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モヤモヤは、言葉に換えるべきだ。

昨日、なんだかよく分からないけど、めちゃくちゃ疲れを感じました。

何か自分に負荷をかけたわけではないのですが、どんな作業をするにしても、とても時間がかかってしまうし、集中力は切れまくりでした。

これは、仕事をたくさん抱えていると錯覚したときに起きやすいもので、何をするにも嫌になってしまう脱力感に、1日が襲われ続けてしまいます。

そういう時は、なるべく仕事量を少なくしつつ、普段行っていない場所に足を運んだりして、運動不足を解消しつつ気分転換をします。

しかし、それでもダメなときはよくあります。

なぜ、ストレス解消法を試しても、ストレスがなくならないのだろう?
僕は、疲れの原因を突き止めるために模索し続けました。

模索する中で、気がついたことがありました。

気分転換を繰り返しても、疲れが肥大していく原因は、僕の思考が悪い方向に傾いてしまっているせいなんです。

その思考とは、“全ての物事を、評価と結びつけてしまうこと”

僕は、ただでさえ、自分の評価が気になる人間です。自分が周りにどう思われているのか、自分がどれだけの実績を残せたのか、暇があればそんなことを考えてしまいがちです。

それは、すごく危険な考え方でもあります。

気がつくと、その思考がクセになってしまい、どんなことでも自分の評価と認識してしまいます。

例えば、誰かと遊んでいる時間があったとして、相手を楽しませることができなかったら、「あぁ、俺が話題選び間違えたなぁ…」と思ったり、他の仕事が進められなかったら、「こうしているうちに、時間がまたなくなるなぁ…」と思ったり。

その時間を純粋に楽しめばいいのに、自分のトークスキルを責めたり、自分の時間管理能力を責めたりしてしまいます。

ここまで自分を責めている人間も、そうそういないと思います(笑)。

仕事において、数字を気にしないといけないのはもちろんです。しかし、仕事以外にもそれを持ち込んでしまうと、疲れは肥大していきます。

こういう風に、何かしらの思考がクセになって、何をするにも疲れを感じやすくなることは、よくありがちなことだと思います。

ただ、これはクセになっているので気づきにくいです。

僕が気がついたのも、noteを書くテーマを探していた時です。

今日、一番書きたいテーマを考えていた時に、現在自分を襲っている『疲れ』について書きたいと思い、どうして疲れているのかを必死になって、考えてみました。

そして、“評価の世界”から抜け出していないことだという結論になり、このnoteを更新しています。

原因不明のモヤモヤは、発信することで姿がハッキリと現れます。

疲れた時は、一人でじっくりと考えて、それを言葉にするのが一番だと気がつきました。

モヤモヤする気持ちは、決して疲れだけではないので、たくさん使うことができると思います。場合によっては、誰かに言葉にしてもらうのもいいでしょう。

言葉のチカラって、計り知れないです。

これで安心して、また“評価の世界”に戻ることができそうです(笑)。

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