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2020年コロナの旅17日目:セムラと「太っちょの日」

2020/01/02


お松の家で目覚めるのもこれが最後だ。
前日にお松に家を出ていくように言われた後、私は恥ずかしさと罪悪感に苛まれながら速やかに次の宿を見つけた。それはジャマルが教えてくれたBIRKA(ビルカ)というホステルで、ストックホルムの中心地にある。

荷支度を整えて凍てつくスウェーデンの寒風の中に身を曝す。まだ交通ICパスは生きている。いつも通りスリュッセン行きのバスに乗るが、これが最後と思うと感慨深いものがあった。

ビルカに辿り着くと、ラミルトンよりは分かりやすい外見のホテルだったが、玄関の鍵が閉まっていた。

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鍵がかかっていたらブザーを鳴らせと書いてあったのでそうしたが、少し勇気を要した。旅慣れるにつれてそんなことは気にならなくなっていくのだが。


ともかくもブザーを鳴らすと鍵を開けてくれる。中に入ると受付があり、愛想が悪くはないが特に良いわけでもない金髪碧眼の平均的スウェーデン人女性が受付をしている。さっき予約したものだと告げると、部屋に案内された。綺麗な建物ではあるが、客層が少し悪そうだ。12人部屋は体臭や食べ物のにおいが混ざった独特のにおいで、私が案内された上段のベッドの隣では青い髪のロック崩れみたいな男女が体をまさぐりあっていた。


私は疲労からベッドにしばし横になったが、5㎝隣で男女がガサゴソしているのと、部屋の匂いが嫌で外に出ることにした。


外に出たはいいが、何をしようか。グーグルマップを見ると、すぐ裏手に何かしらの観光名所があるらしい。そこに行ってみよう。

スマホ片手にグーグルマップのピンが刺さった場所に行ってみると、そこにはちょっとした斜面があった。

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なるほど、まあ面白い地形ではあるが、観光名所というほどだろうか…よく見ると道の奥の行き止まりと思われたところが、丘の中を行くトンネルとなっているようだ。面白そうなので入ってみよう。

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった。」というのは川端康成による有名な一節だが、ストックホルムにおいては、地下鉄の装飾しかり、抜ける前のトンネル自体に面白みがあるものと見える。そのトンネルは未来的でありながらところどころ巌巌とした岩が露出しており、そこからしみ出した地下水と歩行者用の灯りを頼りに苔が生えていたりと、混沌とした異世界のような有様であった。

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途中には音楽家がバスキング(※路上でパフォーマンスをしてお金をもらうこと)をしていたり、なかなか見ごたえのある観光地であった。グーグルマップが示していたのはこのトンネルだったのだ。

さてトンネルを抜けるとそこは…美しいものの代り映えのしないストックホルムの一角。次は何をしようか。

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ロヴィサのおすすめスポットを地図上で確認してみると、MR.CAKE(ミスター・ケーキ)というカフェが近い。寒空の下観光をできるほどの体力もなさそうだし、温かいところでコーヒーとケーキで一息つこう。


MR.CAKEは、外相からしてVetekattenとは正反対というか、極めて近代的なインダストリアルなデザインであった。

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Vetekattenと同じくらい混雑はしていたが、比較的回転が速そうだったので粘ってみることにした。10分ほどすると、注文を聞かれる。ガラスのショーケースにずらりと並ぶお菓子の中から、ラズベリーのムースのケーキと、semla(セムラ)という、これもロヴィサに勧められたスウェーデンの伝統的なお菓子を選び、エスプレッソを注文した。


程なくしてレジにいたり、支払いを済ませると席に案内される。席が空き次第注文を取っていくスタイルのようで、効率的に思われた。


込み合った店内の一番奥の2人席に通され、混雑時に席を無駄にすることを少し申し訳なく思ったが、隣の4人席にやってきた5人家族がすぐに私のテーブルにあった椅子を一つ持って行ったのでその気苦労の種はすぐになくなった。

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「RED VELVET CROISSANT」と書いてある壁の傍の席だった。この「レッド・ヴェルヴェット・クロワッサン」というのがこの店の看板メニューらしい。サンマルクカフェのチョコクロみたいなもんか。


さて、エスプレッソが冷めないうちに、さっそくお菓子を食べてみよう。
まずはスウェーデン名物のセムラから頂いていく。セムラは本来キリストの復活の前40日間の物忌み期間、「四旬節」の断食のときの食べ物だったらしい。果たしてどのような味わいなのか。


パン生地なのでフォークでは切れない。突き刺して割いてみると、中に入ったアーモンドペーストが露出する。

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パン生地とアーモンドクリームとホイップクリームを全て口に入れると、あまりの甘さに悶絶した。パン生地も甘ければアーモンドクリームはもっと甘く、ホイップクリームもしっかり甘い。
スウェーデンでは毎年2月にはセムラの日があり、Fetisdagen(フェッティスドーゲン「太っちょの日」)と通称されているという。砂糖と脂肪満載のセムラを食べてみんなが肥る日らしい。それも納得の甘さである。


二口目は甘さの向こうに味わいを見出すことに専念する。甘さを一度忘れてみると、パン生地のカルダモンの香りとアーモンドクリームの香ばしいナッツ香には好ましいものがあった。甘さ控えめで作ってほしい。もしくはウィーンのザッハトルテのように、ケーキは甘くてもホイップクリームには甘みをつけないとか。


セムラを半分食べたところですでに食傷気味であったのだが、せっかく名店に来たのだからと思って注文してしまったラズベリームースの方も食べてみなければならない。


こちらは最初、ラズベリーの酸味のおかげでセムラほど甘くは感じなかったが、味わうほどに甘みが押し寄せてきて、おそらく使われている砂糖の量はセムラと遜色ないのではないかと思わされた。甘さを除けば非常にバランスのいいケーキで、もし私がもっと甘さに慣れていて免疫があったら名店と言われるのにも納得いっていただろう。


ラズベリーケーキをなんとか平らげたところで糖尿病への恐怖を感じたので、残ったセムラは持ち帰らせてもらうことにした。


外に出ると空が暗く、より寒くなっている。晩御飯をスーパーで買って帰ろう。

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帰り道の途中で昔働いていた企業のオフィスを発見するなどちょっとした観光をしながら宿に戻る。

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ラミルトンのキッチンには冷蔵庫三台とガスコンロ3口、包丁やまな板、調味料も一通りそろっていたが、ビルカのキッチンにはいつから入っていたのか分からないような食べ物で満タンの冷蔵庫が1台と電子レンジが1台置いてあるきりであった。ナイフやフォークと言ったカトラリーの類は不釣り合いに多く備えてあったが、大方イケアで大量購入でもしたのだろう。無料を謳うコーヒーメーカーが置いてあったが、これは壊れていたので皆レンジで湯を沸かして社を啜っていた。このキッチンでは料理は難しい。


そこで私は晩御飯に冷凍食品を選んだ。美味しそうではなかったが、かといってドイツ人のようにKaltes Essen(カルテスエッセン「冷たい御飯、とくに晩御飯」)は食べたくない。苦渋の決断である。
値段が安かったのも決め手となった。1パッケージおよそ300円ほどだったか。


今宵の晩餐はPannbiff。写真から察するにハンバーグの類であろう。

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早速開けてみると、パッケージに描いてあるのと違わないものが出てくる。付け合わせはマッシュと温野菜と、これがスウェーデン的なのだが、リンゴンベリーの甘酸っぱいソース。レンチンして食べると、まあ食べられないことはない出来であった。すこし少なかったが。

夕飯を食べてから、スウェーデンを出るチケットを購入した。お松の家を出た今、物価が比較的高いスウェーデンに長居することは賢い選択ではないだろう。ライアン航空というヨーロッパでも随一の安さのLCCで、ポーランドはクラクフ行きの飛行機をわずか1200円ほどで購入した。出発は1月7日だ。


今日も体調は芳しくない。早めに寝よう。こもった空気の雑魚寝部屋に戻り、隣で未だにいちゃついている青髪のパンクカップルに背を向けて寝る。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日は2020年1月3日。ストックホルム近郊のドイツ人の盟友フェリックス一押しのカフェに行くも予想外の展開…そしてこの度始まって以来初めての日本人バックパッカーとの出会いがあります。

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