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2020年コロナの旅9日目/前編:タイからスウェーデンへの旅路

2019/12/25

5時半に起きた。申し訳なく思ったが、デシ―が帰宅していなかったり起きなかったりした場合早めに徒歩で駅で行きたかったので、念のためデシ―の部屋に行く。

デシーはまだ寝ていたが、起きてくれた。それで少し時間があることがわかったので、落ち着いて支度をして、じきに起きてきたオムたちと別れの挨拶を交わしてデシ―の車に乗り込む。

小さい頃から早朝のドライブが好きだった。一日で最も静かな時間。街が、人々が、皆眠りについている。そんな静かな凪のような空気を切り裂いて誰もいない道路を疾駆する快感。タイのBTSの偉大な構造を車窓に眺めながらしばらく放念していると、
「着いたよ。」
デシ―が言う。
「早くに起きてくれてありがとう。どうお礼を言っていいかわからないよ。またきっと戻ってくるから、その時は酒でも奢らしてくんな。」
デシ―と握手して、重いバックパックを背負ってBTSの階段を登る。

BTSはすでに運行を開始している時間ではあったが、やはり人気(ひとけ)はなかった。一人、自分と同じようにバックパックを背負った西洋人がおり、彼も空港に向かっているようだった。券売機でチケットを買う。500円玉程度の大きさの黄色いプラスチックのチップが切符になっている。


BTSに乗ると山手線を思い出す。清潔で、広告の示し方がどことなく似ている。車窓ごしに見える景色にも似たところがなくもない。

そんな雑多な考えがが頭の中で景色とともに流れていく一方で、バンコクでの滞在の終わりを寂しく思う気持ちに浸る。多くの出会いがあった。オム、ポピー、デシ―らのスタッフ、バンコクで働くお兄さんバン、韓国人のミン、スク、ヨン、シンディ、オランダ人のヨゥス、ベルギー人のジェローム、フランス人のウィスマ…少ししか話さなかったうえに名前も覚えていないポーランド人の男、あの、マリッジブルーの男も何かやたらと思い出された。

空港の駅について、表示に従ってターミナルに赴く。空港には巨大なクリスマスツリーがあり、仏教王国タイでもゆるやかに異教の祭りが受け入れられている様が感じられる。そういえば宿のロビーにもクリスマスツリーが置いてあった。

朝から何も食べていない。ターミナルで何か食べることにした。しかし良い店が見当たらない。あることには宮城県のアンテナショップまであったのだが、どれも高価である。

なんで宮城?

関西空港の中の方がまだ手ごろな店を見つけやすいかもしれない。しかしこれから乗る長いフライト中も、金額を抑えることを重視したため機内食などのオプションはつけなかった。ノルウェー航空は国名は冠しているもののLCC(格安航空)なのである。どうしても何か胃に入れておきたかったのでやむなく適当なタイ料理屋に入った。一番価格の安い物を探すと、目玉焼きとソーセージとひき肉の炒め物の、ガパオライスの具だけのようなものがあったのでそれを食べてみることにした。店先で売っていたマンゴーともち米のパックも購入。まずはマンゴーともち米を食べてみるが、マンゴーは絶品であるものの、もち米がなかなか癖があった。

甘味なのか鹹味なのか分からぬ味付けで、九州出身の両親に鍛えられて慣れているべきなのかもしれないが私は昔からこういう味付けが苦手だ。かなり苦しい思いをしながらちびちび食べ進めていると、目玉焼きが来た。

こちらは基本的に塩味で良いのだが、なぜかソーセージが甘い…結局ナンプラーをかけてごまかしながら食べていく。

タイの食事がこれで最後と思うと少し残念だった。これまでタイのご飯は何を食べても文句なしに美味で、申し訳なくなるくらいに安価で、そして早く、接客は素朴ながら人心の豊かさを反映して温かみがあった。思えばタイにおいて嫌な思いをするということがなかった。

ぼーっとメニュー表を見ながら、なんとなくタイ文字について考えが膨らむ。
ここでは文字が読めないのがかなりのネックとなった。思えば文字が読めない国を訪れたのはこれが初めてである。BTSなどはラテンアルファベットも併記されているのでまだ良いが、バスは文字が読めず、発音にも耳が慣れていない状態ではかなり乗り降りが難しいだろう。タイに降り立った時、空港からのバスの車中、スマホを握りしめてGPSで一を確認していたのを思い出す。

そろそろ飛行機に乗り込むがよかろう。お金を払い、礼を言って店を出る。


搭乗の手続きを済ませる。完全に重さも大きさも超過しているであろうバックパックが最後までキャリーオンバッグとして認められたことに安堵した。滑走路の前の飛行機置き場に出ると、比較的新しそうなこぎれいな飛行機は思ったより小ぶりである。搭乗し、通路側の自分の席に着き、かばんを棚に押し込んで呆然としていると、黒のスキニージーンズかヨガパンツに黒の長袖のヒートテックのようなものを来た明るい金髪碧眼の女性がハキハキと
「すみません、私、窓際の席みたいです。」
と声をかけてきた。どうぞどうぞと席を立ち彼女を窓際に座らせる。彼女の表情、しゃべり方、英語のアクセントが、アメリカのテレビドラマのBrooklyn99に出てきたインターポールのスウェーデン人婦警とそっくりで思わずにやけてしまう。きっとスウェーデンに帰るのだろう。俄然興味を惹かれたが、長いフライト中隣の人と話し続けるとなると大変なので我慢してこちらから声はかけないことにした。

なかなか飛行機が発進しないのでどうしたものかと思っていると、機長からアナウンスが入る。何を言ったのか正確には覚えていないが、まるでディズニーランドのストームライダーのように小粋な言い回しで、他の乗客たちもくすくす笑っている。なんとなくいい気分になりつつ、ぼーっと待っていると、ほどなくして機体がガタピシのっそりと動き出した。15時間の空の旅が始まる。

無事に離陸して一安心する。窓側の席に座る瑞典女性が早くも寝る姿勢に入っているのであまり乗り出して見たりはできないが、窓ごしにタイの景色がどんどん小さくなっていくのが見える。温暖なタイを離れ、いよいよ2015年のウィーン留学以来のヨーロッパへ。高揚感を覚える。飛行機で世界中が結ばれ、インターネットで地球上のどこでもほぼリアルタイムで交流できる現在、特に物理的な距離に意味はないのかもしれないが、それでも頭の中の地図で日本から離れていくにつれて、小さい頃自転車で家から遠く離れた湖に行った時のような、冒険の高揚感と不安、そして幽かな望郷の情が胸の奥に煙る。

私は飛行機に乗ったら必ず歩き回ったり運動をすることにしている。と、いわんよりは、昔から椅子にじっとしているのが苦手な性分なので、そうせざるを得ない。エコノミークラス症候群予防に歩き回ったほうがいいという情報が人工に膾炙したおかげで変な目で見られずに済むのはありがたい幸運である。うろうろしていると、添乗員がトイレの前の添乗員席のそばの窓から外をのぞいたり、写真を撮ったりしているのが目に入った。添乗員に添乗員らしさ、のようなものが厳しく求められないのが北欧らしいような気がしたが、自分の席で写真が撮りにくかったので私もここで撮ることにした。

エコノミークラス症候群といえば水をこまめに摂取するのも大事だという。添乗員の詰所に行き、水をくれと言ってみた。LCCの常で水はオプショナルなので、有料であった場合残ったタイバーツを使えばいいという気持ちであった。詰所は、狭いところにスウェーデンの美しい女性が集まってニンフの園と化していた。私と同じくらい背の高い水の精はにこやかにカップに水を注いで渡してくれる。無料で良いのかと危うく口にしかけたが、藪をつつくようなことは止すがよかろう。空調のせいか、かなりのどが渇いていたのでその場で水を飲み干し、水の精にもう1杯くれと頼んだ。水の精は「喉乾いてたんだね。」と微笑み、また水を注いでくれた。私は礼を言ってニンフの園を脱出し、また水を飲み干した。まだ呑み足りなかったが少し恥ずかしい気がしたので自席に戻ってカップを前網にねじ込んで散歩を続けた。例の窓から外を覗いてみると、眼下に視界の許す峻険な山々が続いている。席の前のモニターで確認してみると中央アジアのど真ん中のようだ。しばらく散歩したり席でまどろんだりしていると、窓の外が随分明るいことに気づく。ふと見遣ると、広大な海原が見渡す限り広がっている。そのみなもが日光を反射して明るくなっていたのだ。タイからスウェーデンに行くのに一度海に出るとは、いったいどのような航路をとっているのだろうとモニターで確認すると、なんとそれは世界最大の湖、カスピ海であった。カスピ「海」(Caspian Sea)とはいうが本当に海だったのか。どこまで行っても途切れない湖に感動しつつも、あまりにまぶしいので窓を閉めさせてもらうことにする。瑞典女はすでに布を頭に巻いて寝ているため、勝手に閉めようとおもったが困ったことに窓に日よけのカバーがついていない。そんな馬鹿なと周りを見渡すと、暗くなっている窓も散見される。しかしよく見るとどれも日よけのカバーなどを使っている様子はない。はてな?どうやら物理的ではない方法で窓を暗くできるらしい。よく見ると窓のそばにボタンがあったので押してみた。すると、窓の青さが高まり、光の透過率が少し下がったではないか。もう一度押してみると、濃い水色から群青色へ、さらに押すと紺色へ、そしてついには光を全く通さなくなった。偏光板を組み合わせて角度を調節できるようになっていでもいるのだろうか。なんだか分からないがとにかくスタイリッシュな演出にいたく感銘を受けた。機内は青く、洞窟のようにほの暗い。詰所に行けばニンフたちがいる。まだスウェーデンは遠いが、早くも北欧神話の世界に迷い込んだような気がした(北欧神話ではニンフではなくエルフと呼ばれるべきかもしれないが)。


そんなこんなでもう着くだろうと思って時計を見ると到着まではまだ7時間ほどもある。12時間の長い空の旅。仮眠をとったり散歩、ストレッチ、トイレ、またニンフの園で水をもらうなどしてなんとか時間をつぶす。こんな時のために予めいくつか映画をスマホにダウンロードしておいたのだが、気圧のせいで耳も聞こえづらいし、飛行機の騒音もあって音声が全然聞き取れない。折角の映画、音声が聞こえぬ片手落ちの状態で無駄にしたくないので見ないでバスなどの時のために取っておくことにした。結局、退屈とかなりの苦闘を強いられることにはなったが、ようやく飛行機はストックホルム上空に差し掛かった。

飛行機は徐々に高度を落とし、雲の下に入る。灰色の世界が広がる。スウェーデンは日本と同等の森林率を誇る緑の国だが、島国である日本と比べても圧倒的な数の島を持つ島嶼大国という側面もある。ストックホルムは多島海に築かれた都市で、上空から見ると特にそれがよくわかる。ボスニア湾のすぐ南、バルト海の北西岸に微塵のような島々を散らしたようなのがそれだ。空港のあるアーランダはそのストックホルムの少し北にある。

ノルウェー航空の小ぶりな飛行機が、ストックホルム郊外の森の中の空港に着陸する。午後3時すぎであった。客席からはまばらな拍手が響く。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

次回はコロナの旅9日目の後編、スウェーデンへの到着と、美しきエリザとの出会いについてです。

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