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2020年コロナの旅21日目:ドイツ語を話して妹分ができた話

2020/1/6


起床して、朝食を買いにリドルへ参る。


どこのリドルの前にも物乞いがいて、たいていは年老いた女性である。ウィーンに住んでいたころ、街中の物乞いにお金をあげてはならないと注意されたことがある。なぜなら彼らは犯罪組織とつながっているからだ、と。たかが数十円の恵みが、積もり積もったところでどれほどの犯罪に結び付くかは分からないが、私はどちらにせよ物乞い側の人間なので同業者に塩を送るようなことはしない。


適当なパンを買って宿で茶を沸かして朝ごはんを食べていると、巨大なバックパックを背負った同世代くらいの女の子が宿に入ってきた。チェックインが1時からなので、食堂で待たされているらしかった。


話しかけると、その子の名はアイラというらしい。ドイツ人だという。久しぶりに練習したかったため、ドイツ語で話しかけると大いに喜んだ。


ドイツ人は英語で話すことに慣れ切った人が多く、私の経験ではこのような反応を示す人は多くない。ドイツ語は難しい言語だ、だの、外国人にドイツ語の習得は不可能だ、だのと考えている者も多く、親切心かもしれないが非ドイツ語ネイティブに対してドイツ語で話すという発想を持たないのである。(※私は10か国語以上の学習経験があるが、英語を習得している者にとってドイツ語は最も勉強しやすい言語のひとつと言ってよいと思う。ドイツ語の習得が難しいとすれば、ドイツ語話者たちの態度のせいが8割だと思う。スペイン語やフランス語においては、多くの場合彼らの言語を話す以外にコミュニケーション方法がないため練習がはかどる。そして会話練習は言語の学習において最も重要である。)


しかしこのアイラ嬢は、私の完ぺきとは到底言い難いドイツ語にも大変喜んでくれたため、こちらとしても話しやすかった。アイラ嬢はドイツ以外の国に出るのはこれがはじめてだという。それにも私は驚かされた。ヨーロッパの人々は、少なくともヨーロッパ内部においては旅をしつくしたような人が多いからだ。特にホステルで出会うのはそういう人種ばかりだ。


今日スウェーデンに到着したばかりのアイラは、何をしたらいいかよくわからないという。私も特に予定はなかったが、彼女がトレッキングが好きだというので、先日行った博物館島の裏手にある山っぽい部分に一緒に行ってみるかと誘った。アイラはぜひそうしようと言った。


談笑しているとネルソン先輩が起床してきた。昨日のことを思い出すとあまり気は進まないが、アイラを紹介する。我々はしばらく英語で話していたが、アイラは自分の英語に自信がないと言う。全く流暢なのでネルソン先輩も私も彼女の英語をほめるが、彼女は今まであまり英語を使ったことがないので心配なのだという。それを聞いてネルソン先輩がアイラの年を尋ねると、彼女は何歳に見えるか、と逆に我々に質問してきた。これは危険な質問である。ネルソン先輩と私は顔を見合わせ、無言のうちに答えをすり合わせる。20歳で行こう。私は先輩に目で訴える。20歳より若い人ならば大人びて見えるのは嬉しいことだし、それより年上の人は若く見られたい、そのような閾値の年だと考えたからだ。話を始めた張本人のネルソン先輩が責任をとって回答者となった。

「20歳くらいかな?よくわからんが。」

よくやったぞネルソン!我々はお互いの顔を見合わせて頷く。しかし、それに対してアイラ嬢が答えて言うには、彼女は17歳だという。我々はすっかり驚かされてしまった。彼女の落ち着き払った態度や知的な雰囲気はとても高校生のものではなかったからである。しかし彼女が多くの国に行ったことがないことも、英語に自信がないというのもそれで納得がいく。


その後も我々は話し続けたが、ネルソン先輩は何の脈絡もなく日本がシンガポールに侵攻した話を始めたり、私が2020年においてはシンガポールのパスポートは日本のパスポートと並んで最もビザなし渡航可能な国の数が多いパスポートであったというと、それは違うと噛みついてきたりする(※ネルソン先輩が参照していたのは、Passport indexによる総合モビリティ値のランキングであった。ビザなし渡航可能国の純粋な数とは異なる。なお、2021年においてはビザなし渡航可能な国の数は191か国で日本が単独首位である。2位のシンガポールは190か国。)。


ネルソン先輩のグーグル仕込みの議論が鬱陶しくなってきたので、アイラにドイツ語で話しかける。アイラはもともと英語に苦手意識があるようなので、ドイツ語で話しかけられれば英語で答えると踏んだのだったが、私の読みは正しく、かくして私はドイツ語を話さないネルソン先輩を会話から追放することに成功したのであった。許せネルソン先輩。あなたもアメリカ大統領選という私が解さない言語で私を仲間外れにしたのだから。


昼過ぎに私とアイラは宿を出て博物館島に向かった。途中で私がドイツ語に疲れたため英語とドイツ語の混ざった言語で話すこととなった。


博物館島に以前と同様歩いて渡る。私は一度来たことがあるので少し案内して周る。自分も大して詳しくはないのだが、まるで地元の人になったような気分で嬉しい。先日訪れたヴァーサ号博物館についても少し話した。

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数多の博物館が並ぶ一帯を通り抜けて、森に入る。いかにも亜寒帯らしい針葉樹の木立は重苦しい曇り空と相性がいい。曲がりくねった幹や、不穏な割け方をした大木、苔むした岩などを見ながら歩いていくと、海に出る。舗装されたその道はランニングなどに適していそうだった。特に夏はとても気持ちが良いだろう。

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スウェーデンは現金を使うタイミングはないほどのカード社会である。森の中にある公衆トイレすらカード支払いしか受け付けない。


J. J. エイブラムス版のスタートレックの2作目の冒頭シーンのような赤い樹皮を持つ藪など、やはりどこかおどろおどろしいような雰囲気をもつ森の中を歩き続けると、瀟洒なつくりの家々が姿を現した。

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どうやらそれが、私が年末に行こうか考えていたスカンセン博物館らしかった。旅立ちの日を目前にして、ストックホルムを離れる前に外からでも見ることができて心残りが解消した気持であった。


スカンセンに辿り着いたところで、島は大方一周できたらしい。我々は私の行きつけのMAXでハンバーガーを食べることにした。


私もアイラも菜食主義者ではないが、私は先輩風を吹かせてMAXに来たらこれを食べなきゃだめだといって名物のヴィ―ガンナゲットを食べさせた。私には妹はいないが、アイラはそんな存在に感じられた。

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すっかり暗くなって帰路に就く。

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宿に戻るとキッチン(といってもレンジ1台しか機能しているものはないが)はロシア人の大家族に占有されており、その貧相な設備でどう工夫したのか分からないが凄まじい品数の料理が並んでいた。アイラと私は途中スーパーで買いこんだパンをレンジで温めて、レンジで温めた湯で淹れた味の薄い茶とともに流し込んだ。妹よ、この混沌、この食事こそがホステル飯の神髄だ…


私はその日、久しぶりに穏やかな気持ちで眠りに就いた。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日は2019年1月7日。スウェーデン最終日。いよいよヨーロッパ2か国目のポーランドはクラクフへのフライトです。よみがえるスウェーデンの思い出、オブヴァジャーネックの洗礼。秋篠宮殿下と知り合いだという長身の美女カーシャとの出会い。

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