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2020年コロナの旅9日目/後編:運命の地、スウェーデン

2019/12/25

熱帯バンコクから12時間のフライトを経てスウェーデンのアーランダ空港に到着する。機体から一歩出ると、その寒さに身が引き締まる。やはり私は寒いのが好きだ。空港の標識にはドイツ語の従妹のようなスウェーデン語と英語の表示が並んでいる。

色遣いやミニマルなデザイン、温もりある木材の使用に「北欧らしさ」が漂う。空港内にはスウェーデン経済を担うボルボのモデルカーの展示や、エリクソンの広告などが並び、先進国の雰囲気についつい安堵してしまう。

「ストックホルムへようこそ。モバイルコミュニケーションはここで生まれました。」


長身の黒髪の女性の入国管理官に、帰りのチケットを持っていないことを見とがめられ、多少厳しく問い詰められるも、2週間ほどで出国するつもりだと告げ、宿泊先を伝えて事なきを得た。ラミルトンという宿泊先だと伝えると、
「ハミルトンホテルの間違いではないのか。」
と問われる。自分は
「そうだったらいいんだけど、ブッキングドットコムのページを見るとどうも”ラ”ミルトンらしい。」
とスマホの画面を見せた。管理官は青い目をピクリとも動かさず、口をわずかにへの字に曲げると申し訳程度に肩をすくめ、
「オーケー。次!」
と私を通した。預けの荷物もないため、そのままカルーセルの脇を通り抜けて空港のにぎやかな広場に出た。


実はタイにいたときからSNSで人と会う約束をしていたため、至急インターネット接続が欲しかった私は、インフォメーションセンターに走る。
「すみません。SIMカードはどこで買えますか?」
「SIMカードなら、そこのセブンイレブンか、&%$#?で買えますよ。」
「え、セブンイレブンかどこって?」
「&%$#?です。そこの角に見える黄色い看板の店です。」
非常に流暢な英語の中に忍ばされたスウェーデン語の単語には今後も苦戦することになるが、これが私にとってスウェーデンで聞いた最初のスウェーデン語(?)であった。「プレスビロン(Pressbyrån)」というその黄色い看板の売店は、京阪になぞらえて言えばスウェーデンにおけるアンスリー、JRになぞらえればNew daysと言ったところか。国鉄のコンビニである。
しかし当初は何と言っていたのかも分からなかったため、勝手知ったるセブンイレブンが良かろうと思いそちらに行ってみた。

明るいブロンドの女性店員に流暢な英語で、
「SIMカードは売ってないよ、あっちの&%$#?に行ってみたら。」
と言われる。仕方がないので何の店なのかもわからないままその黄色い看板の店に行くと、茶色い肌の髪のカールした男性に、これも流暢な英語でどのプランが良いか聞かれた。それぞれの長所と短所がいまいちわからなかったので、長くて2週間くらいの滞在だからいいのを見繕ってくれというと、150クローナだかのものを渡された。おおよそ1600円というところか。何か注意事項などをまた早口で言われたが、あまり理解はできなかった。まあ後で説明を読めばよかろう。


長い髪の毛に引っかからないように重いカバンを床に置き、空港内のベンチに腰かける。カバンに常に忍ばせてあるSIMピンでさっさとSIMカードを入れ替える。

空港や国際バス停でSIMカードを入れ替える時、私は旅人らしさに一人ほくそ笑むことがある。しかし、eSIMが主流化していくにつれてこの楽しみはなくなっていくだろう。まあ、SIMカードの交換などという、これはこれで現代的な作業に古典的旅のロマンのようなものを見いだせる私ならば、eSIMの切り替えのバイブレーションにだって、脳内に埋め込まれたチップの自動書き換えにともなって感じられるわずかな苦味にだって旅のロマンを見出すことだろう。人間の環境適応力は恐ろしきもの。


SIMカードを入れ替えてスマホをリブートすると電波を受信しているようだった。とほぼ同時に、過去15時間近くの移動の間に貯まったと思われる大量の通知が来た。なかなか悪くないスピードではないか。グーグルマップを使ってみると、速い。これならスウェーデン滞在中難なく暮らせそうである。さっそく、アーランダ空港からストックホルムへの行き方を調べてみる。どうやら空港内の至る所で売り出されている空港からストックホルム中央駅まで直通の高速鉄道は高いばかりで、急いでなければバスか、Pendel Tågと呼ばれる通勤電車のようなのを使うとよいらしい。

アーランダ空港から出て歩いて鉄道のアーランダ駅まで行ったところで、自動券売機を英語に切り替えて中央駅までのチケットを検索する。するとネットで出てきた価格より少し高い。不思議に思ってずんぐりむっくりした男性の駅員に聞いてみると、さらにもう少し高い金額を言う。妙なのでもう一度自動券売機に戻ってみてみたが、どうも不安なので結局駅員から直接買うことにした。160クローナほどであったか。1800円といったところだ。


駅員の脇を通って地下のプラットフォームに降りる。随分長く深いエスカレーターは無機質で清潔であり、天井に規則的に並ぶ円形の照明もあいまって近未来的であり、ちょっとディストピア的でもあった。

プラットフォームに出ると、度肝を抜かれた。それまでの純人工的な建築と異なり、全く自然の巨大な洞窟という雰囲気だったのである。直径10メートルくらいの巨大な洞窟に駅をつくり、線路を敷いたという風情。

壁面はおそらくコンクリートで固めてはあるのだろうが、岩が露出しているところもあったし、しみ出した地下水に苔むしているところもあった。異世界に迷い込んだようで興奮したが、直に電車が来る。電車はごく普通の都会的なもので、日本でいえば京阪電車のSaloon3000の色調をより無機質にしたようなものであった。乗り込んで、暗い窓に映りこむ自分の姿を見る。タイにいた時は大体いつもいわゆるタイパンツにTシャツとマジックテープのサンダルだったが、ヨーロッパの気候に合わせて服装を変えていた。

足元は厚手の靴下にマウンテンブーツ、ズボンはユニクロのヒートテックのジョガーパンツ、そして上半身は京都でフェリックスとフォンアンと購入したヒートテックの長袖の上にGUで買った細めの畔のある白いニット、これまたユニクロの黒の襟なしライトダウンジャケットの上に暗い紺の重厚なダブルロングコートを羽織り、祖母にもらった黒と茶、ベージュのチェッカー模様のカシミヤマフラーを首からかける。上半身は非常に都会的で、下半身は登山家じみたややちぐはぐな格好であった。それが背の高いアジア人で、しかも長髪の男なのでよほど妙に思われるのではないかと思ったが結論から言えばスウェーデンの教育の行き届いた紳士淑女たちは基本的にそんなことなど気にも止めなかったようであった。

30分すこし電車に揺られて中央駅に着く。中央駅のプラットフォームはアーランダ駅のそれと比べてかなり装飾的であった。やはり野趣あふれる洞窟の趣はありながら、美しいタイル絵などが一部の壁面に施されている。総じてごく近代的もしくは未来的で、清潔な駅である。後で知ったことだが、ストックホルムのメトロ(T-bana)の駅はそれぞれ異なる美術監督がついており、ちょっとした美術館のようになっているらしい。

駅舎から出ると、正面に煌びやかな電飾の施された巨大なクリスマスリースのようなものが置いてあった。

今日はクリスマスの夕べ。祝いの本番はクリスマスイブであり、前日の夕方だったわけであるが、まだクリスマスの装飾や賑わいが完全になくなったわけではないようだった。先述の「ラ」ミルトンという宿はGamla stan(ガムラスタン「旧市街」)と呼ばれる地区にあり、それはストックホルムに数多存在する島のうちの一つに存在する。中央駅からは歩いて15分ほどのようなので、歩くことにした。

まだ17時頃だったと思うが、クリスマスのストックホルムの日没は15時前である。街灯も多くないので真夜中のように真っ暗だ。重い荷物を背負ってトコトコ歩みを進める。

しばらく歩くと橋に差し掛かり、ガムラスタンが島の上に築かれていることが感じられる。このあたりの横断歩道は入り組んでおり、自転車用レーンに慣れないこともあって一度すさまじいスピードのロードバイクに惹き殺されそうになったが軽く罵声を浴びせられるだけで済んだ。橋のうえから夜のガムラスタンの明かりを見ると、その建築様式と抑えめの橙色の照明とあいまって中世の都市に入っていくような感覚がある。足元の、海につながる水路をみると非常に水流が速い。その上をカモメたちが低く飛び回っている。寒さと疲労のため橋の上に長居するのは得策とは思えず、スタコラ歩みを進め島に降り立つ。

足下にはかわいらしい小ぶりの石畳に欧州らしさを踏みしめる。仄かな街灯に照らされた街は何となく小さい頃読んだシャーロックホームズものに出てくるロンドンともオーバーラップした。ラミルトンを探す途中で、クリスマスマーケットをやっていたらしき広場を通った。赤く塗られた板で出来た簡単な屋台は全て閉まっており、片付けられるのを待っているようだった。


しばらく彷徨したのちに件のラミルトンを発見した。この後もヨーロッパのホステルの見つけづらさには苦しむことになったが、この宿も大変うまく隠されていた。バザーをならすと、ドアの鍵が自動でガチャという音とともに開いた。戸を押し開けると地下へと続く階段が伸びている。漆喰と思われる白い塗料で塗り固められた天井の低い洞窟のような狭い階段を降りると、左手に受付があった。小太りの眼鏡をかけた中年男性がやたらとディスプレイの多いデスクトップと向かい合って受付をしていた。パスポートを要求され、名前を名乗る。シーツを借りるには追加料金と言われ一瞬たじろいだが、自前のシーツなど当然持っていないので200円程度支払って借りることにする。案内されたドミトリー部屋にはその時誰もいなかった。初めての宿はいつも少し緊張するし、それが妥当だと思っている。どのような人たちが泊まっているか分からないため盗人がいるかもしれない上、まだ設備にも慣れていないので思わぬ隙を突かれるかもしれない。故にいつも着いたばかりの宿では入念にロッカーや貴重品入れの確認をする。特にヨーロッパにおいてはそれが必要と思わされることがこの後も何度かあった。宿を転々とすることは既にわかっているので、本格的な荷ほどきはしない。頻繁に使うが盗まれてもいいものだけベッドの上に出しておく。2段ベッドが3つ置かれた6人部屋の、二段目のベッドの一つが2日間だけ私の領土となった。

長旅で少し疲れたので横になり、先述の女性にインスタグラムで連絡を取る。18時半に彼女が指定したガムラスタンの本屋の前で待ち合わせということになったが、時計を見るとまだ30分ほど時間がある。とりあえず宿の中を探検してみよう。

まず部屋の中は、入り口の階段同様、洞窟のような壁面が漆喰様のもので固められている。部屋の中央からぶら下がるランプにはIKEAでもおなじみの切り紙細工のかわいらしいランプシェードがかかっており、白い壁と床に複雑な影を落とす。

重いドアを押し開けるとそこは幅の狭い通路になっており、壁は暗い赤で塗りつぶされている。客室のある階はすでに地下1階だが、さらに半階下がるような形で共用トイレ兼シャワールームが男女一つずつ設けられている。このバスルームが曲者であった、というか、文字通り天井がへの字に湾曲していた。壁際に設けられた大便器の所など屈まなければ入れないほど天井が低く、私より背の高い人はどれほどの苦労があるか分からんと思った。向かい側の小便器がある方はまだ少し高さがあり、立って用を足すことができる。3つ目の辺にはシャワーヘッドが3つついており、それぞれ板で簡単に仕切られている。トイレの利用者からの目隠しはひざ丈のカーテンだけである。見た目には珍しいのでこの時はまだ面白がっていたが、実用するに至ってその不便さが痛感され始めることとなる。一度バスルームを出て、キッチン等があるコモンスペースに行ってみる。コモンスペースには、ドレッドヘアーにレゲエ配色のニット帽をかぶった暗色の黒人男性が座っていた。挨拶をすると、彼はジャマルと名乗った。ソマリア出身で、一時的にこのホステルに住んでいるという。チェックインしたばかりだが。もうすぐ女の子に会いに行くところであると言うと、たいへん感心して、
「部屋に入ってきたときからやり手の男だと思ってたよ…やっぱりな。誇りに思うぜ。」
などとつぶやいていた。

キッチンは非常に清潔で、また冷蔵庫も3台あったのが素晴らしかった。この部屋は大きなかまくらのような形になっており、真ん中にガラス板の仕切りがあってダイニングキッチンとくつろぎの空間に分けられていた。ジャマルに聞くところによれば、この建物は昔ワインか何かの貯蔵庫に使われていたのをホステルに改築したのだという。なるほど、やたら狭い通路や洞窟のような佇まいもそれで説明がつく。バスルームに見られるような問題点もないではないが、照明や装飾を含めてなかなか優れた改修に思われた。


時間が迫ってきたのでジャマルに挨拶をし、受付のおっさんにもおやすみの挨拶をしてガムラスタンの寒風の中に再び踏み出す。


ガムラスタンは歴史的価値が認められて保護地区となっていたはずだが、普通にセブンイレブンが点在しているのが面白い。古い街並みをトータルとして保存するにあたり、中身はそれほど重要だろうかと考えさせられる。ヨーロッパにはリノベーションされた古い建物がたくさんある。


踏まれ続けて表面が磨かれた石畳は、点在する橙色の街灯に照らされて濡れたように輝く。あるいは氷点にせまる寒気で実際に湿っていたのかもしれない。深夜のような深い暗さではあるが、雲は一つもないようである。寒い夜に空に雲がないと掛け布団なしで寝ているような妙な寒々しさを感じる。息を白く吐きながら橙色の石の街を闊歩していく。大きな島でもないので、グーグルマップに従ううちに予想よりも早く本屋についた。ほどなくして待ち合わせをしていた女性も現れた。仮にエリザと呼んでおこう。重厚な黒のベンチコートのような物を着ており、下はアディダスのトラックパンツを穿いていた。その長身は黒でおおわれていたが、そこから小さく突き出した頭には短い金髪が波打ち、目じりの切れあがった大きい目は優し気で、その瞳は暗い夜道でも鮮やかな群青色を湛えている。美しい女性であった。軽くハグを交わし、散歩を始める。
「こんな格好でごめんね。寒すぎて服えらぶ余地がない…」
などと言っていたが、何を着ていてもこの人は綺麗だろう。ガムラスタンのVästerlånggatan(ヴェステルロングガタン)という、土産物屋が多く並ぶ細い道を通り、クリスマスの飾りつけなどを一緒に見て歩く。そういえばクリスマスの夜に家族から引き離してしまってよかったのだろうかと思い尋ねると、宗教にあまり興味がなく、また家族と過ごす時間は最近たくさんあったので良いのだという。彼女にどこに行きたいか聞かれ、この街で君の好きなところに連れて行ってほしいと伝えると、分かったと言ってSlussen(スリュッセン)という再開発中の地域の方に歩き始めた。美しく、気さくで、知的ながら謙虚な彼女に私は惹かれていて、どこへ行くかについてはそこまで気にしていなかったのが。


しばらく同じ小道を北上していくと、途中にごく狭い横道があった。古めかしいガス灯に暖かく照らされたその道はレンガと石畳、暗い空に四方を囲まれて中世的なのであるが、壁面がびっしりとグラフィティでおおわれていたのが印象的であった。絵になるので多くの人がここで写真を撮るという。たしかに観光客がぽつぽつと中に入って写真を撮っている。


私はしかし初めてのデートと言うこともあり、恥ずかしさと、いかにもな観光客と思われたくない見栄めいた感情からその小径には後日戻ってくることにした。我々はなおも同じ道を北上、すると開けた広場に出て、ストックホルム宮殿に突き当たった。
「私ここ入ったことないんだよね。ずっとこの辺に住んでるのに。」

「地元だと逆に観光地行かない現象あるよね。」
王宮は、入ろうと思えば無料で入れるはずだとリサは言った。あれやこれや会話をしていると彼女の携帯に電話がかかってきた。
「お母さんだ。出てもいい?」
「どうぞ出られませい。」


ここで私は初めてスウェーデン語での会話を耳にすることになった。抑揚の豊かな美しい言語だと思った。電話を終えた彼女に、私はそう伝えた。彼女はそれは良かったというが、浮かない顔をしている。
「電話、何の話だったの。」
「えーっと、私たち犬を飼ってるんだけどね、その犬が病気で入院してて、今夜が山らしいんだ…それでお母さん心細くて一緒にいてほしいらしくて。」
「それはお気の毒に…ていうか俺のところに来て大丈夫だったの?そういうことならもう帰る?」
「いや、まあ私は大丈夫っていうか…もちろん悲しいんだけどまあ犬だし…とか言ったらまずいか。えっと、うちの犬が具合悪いのって今に始まったことじゃなくて、分かってたことだから今更そこまでショックではないって感じかな…私たちが会うのは前から約束してたことだし!」


私は密かに、飼い犬の看病を押してまで私に会いに来てくれたことに感動を覚えつつも、犬もお母さんも気の毒なので早めに帰るように伝えた。彼女は申し訳なさそうに了承した。


Slussen方面へ行くには私がストックホルム中央駅から南下して来た道を戻ることになる。先ほど通った暗い海の水路の上にかかった橋の上でしばし来し方、ガムラスタンの街の灯を見遣る。先ほどと違って重い荷物もないし、頼もしい地元の案内人がいるのでゆったりとした心で鑑賞することができた。相変わらず低空飛行を続けているカモメを二人眺めていると、エリザは彼らが円を描いて同じところを何周もしていることを指摘した。言われてみれば確かに彼らは堂々巡りをしている。いったいどのような意味があるのだろうか。

我々は北岸へと歩みを進めることとした。橋を渡り終えると、ガムラスタンの北側にある島のNorrmalm(ノルマルム「北区」)と呼ばれる地域になる。そこにはKungträdgården(クングストレドガーデン「王立公園」)という中規模の公園があり、その中ほどにはアイススケートリンクが設けられていた。

エリザにアイススケートができるか聞かれ、小さい頃一度滑ったことがあるきりだと答える。彼女は自分も自信はないが小さい頃はここや他のリンクで滑ったものだという。この公園の北東角にMAXというスウェーデン最大のハンバーガーチェーンの店舗があり、我々は一度そこに入ることにした。そういえばしばらく食事をとっていない。


ヨーロッパのファストフード店では一般的な形だが、店内または店外にあるタッチパネルの注文台で注文と支払いを済ませてカウンターに取りに行く。ベジタリアン向けのオプションの多さに衝撃を受けたが、私はこの時は普通のハンバーガーを頼んだ。エリザはコーヒーを頼み、外に座る。風で髪が吹かれて頗る食べづらかったが、味は大変よかった。髪を伸ばしかけの時期だったので、食事をするときに髪を結ぶべきということもこの時初めて学んだ。
食事を済ませてごみを捨て店を発つと、エリザはこのあたりに思い出の場所があるが行きたいかと尋ねた。
「ぜひ行ってみたい。どんなところ?」
「カタリーナヒッセンっていうんだけど、ヒッセンていうのはエレベーターのことで、なんか見晴らしのいいところにつながってるんだよね。多分エレベーターはもう稼働してないんだけど、歩いて登れるはず!」


エリザ自身最近は行っておらず、道を思い出せるか怪しいと言った。スリュッセン駅の辺りは大規模な再開発を行っており、かなり道の構造が改変されているようだった。
駅舎を通り抜け、しばらく歩くと黒い岩の崖に突き当たった。その岸壁の表面には階段が設けられており、踊り場に点在するガス灯に照らされていた。
「あ、あったあった。ここだ!」
彼女は見覚えのあるところまで辿り着けて安堵したようだった。ガス灯の橙色の光と濃紺の闇を交互にくぐりながら少しずつ階段を登っていく。崖の上まで到達して振り返ると、既に町の灯は眼下のものとなっている。崖からまるで海に突き出す桟橋のように空中に突き出す構造物があり、それがカタリーナヒッセンの屋上へと至る道であった。両側は金網になっていて、街が見下ろせるようになっている。なるほど美しい。若者のたまり場にはもってこいだろう。ひとけなく、また街の灯のはるか上で暗く佇む道の両脇には子供の背丈ほどのモミの木がぽつぽつと置いてあった。クリスマスの演出だったのだろうか。30メートルほど進むとエレベーターの乗り口に突き当たる。やはり動いてはいなかったが、とりあえず目的地に着いたわけである。写真を何枚かとっていると、エリザが景色について語ってくれた。
「今スリュッセンは工事中だね…昔は綺麗なところだったけど、今は工事の機械とかコンテナが並んで…まあこれはこれで面白いと思うけど。」
「そうだね。面白い。何となくきれいでさえある。」
「私もそう思う!あ、それとあそこにの山の方に見えるコカ・コーラと歯ブラシの看板分かる?あれストックホルムで一番古いネオン広告なんだって。」
「どれくらい古いのかな。」
「分からない。でも昔から有名らしいよ。」
丘の斜面にあるビルの屋上に設置された看板群の中で、オーソドックスなコカ・コーラの看板と、チューブから歯ブラシの上に歯磨き粉が押し出される様がネオンによって巧みに表現された看板が並び立っている。


しばらくネオンと工事の明かりと中近世の面影を残すストックホルムの街並みを斜め上から二人で見下ろす。

風が強く、エリサは重そうなコートのフードをかぶっている。フードの先からはみ出したカーリーな金髪の前髪が風に吹かれて明るく靡く。しかし見とれていられたのも束の間で、すぐに吹きすさぶ風の寒さに耐えられなくなった。
「少し寒いね。」
「そうね。バーでも行く?」
我々は適当に歩いてバーを探すことにした。エリザに友達を呼んでいいか聞かれる。毎年クリスマスにはその友達と会うのが恒例となっているとのことだった。私は本意に思いを巡らせつつも、快く承諾した。そもそも大事な夜に会ってもらったことに罪悪感を覚え始めていたので、拒否をできるはずもなかった。エリザが何度か来たことがあるという、よさそうなバーに入り、地階に案内される。彼女は地階に入るのは初めてだと楽しそうにする。しばらく二人で酒を飲んでいると、彼女の友人が入ってきた。メムーナというその女性は縮れた黒髪を大きく蓄えて頭頂部に結っていた。ナイジェリア人を父に持つとのことだった。メムーナもエリザも理知的で、美しく、楽しい人々であった。レンガのむき出しになったほの暗いバーの雰囲気も良かったし、適当に頼んだビールもそれなりに旨かった。我々は人種差別や移民問題について話した。皆持論を開陳する。エリザは心優しい人なのだろうと思った。気を遣って言いたいことを人を不快にしない言い方にするために迂回しているうちに思考の迷宮に囚われているような節がある。私にもそういうところがある。

メムーナの話も大変興味深かった。彼女は、特に父親に何か言われるわけではないが、何となくナイジェリア人の男と交際すべきだというようなプレッシャーを感じるというのだ。私はそのような考えに触れたことがなかったので非常に面白く感じた。自らのルーツと認める国を離れても、自らの子女に同じルーツを持つものと結ばれてほしいと思うものなのだろうか。いやそもそもお父上はスウェーデン人の女性と結婚しているではないか。メムーナにその疑問を投げかけると、
「そうなの、だから、お父さんは私がナイジェリア人じゃない人と付き合おうが何も言わないし、言えないし、言われたら私も黙ってないだろうけど…なんとなくお父さんは私がナイジェリアの男と付き合ったら嬉しいんだろうなって感じがするんだよね。」
との答えが返ってきた。全く世界は広く、面白いものだ。人の考えは千差万別である。


メムーナは煙草を吸いに外に出た。リサは、もうすぐ帰るがコウスケはメムーナと残っても良いという。私は長旅の疲れもあるので君とともに帰ることにすると伝えた。


メムーナは二人の男を伴って帰ってきた。外で煙草を吸っていて意気投合したという。失念してしまったが彼らは南米のどこかからの移民だったと思う。陽気な良い男たちだったが、あまり話が合わん感じがしたので、予定通りリサの帰宅に合わせて私も帰ることにした。男の一人が「アンニョン」と言ってきたので、それは韓国語だと伝えた。日本語は何だったかと聞かれたので「アンニョンに相当するのはコンニチワである。」と言うと、「ああそうだったそうだった!コンニチワだ!」
と大仰に喜んで見せたが、彼らはかなり明確に女性たちにしか興味がなさそうだった。

リサとともにバーを出ると、相変わらず寒風が吹きすさんでいる。Kungstradgardenの駅から帰るというので、そこまで送る。それは先ほどのMAXの目の前であった。
「今日は来てくれてありがとう。」
「こちらこそ案内してくれてありがとう。犬が大変な時なのに申し訳なかった。」
「ううん、こちらこそそのことで慌ただしくなっちゃってごめんね。まだスウェーデンにはしばらくいるんだよね。」
「どれくらいかは分からないけど、まだしばらくはいるつもりだよ。」
「良かった!じゃあまた会おうね。」
「うん、楽しみにしてる。おやすみ。」
「おやすみ。」
彼女はエスカレーターに吸い込まれていった。私は素敵な女性との出会いの興奮と、今晩の様子から考えると今後大いに仲を深めるほどの時間もなさそうで残念至極という気持ちの波状攻撃にしばし悶々とし、駅の前でぐるぐる同じところを歩き回った。水路のカモメ、Kungstradgardenのコウスケ。
しかし寒いのでいつまでも外にいるわけにもいかず、足早に宿へ戻ることとなった。
宿に戻り、シャワーを浴びて、食堂でジャマルや数人のゲストらと世間話をして就寝。

私はこの後、ついぞスウェーデンでエリザと会うことはなかった。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

次回は10日目、物価の高いスウェーデンで格安で観光する究極の節約術を紹介します。

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