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2020年コロナの旅13日目:塞翁が馬、ヴァーサ号の沈没

2019/12/29

この日も甘みのある黒パンにサラミとチーズを朝ごはんに食べ、お松の家を出る。


今日の目的地はヴァーサ号博物館である。ヴァーサ号とは時のスウェーデン王、グスタフ・ヴァーサが建造させた当時最新鋭の軍艦である。名前からヴァーサ号についての展示がしてあることは想像に難くないだろう。しかし驚くべきことに、この博物館には当時の船体がまるまる保存されて残っているという。いったい17世紀前半の戦艦がなぜ21世紀の現代にまで残っているのか。ぜひとも確かめに行かねばならない。


この博物館については、かつてホステルで出会ったクルド人のロダから一見の価値があると聞かされており、興味があった。入館料は1500円ほどと値が張るが、それだけの価値はあると。せっかくストックホルムにいるのだから珍しいものを見て行こうではないか。


先日7日間パスを購入した交通ICで、そのまま無課金でフェリーに乗れるのも魅力の一つであった。ヴァーサ号博物館は博物館が集められた博物館島とでもいうべきところにあり、そこにはフェリーを用いて行くことができるのだ。東京の上野や京都の岡崎、オーストリアはウィーンのムゼウムスクワーティアなど、博物館はどこの国でもひとところに集められているもののようだが、島が丸々博物館のために充てられているというのも乙な話だ。そこに、水の都の市民の足となっているフェリーで参るというのはストックホルムの楽しみ方として適切に思われる。


私が逗留しているお松宅はストックホルム郊外、狭義には隣町のナッカにある。ますはストックホルムに出る必要がある。これまではスリュッセンへバスで通っていたのだが、グーグルによるとフェリーを使うルートの場合、電車で街まで出るのがよさそうだ。


フェリー乗り場の最寄りまでは、まず電車に乗り、次にバスに乗るようだ。随分ややこしい。電車の車窓から見える灰色の景色は、昨日の地下鉄の奇天烈な駅たちと比べると貧相に思われた。


電車が目的の駅に着き、グーグルマップを確認するとバスに乗らないほうがむしろ早そうに思われた。朝を優雅に過ごし過ぎて既に午後1時になっており、博物館でゆっくりしたかったので歩いてフェリー乗り場に向かうことにした。


ストックホルムはちょっと小径にはいると迷路のように行き止まりだらけである。地図上では歩いてさっさとフェリー乗り場に行けるように見えていたが、私道や崖に阻まれてなかなか難しい。フェリーの出発の時間が迫り焦っていると、見かねた近所の住民らしき人が
「そこの脇にある階段を降りなさい。」
と教えてくれた。礼を言ってそうすると、フェリー乗り場の真ん前に出た。奇しくも、ちょうどフェリーが到着したところだ。

無事にフェリーに乗り込み、入り口の窓のそばに立つ。一通り写真などを撮って、博物館に備えて椅子に座ることにした。ところがスマホをいじり始めたのが失敗で、気づいたら降りなければならない停留所をとっくに過ぎて終点に着いてしまっていた。

私ほど注意力散漫な人も少ないと思うが、それでもどうにか世界を旅行することは可能である。その要因を揚げるとするならば、第一に人々の優しさのためである。若者が旅に出たほうがいいのは、それを学ぶためでもあるだろう。未熟者が、旅をすること通じて、人は助け合って生きているのだと肌で感じることができるのである。第二に、いかに機転が利くかということが大事だ。一つの計画の挫折に拘泥せず、栄えある勝利への次なる一歩をいかに素早く、正確に踏み出せるか。この能力も、旅の中で培われるものの一つだろう。


私はグーグルで博物館への最も早い行き方を調べた。すると、バスに乗って博物館島の手前まで行き、橋を渡って行くのが早いらしい。せっかくフェリーに乗りたくて苦労してきたのに結局バス…やっぱり、失敗しないに越したことはない。


ともかくも、次のフェリーがくるまで待っていられるほどの余裕もないので、バスに乗り博物館島の手前まで移動。橋をてくてく歩いていく。これはこれで良いものだ。


博物館島は、島自体が森におおわれていて美しく、また密集する博物館の建築自体が華麗で重厚なので散策しているだけで楽しい。

しかし時間に余裕がないので最短ルートでヴァーサ号博物館へ。


その建物は島の他の博物館と比べても大きく見えた。建築様式も美観にこだわってはいるもののどこか無骨で、戦艦を格納するのにふさわしい風格を備えている。


入館すると中は薄暗く、スウェーデンの屋内にしてはかなりヒンヤリしている。あとから聞いた話だが、船の保存のためらしい。
入り口から数歩中に入ると、そこにはすでに巨大な戦艦が舳先をこちらに向けて鎮座していた。

17世紀の木造戦艦であることを考えるとその大きさと保存状態は圧倒的だが、正直すこし拍子抜けしたのも否めない。船があって、終わり。はたして1500円の価値があるのか今もって私には分からない。しかし、見て回るのに少なくとも2時間はかかることは請け合いである。船の全体を格納するために、地下2階、地上4階建てという巨大な建物になっており、それぞれのフロアにテーマ別の展示がしてある。また、映像資料なども言語別で上映されているので早めに行くか、事前に時間割を調べていくのがいいだろう。


私はもともと、ポテチでもなんでも能書きを身ながら食べるとより美味しく感じる性質の人間である。このヴァーサ号博物館においても、定期的に行われているガイドによる解説を受けた後にはそれなりの満足を得られた。


ガイド曰く、グスタフ・ヴァーサは国の威信をかけて野心的にこの船を建造したが、急ごしらえの砲列や過剰な高さなど、詰め込み過ぎた野心があだとなって安定性が犠牲となった。

船体の高さは確かに異様でさえある。

当時世界に類を見ない重装備の大戦艦は、処女航海で1キロ強進んだところで横風を受けて沈没した。それはストックホルムの湾内であった。外海に出ることすら叶わなかったなのだ。鳴り物入りで大勢の観客が世界中から集まっていた面前でスウェーデン王国の威厳はストックホルム湾の底に沈んだ

…かに見えたが、結局、次期国王、勇猛果敢なグスタフ・アドルフの戦ぶりによってスウェーデン王国は勇名を歴史に残すこととなった。

グスタフ・アドルフの勇猛さについては、我が親愛なるスウェーデンの友人、ミカエルの言葉を引用せねばなるまい。彼はその古の王のことを話すとき、いつも誇らしげであった。2019年は京都でよくミカエルとドイツ人のフェリックスとつるんでいたが、ミカエルはよくフェリックスのことを「ミュンヘン小僧(Munich boy)」と呼び、スウェーデンがドイツを征服した時のことを繰り返し話すのであった。

「グースタフ二世・アードルフ、ラテン語ではグスタフス・アドルフスだが、彼は戦争の天才だったと言わざるを得ないだろうね。実際、彼はドイツを征服したんだから。な、そうだろうミュンヘン小僧?」

フェリックスはミカエルのお国自慢を聞いて、ただ口をへの字に曲げて肩をすくめ私のほうを向き、「何世紀前の話してんだこいつは?」と言うだけであったが。

ヴァーサ号に話を戻そう。この最新鋭の戦艦が外海に出ることすらできずにストックホルムの湾内に沈没したのは、ある意味では幸運であった。なぜなら、この湾は酸素濃度が薄く、沈没船を食い荒らす虫(その名もフナクイムシという)が生息していないからだ。そのおかげでヴァーサ号は海底で数百年もの間、当時の姿をほぼ完全に残すことになった。


以上のような話を学芸員から聞いたわけであるが、その学芸員のおじさんが女装していたのも印象的であった。ひげ面で明らかにおじさんではあるのだが、髪を長く伸ばし、ワンピースを身にまとい、口紅を塗っている。しかしタイのレディーボーイと呼ばれるような人々とは異なり、女になろうとしているというよりは女性のファッションを楽しんでいるだけのように見受けられた。声も図太い。これについてもミカエルがなぜか自慢げに、

「スウェーデンでは男が女の格好をしたり女が男の格好をしたりするのは普通のことなのだよ。我々は性差を超越しているのだ。俺の親しい友人もよく女装をするが誰も気にも留めん。」

などとと嘯いていたの思い出した。彼のお国自慢(?)は時に本当か嘘か分からないことがあったが、これは本当のことだった様だ。

見学を終えて外に出るととっぷりと日が暮れている。時刻は午後四時半である。長時間の見学で疲れたのでお松の元へ戻ることとする。彼女は外で友人と食事をするとのことで、私は自分の分だけ晩御飯を作った。ペスト・ジェノヴェーゼを用いたスパゲッティは、今後パンとフムスとともに私のユーロトリップ(ヨーロッパ旅行)において良き相棒となる。


お松も帰ってきたしそろそろ一日の終わりとしよう。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日は2019年12月30日。この旅で初めて体調不良に見舞われる私。スウェーデンの観光名所、市庁舎に辛うじて行くも近づく体力の限界!年末へ向けて恐怖のカウントダウン!

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