2020年コロナの旅7日目:ムエタイ
2019/12/23
翌朝目覚めると、定家の冷蔵庫にあるものを適当に食べて朝食とした。それでも二人とも腹が減っていたので、ウーバーイーツを頼んでみる。日本ではそれなりに高いKFCが、割高なウーバーイーツですら手ごろである。それでもタイの屋台の金額と比べれば倍ほどもするのだが。とはいえ、折角なので(?)食べてみることにした。見た目も味も日本と変わらない。まあそれがフランチャイズの魅力なわけである。
値段は違うが味は同じ
ブランチを食べて、定家の家を後にした。エントランスを出る時、警備員がたくさんいるので少し緊張してしまった。この日は宿に3時までには必ず戻ると決めていた。なんとなれば私が逗留している宿では毎週月曜日に3時から無料のムエタイレッスンがあるからである。
宿についたのは3時少し前で、どうやら間に合ったようだった。受付の美肌ボーイのデシ―と、見るからにムエタイ教官らしいおじさんがマットを敷いたり、バンデージやハーフパンツを揃えるなど準備を整えていた。
私が今回のタイ滞在期間中この宿で過ごす月曜日はこの日が最初で最後である。兼ねてより興味のあったムエタイ講習は絶対に体験しておきたかった。時間が来て、他の参加者たちもそろった。オランダ人のカップルと、ティモシー・シャラメのようなベルギー人の青年、そしてロシア人の若者であった。オランダの男とロシアの若者は格闘技経験があるとのことだった。私がバンデージの巻き方が分からずまごついていると、オランダのカップルの女のほうが、彼氏に「教えてあげなよ」という。なんとなく屈辱的な感じがしたが、これが巻けないとグローブも着けられない。何事も先達はあらまほしきことなり。先生はティモシーのバンデージで忙しそうなので、蘭男に教授を乞うて準備を整えた。
全員の準備が整うと、まずは準備運動から始まる。一通り柔軟を行うが、その最中においても先生の脚の太さに目が行く。まるで木の幹ような脚が二本。腰に着けた伝統的(と思われる)衣装も勇ましく、歴戦の勇者の風格があった。中庭を何週か走らされ、いよいよ準備運動が終わり格闘技の修練に入る。まずは基本的な突きと、アッパーカットを練習した後、いよいよムエタイの代名詞、エルボーと膝蹴りの練習へ。
エルボーはリーチが短いのですでに近接戦の間合いに入ってから使うものと思われるが、思っていたよりも踏み込む。体制やガードが崩れやすく、それを重点的に指摘された。膝蹴りは、先生の肩を押さえつけるように持って放つように指示された。
膝蹴りを放っている間腹ががら空きになる気がしたがどう対処したらよいのだろうか。また習う機会があったら聞いてみたい。しかし先生はあまり英語はお話にならないように見受けられた。とても剽軽な先生で、優しく、強く、愉快で豪気であった。
「よーーしゃ(実際にタイ語でも(?)こう言っていた)おまえここ蹴ってみろ!10回だ!1,2,3,4,5,6,7,8,9、9,9,9,9,9…」というような愉快なスパルタ。楽しく練習していただけなのだが、2時間の練習の後にはかなり筋肉疲労の蓄積が感じられた。素晴らしい指導者である。
練習後、先生が初めて自己紹介をされた。現役時代はRatanachai Sor Vorapinというリングネームらしく、調べてみるとなんとWBO,すなわち世界ボクシング機構の元バンタム級チャンピオンだった。現役時代の写真を見ると今の好々爺の雰囲気からは想像もつかないほどギラギラしている。体も絞れていて鋭い刃のようである。一同、その気さくさと気取らなさに感じ入ってしまった。格闘技経験者の二人は雲の上の存在に倣っていたことを知って苦笑いしていた。
ラタナチャイ先生にお礼を言って記念写真を撮り、ムエタイ教室は解散した。
私は腹が減ったので以前行った鴨飯屋に行った。
すきっ腹に染みる鴨飯
食後にぶらりと市中を散歩して帰ると、テラスでミンと宿のスタッフたちが鍋をやっていた。みんなに「おおコウスケどこ行ってたの」と声を掛けられ、「鴨飯食べてきた」と答える。食後ではあったが楽しそうだったのでテーブルにつかせてもらい、一緒に鍋をつついた。「これはムーカタっていう料理で、しゃぶしゃぶみたいなもんだね。」と韓国の日本食屋で働いていたミンが教えてくれる。タイの滞在歴も長いので私にいつもいろいろな情報を教えてくれるオッパである(男なのでヒョンと言うべきか)。
食後は屋内のロビーに引っ込んでいったアジア勢と別れて、テラスでベルギー人のジェロームやオランダ人のヨゥス、ドイツ人のニコラ、フランス人のウィスマ、ポーランド人の何某とヨゥスのデート相手のタイ人ナワンとトランプで遊びながらタイの強烈な薫りのする蒸留酒をやった。ここで、このホステルで知り合った西洋の旅人たちについても軽く紹介しておこう。
ニコラは美しい金髪の穏やかなドイツ人女性で、いかにも欧州のバックパッカーという雰囲気であった。ウィスマは部屋で私の隣のベッドの女性だった。どう形容していいか分からないが、フランス人らしさを目に宿した女性である。ジェロームはこの宿で毎日違う女の子と夜伽を楽しんでいるらしく、そのことを自慢げながら屈託なく全員の前で満面の笑みを湛えて語る様には憎めないものがあった。彼の弾くギターは人柄に反して悲しげで美しい。ポーランド人の男、彼は母国に妊娠した妻を置いて人生最後に楽しむのだと言っていた。しかし薬と酒でうつろなその目はどこか悲しそうで、彼の不安と罪悪感が見えるように感じられた。ヨゥスは先日蟹蝦魚を遊んだ例のオランダ人で、私の経験に照らせばオランダや北欧の男にありがちと思われる、教育水準が高く善良だが少し面白みにかけるようなところがあった。アクがない。彼のデートであるナワンは、てっきり同年代と思っていたがなんと40歳だということだった。彼女はいったいどういう気持ちで20代の西洋からの旅行者とつるんでいるのか、と勘ぐってしまったが、まあ楽しければなんでもいいではないか。それに年齢は関係ない。非常に美しく、礼儀正しい魅力的な女性であることには間違いなかった。
ビールと例の強烈なタイの酒をやって満足したので、そろそろ寝ることにした。ロビーに寄ると韓国人たちとタイ人たちはまだ屯していた。「コウスケは西洋人たちとつるむのが好きか」とミンに聞かれ、「まあそうかもしれない。特定のグループだけとしかつるまないのは少なくとも旅の身の上ではあまり好まない。」と答えた。
私は皆に挨拶をして2階の部屋に戻り、布団をかぶって寝た。
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次回予告
2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。
明日は古都アユタヤへの小旅行。いにしえの仏教の目くるめく世界と牛血スープのマリアージュ…夜は私の送別パーティで地元の荒くれ者たちと大揉め!?果たしてラッタナチャイ先生に習った膝蹴りは炸裂するのか?こうご期待!!
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