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「面白い」とは、記憶に残ること。

「面白い」の定義を考えた時、人によってさまざまあることは確かですが、全てにおいて共通するのは「記憶に残ること」だと思います。

誰かがつまらないことを言っていれば忘れることができますが、笑えるような面白いことを言っていれば、どこか記憶の中に残っています。

僕は、昔あったエピソードを周りの誰よりも圧倒的に覚えています。

みんなが忘れていることも僕だけが覚えていて、僕は同じエピソードを何度も繰り返すことになることも多いです。僕にとっては、いつまでも面白くて記憶の中に残っているため、当時に蘇ったように話せます。

決して、一言一句覚えてはいなくても、面白いという記憶が残っているからこそ、またその人が関わりたい気持ちが湧いてきて、昔の友達にも会いたくなります。

とはいっても、面白いことも忘れていく瞬間があります。

それは、新しい面白さに上書きされてしまった時です。

年をとっていくごとに記憶力が低下していくことも原因の一つとは思いますが、それと同時に毎日たくさんの面白さに触れることも、面白いことを忘れてしまう要因の一つだと思います。

大人になると、趣味にも制限をかけることなく楽しむことができるので、そっちに脳の容量を使っていて、昔の面白いことを覚えておくためのスペースがだんだんとなくなっていきます。

こう考えると、面白さというのは残酷です。

せっかく自分が相手のために力を尽くして、泣かせるほど笑わせたとしても、簡単に上書きされてしまう可能性があります。

だからこそ、相手をいつまでも笑わせたいなら、何度も何度も笑わせていく必要があります。一度笑わせたからといって、あぐらをかくわけにはいきません。

相手が面白いことに出会わなければ、自分との思い出が面白いことになりますが、世の中は割と面白いことが溢れているため、相手はすぐに面白いことに出会います。その面白いことは、自分との思い出をゆうに越えていきます。

だから僕は、久々に会った時に昔の話をするばかりでなく、相手に面白い記憶を残せるようにしています。

そして、面白さが上書きできることにもチャンスを感じています。

僕と初めて会う人も、僕の記事も初めて読む人も、僕のことを面白いと感じれば記憶に残してくれます。

僕は常日頃、「どうしたら記憶に残るのだろう?」と考えながら、文章を書いています。できる限り短く、できる限りインパクトを強く、できる限り労力をかけていないと、尚更良いです。

まぁ、それを実現することは、すごく難しいんですけどね(笑)。

僕の欠片が、皆さんの心の中に残っているなら、すごく嬉しいです。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!