賢い自信がないので、他人が夢を追いかけたとしても、「現実的ではない」とは思いません。

もちろん、「手からビームを出したい」とか、「耳からミサイルを発射したい」とか言われれば、現実で見たことがないので想像つきませんが、実際に人間が成し遂げたことがあれば、さすがに「非現実的だ!」と言うことはできません。

無理そうだと思い、やる前から「現実的に無理」というのは、すごく安易な言葉で、実は賢い言葉ではありません。

そんな思考を使うことに慣れてしまうと、苦しい現実を打破する力が育たなくなるだけです。

大人になれば「現実的に無理だ・・・」と思うような出来事は、山ほど出てきます。

仕事だって、簡単なものばかりではなく、「これ以上、どうやったらいいんだ…」と嘆きたくなるようなものも、たくさんあります。

そんな時、「すみません。現実的に無理だと思うので、これはやめましょう」と言えたらいいのですが、その職業のプロなら、現実的に無理だと思うことでも、何とかして乗り越えようともがき、実際に乗り越えてくる人がたくさんいます。

少なくとも、「諦める」という選択肢は許されません。

現実的に無理だと思う前に、自分が諦めたいだけなのか、手からビーム出すぐらい実現不可能なことなのかを、しっかり考えましょう。

もちろん、自分が諦めたいなら、それも悪い選択肢ではありません。

それでも後悔しなかったり、自分の体や精神が守られるなら、悪い判断ではありません。

ただ、忘れないで欲しいのは、「現実的に無理だと思えることを、やってのける人たちがいる」という事実です。

多分これからも、現実的に無理だと思えることは、何度も自分に襲いかかってきます。

それなら、難しそうなことに対して諦めるのが現実的なのではなく、難しそうなことに対して立ち向かっていくのが、現実的なのではないでしょうか。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!