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2020年コロナの旅10日目:ストックホルム節約観光

2019/12/26

ヨーロッパで迎える初めての朝。時差ボケでずいぶん早く目が覚めたが、スウェーデンには24時間営業のセブンイレブンが多数出店している。私の宿泊していた旧市街ガムラスタンにも一つある。私は朝ごはんを調達すべくそのセブンイレブンに行くことにした。宿の中は非常に温かいが、1歩外に出ると凍えるような寒さである。また、朝の8時ごろになっても夜明けの薄明りばかりで日が姿を現さない。タイとの緯度の差を感じた瞬間であった。ガムラスタンは、その可愛らしい石畳によっても名高い街だ。不規則な石畳は、夜明け前の青白い空気の中で灰色の氷のようにに鈍く輝いている。

ガムラスタンは色とりどりの家が多いが、それでも太刀打ちできないほど、ストックホルムの天気はどこまでもグレーであった。しかし寒さ、清潔さ、人々の服装の洗練、そして天気の悪さは、私にヨーロッパにいる実感を与えてくれた。土産物の通りのショーウインドウに並ぶオーナメントや、街灯の飾りつけにクリスマス情緒が残っていて嬉しい。

セブンイレブンに着き、店内を物色する。やはり全てが目が飛び出るほど高い。


いや、全てではない。たとえばバターなどは日本よりも格段に安かった。しかしバターだけあったところでどうにもならぬ…結局レジ前で安売りになっていたパンをいくつか買って店を出た。バンコクのレディーボーイフライドチキンが恋しい。

年末のストックホルムの街にも、辛うじて日は昇る。街が明るくなり、カラフルな家たちが先ほどよりは生き生きとし出す。さすがに美しい街並みだ。


散歩を続けると、王宮に辿り着いた。ちょうど衛兵の交代の時間だったらしい。勇ましい声を上げて、衛兵たちが行き交う。皆そろいもそろって美丈夫である。


ガムラスタンがある島の北端の対岸に、スウェーデンの国立博物館がある。前日にネットで調べたところ、スウェーデンには複数の無料の博物館や美術館があるようだ。中でも、この国立博物館は国内最大規模の博物館であり、2008年だかの改修後より無料化されたという。

貧乏旅行者の私にはもってこいの観光地ではないか。水路にかけられた橋を渡り、対岸へ。


ストックホルムの国立博物館は上野の国立博物館などと比べると小ぶりではあったが、建物からして重厚で威厳があった。

シンプルで端正な外観と比べて、館内は温かみのある装飾がふんだんに施してある。近代感的なデザインも取り入れられており、とても好ましい建築である。

まずはヨーロッパの常で、冬でも嫌というほど温かい屋内に入ったら上着を脱ぎ棄てる。クロークは地下だという。


クロークはこれまた素敵な空間に仕上げられていた。レンガで装飾されていてまるでワインセラーのよう。

トイレもたくさんあり、またどれも清潔であった。ロッカーに荷物を詰め込み、展示を見に行く。

もちろん無料の鍵付きロッカー


誰もが知るような有名な品々がずらりと並んでいるわけではないが、素直に美しいと思わされる芸術品が多い。また、スウェーデンの地元の工芸品などには目を見張るようなものもあり、作ってみたいと思わされるようなおしゃれで実用的なデザインの折りたたみ椅子などもあった。

また、白亜の彫刻がならんだ中庭のような空間にはいくつかベンチが置いてあり、大して混雑してもいないので良い休憩場所になる。


展示物でない調度品や床の細工なども美しく、ついつい長居した。

外に出ると、午後4時半だというのにもうしっかり日が暮れている。
暑い室内から外に出て、しばしひんやりとした外気を楽しむ。ちらほらと雪も舞い始めた。散歩を続けて寒気がしてきたころにスーパーに行って夕飯を買うことにした。


スーパーは、もちろんタイの市場ほどは安くないが、それでもコンビニと比べたら半額程度であった。特に、Lidlというおそらくはドイツ発祥のチェーン店はとても安い。確かオーストリアの激安スーパーHofferと同系列だと聞いた。


スーパーでスパゲッティとトマトソース、モッツァレラチーズ(なぜかゲルマン圏で激安)、そしてIKEAで昔食べておいしかったKoettbullerこと肉団子を購入。家路につく。


ラミルトンのキッチンで早速料理をする。といってもパスタをゆでて、チーズと肉団子にソースをかけてレンチンするだけだ。

簡単だがこれがとてもうまい。その場にいた人たちにも分け与えてしばし談笑する。


ラミルトンの人たちはとても多様であった。ストックホルムでは地価の高さもさることながら、住宅の不足が続いている。しかしスウェーデンは大量の移民を受け入れており、首都であるストックホルムは移民たちでごった返している。ではその移民たちがどこで生活しているのかというと、このような安価なホステルなのである。よって、ラミルトンには私のような観光客だけでなく、ソマリア、スーダン、エリトリアなどのアフリカ系の移民たちも多くいた。ここで出会った面々について少しだけ話したい。

まず紹介したいのがソマリア人のジャマル。私が初めて出会ったソマリア人だが、とにかく陽気で人間臭くて良い奴だった。おそらく最初にラミルトンで話した相手だったと思う。「スウェーデンは税金さえ納めてるやつには優しいからいい国さ。」と言っていたのが印象的。また、スーダン人のイブラヒムは非常に理知的で、常に沈着だが同時に冗談を言うのも好きな男だった。彼とは日本の文化やスーダンの紛争についても色々と話したものだった。同室の面々はハイチ人のメイヤー、クルド人のロダ、エリトリア人のアマヌエル。メイヤーはフランス語とスペイン語しか話さないので私はなけなしのフランス語とスペイン語で会話しようとしたがなかなか難しかった。若きアーティストで、端正な顔立ちをしていた。ロダはワルシャワに留学していて、いつでも訪ねて来いと言ってくれた。クルド人というとトルコなどにおける紛争のイメージがあるが、彼は極めて平和的で友好的な人間であった。アマヌエルはエストニアのタリンに移住したらしく、サンクトペテルブルクに行くことを勧めてくれた。エリトリアはエチオピアと争いの絶えない地域で、1991年に独立したばかりのまだ若い国家である。インドネシアのデヴィとデディはブダペストの大学に留学しており、今は旅行中なのだと言った。リヨンから来たというフランス人のダニは英語は話せなかったが、ドイツ語が話せたので会話ができた。面白いことに、街の人には英語で話しかけられてばかりだったウィーン時代よりも、ヨーロッパの旅で東欧やフランスの、特に年配の方と話すときの方がドイツ語能力が役に立った。

食後、以前からSNSでやり取りしていた現地人女性(仮に「お松」と呼ぼう)と電話をした。旅の身の上であることを伝えたところ、家に泊まってもいいと申し出てくれていたのだ。スウェーデンは宿代がばかにならない。先の長い旅、人の善意には感謝して甘えていく必要がある。とはいえ、このなりふり構わない渡世の仕方が、およそ3週間後に悲劇を招くことになるのだが、とりあえずこの時点では私は未来で何が起こるかなど知る由もなく自由を謳歌していた。


明日の待ち合わせを約束して、宿に戻る。ジャマルに電話の内容を話すと、彼は非常に興奮して、
「コウスケ!お前は本当の兄弟だ!いいや、俺は分かってたよ。一目見た時からこいつには人を引き付ける魅力があるってちゃんとわかってた。全く大した奴だぜお前は!」
と言い、続けて彼自身の華麗なる恋愛遍歴の話を始めた。実際、ジャマルは彼が私のことを評して言った資質をそっくりそのまま持った男だった。私も彼を初めて見た時からそのカリスマには惹かれていたのだ。


もう会わないかもしれないからと、ジャマルと別れの抱擁を交わしてベッドに向かう。明日からはお松の家に泊めてもらう手はずになっている。人々との交流というホステルの良さに一抹の別れがたさを覚えつつも、期待が高まる。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日からはお松の家にお世話になります。ストックホルムの地元の方々の暮らしぶりを記述します。

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