2020年コロナの旅23日目:迫害されるユダヤ人の痕跡
2020/01/08
朝9時ごろに起きてシャワーを浴びようと思いたち、入浴セットがカバンの中にないことに気づいた。どうやらストックホルムのビルカホステルに忘れてきたらしい。
ホステルの受付に行くと、昨日のシェルドン的な人はいなくなり、代わりに小柄な女性が机の向こうに座っている。挨拶をするとにこやかに挨拶を返してくれる。入浴に使う石鹸などを安く買える店が近くにないか聞くと、ホステルの入っている建物のすぐ隣にある薬局が安いという。礼を言い、コートを羽織って宿を出る。
朝のうららかな日のもとで見るクラクフは、昨日とは一転して活気のある朗らかな街に見えた。
宿の隣は既に路面電車の旧市街を囲む線路に面した角になっている。その一階にある薬局でシャンプー、コンディショナー、ボディーソープを購入。400円ほどだったか。
宿に戻って久々にシャワーを浴びた後、服をコインランドリーに持っていくことにした。ストックホルムではお松の家を出てから服を全く洗濯していなかったのだ。冬のことなので大した問題ではなかったが、何となく気分はよくない。せっかくシャワーを浴びて新しい服に着替え、洗濯物の量が最大となったところだったので、ちょうどいいタイミングと考えた。
またも受付に立ち寄り、最寄りのコインランドリーの場所を聞くとホステルから旧市街とは逆の方向に歩いて15分ほどのところにあるらしかった。時刻は午前10時。天気も良いし、ちょうど良い散歩になるだろう。
私は洗濯ものをスーパーのレジ袋に詰め込んで再び宿を出た。やはり素晴らしい快晴、散歩日和である。スウェーデンでは曇り続きだったのでありがたみをなおさら感じる。
朝食をとっておらず小腹が空いたので、途中にあったBuczekというカフェに入ってみる。洒落た店内は広々としていて、入り口の正面にはレジと、ケーキやサンドイッチの入ったショーケースが配置されていた。どれもため息が出るほど美味しそうで、そして目が飛び出るほど安い。
フルーツオムレツとピザパン(日本以外にもピザパンという食べ物があるのをはじめて知った)を選び、ペットボトルの水を買っておよそ400円だったか。いつまでも比較していても仕方ないが、スウェーデンだったらケーキ一つ買えない金額だ。
見た目通りに美味しい朝食をとってコインランドリーへ赴く。閑散として中には誰もいない。洗濯機の使い方など、全てポーランド語で書いてあるのでちんぷんかんぷんだが、どうやら店の奥の壁に備え付けてある装置に番号を入力してクレジットカードを通すと対応する番号の洗濯機が稼働するという仕組みらしかった。
コインランドリー内の自販機で洗剤も買う。粉洗剤が水溶性の袋に個別包装されたものが4つ100円くらいで売られている。
こうやって書いてみると単純な作業の様だが、日本で使ったことのあるコインランドリーとは様子が異なる上に私はポーランド語は挨拶程度しか分からないので、使い方がわかって実際に洗濯を始めるまでには20分も右往左往することになった。
30分ほどで洗濯が終わり、乾燥機に移してまた10分。
乾燥機から出てきてふっくらした洗濯ものを無理やり元のビニール袋に詰めて家路に就く。時刻は既に正午に近い。
帰り道に旧市街の中にあるBiedronka(ビエドゥロンカ)という24時間営業のスーパーに立ち寄り、昼食を宿で料理することにした。スウェーデンのビルカとは違い、ピロウズにはしっかりとした調理設備があった。
ビエドゥロンカは日本より安いスウェーデンのスーパーと比べてもさらに安く、ポーランドならかなり長期にわたって格安で滞在できそうだという感覚を得た。何しろ宿も、3日で1500円しかしない。宿代に関して言えばタイとほとんど変わらないのだ。
スパゲッティと、ウィーン留学時代から大好きなペスト(ジェノヴェーゼ)、そして適当なチルドのピエロギを購入して帰宿。
スパゲッティをゆで、ペストをかける。これだけで食事が成立してしまう。しかし少し物足りないので、同時に買ったピエロギも試してみる。2分でゆであがる手軽さも魅力だ。
ピエロギは、昨日のものと違ってかなり酸味がある。パッケージを見るとキノコとキャベツとニンニクのようだが、ただのキャベツではなくサワークラウトでも使っているのだろうか。単体だと癖と言ってよいほどの酸味だったため、ペストを足すと程よい味わいとなる。ペストと、後に登場することになるフムス(ひよこ豆とゴマのペースト)は万能の調味料である。
腹ごしらえが済んだので、昨日痩身のレセプショニストに聞いたフリーウォーキングツアーなるものに参加してみることにした。現在12時過ぎ。どうやら午前の部はすでに終わっているようなので、午後2時からの午後の部に向けて集合場所にゆるゆる向かうことにする。
集合場所はカジミェシュという地域にある広場で、ホステルからは旧市街を通って反対側にある。20分ほどで到着する道のりらしい。旧市街を少し観光してから行こう。
欧州の「Old town/city/quarter/square(旧市街)」と言われる地域には,ある程度お決まりの型のようなものがある。川が近くに流れていること、教会があること、広場があること、等々。
クラクフの旧市街も御多分に漏れず、この型にのっとっている。中央の広場は中央市場広場と呼ばれ、その真ん中には巨大な建物がある。これは織物会館と呼ばれる建物で、昨日カーシャが説明してくれたところによると、昔は織物の商人たちがこの中に店を構えていたのだと言う。今は、雑多な土産物屋さんが並んでいるが、特にクラクフ名物の琥珀製品を商う店が多い。
一角には聖マリア大聖堂(バジリカ)が威容を湛えている。街の様子を見ながら少し歩き回り、集合場所のカジミェシュへ。
カジミェシュはもともとユダヤ人の居住区だったところだが、今回のウォーキングツアーのテーマは「ユダヤ人にとってのクラクフ」らしい。今は再開発が進んで若者向けのヒップな界隈に変容しているらしいが、楽しみである。
時間に余裕をもって到着したため少し手持ち部沙汰になる。朝行ったのと同じカフェ(チェーン店だったらしい)があったため、そこで時間をつぶす。
集合の時間ぴったりに待ち合わせ場所に行くと、黄色い傘を持ったデイブ・バウティスタのような大男が畳まれた黄色い傘を持って夕景に佇んでいる。確か黄色い傘がガイドの目印だったはずである。
歩み寄っていく私に気づくとその大男は
「フリーウォーキングツアーの参加者かな?」
と聞く。そうだと答えると、彼はトマシュと名乗った。私も名乗り、聞かれるままに日本人だと言うと、それは珍しいという。確かに2時間だかの英語のツアーに参加して何らかの情報や交友関係を持ち帰れる目算を持てる日本人はそう多くないかもしれない。そもそも、旅行に来ているのに勉強をして何になるんだ、という意見も聞こえてきそうな気がする。しかしウォーキングツアーは、ある街を知るのにうってつけの手段だと、多くの旅人から私は聞いていた。ネルソン先輩からも聞いたし、花さんもドイツの街やストックホルムで参加したと言っていた。
私はまだクラクフに来て2日目なので、こういったツアーで街の感じを知っておくに若くはないだろう。とはいえ、今回のユダヤ人クラクフツアーは特定のテーマに限った特殊なツアーなので、本来はもっと一般的な街の紹介をしてくれるツアーが良いとは思うのだが。
このツアーがよかったら、明日の午前中のクラクフ紹介ツアーにも参加してみよう。
2m近くあるトマシュを見上げながら雑談をしていると、小柄だが屈強そうな白人男性が歩いてきた。彼はアレックスと名乗り、イングランド出身と言った。少し年上かと思ったが1歳年下の24歳だった。先祖にポーランド人がいるらしい。礼儀正しい青年で、小さな建設会社を共同経営しているという。我々は気が合ったのでツアー中行動を共にすることになった。
トマシュが言うには、待ち合わせの時間より遅れてくる客があまりにも多いため、いつもツアーを開始するのは告知してある集合時間の10分から15分後なのだと言う。たしかに、時間を守ってきたのは私とアレックスだけだったが、2時を過ぎてからぞろぞろと参加者が増えだし、最終的には20人近いグループとなった。
人が大体そろったとみえる頃合いを図って、トマシュがウォーキングツアーの何たるかを説明する。
「みんなこんにちは。今日は来てくれてありがとう。私はトマシュという名だが、ビッグ・トムで通ってる。まあ、見ての通りビッグだからな。ヤゲロー大学でクラクフの歴史について研究してる者だ。で、最初にツアーについて説明したいんだが、今…2時18分から始まって、だいたい4時半解散予定だ。解散の場所はココからほど遠くない場所で、ここに戻ってきたかったらツアーが終わってから戻り方は教える。ツアーの最後に観光地やクーポンをまとめた地図を配るから、それを参考にしてほしい。それからこのツアー、「フリー」というのは2つの意味があるんだが…どこかの街でフリーウォーキングツアーってのに参加したことがある人はいるかな…ほう、ちらほらいるな。君たちはもう聞いた話かもしれないが、1つめのフリーは途中で抜けるのが自由ということ。寒いし、疲れたり、他の予定がある人は自由に抜けてもらって構わない。でも、その時は俺に一言かけてくれ。ていうのもまあ、それが礼儀ってのもあるんだが、各観光名所で全員が揃うまで待つようにするから、もういない人を待ち続けるようなことになると困るだろ。で、もう1つのフリーについてなんだが、このツアーは完全に無料だ。ただし、俺たちガイドは収入のほとんどをガイドの仕事に依存している者が多い。献身と研鑽が必要な仕事なんだ。だから、ツアーがためになったと思ったら最後にカンパをしてくれるとありがたい。ちゃんと税金も納めてるしレシートも出すから、違法な金品の移動に加担することになるんじゃないかというような気遣いは無用だ。」
前口上を終えると、ビッグ・トムによるツアーが始まった。
ツアーの内容を時系列に羅列すると長くなりすぎるので、学んだことを列挙するにとどめたい。
・カジミェシュという地名はこの地をユダヤ人居住区として与えたカジミェシュ大王にちなんでつけられた。
・当時は「ユダヤ人の天国」と言われたが、この狭い区画にアシュケナジム(東欧のユダヤ人)の75%が押し込められていて、とても天国とは言い難い状況だった。しかし、他の国での迫害が激しかったからこそ人口過密でも彼らはここに移ってきたのであって、天国とは言えないが、他の国、他の街にいるよりはよほどましだった。
・(あるシナゴーグの前で)このシナゴーグ(※ユダヤ教の教会)のラビ(※ユダヤ教の司祭)が、ヨーロッパにおけるユダヤ教の戒律を作り上げた。なぜヨーロッパ用の戒律など必要だったかと言うと、ユダヤ教はもともとキリスト教やイスラム教と同じく中東の温かい地域の宗教なので、服装や食事など、元の地域のものを寒冷な欧州でそのまま維持することが困難だったからである。
・(別のシナゴーグにて)「ナチスドイツによるユダヤ人の迫害について知らない人はいないだろうが、ユダヤ人はヨーロッパ全土で迫害されていたことも知っておかなければならない。イギリスは、「お前たちは私たちの中では生きていけない。」とユダヤ人を追放した。フランスも、「お前たちは私たちの中では生きていけない」、ロシアも、「お前たちは私たちの中では生きていけない。」と。ナチスが違ったのは、「私たちの中で」と言わず、「お前たちは生きてはいけない。」としたところだった。欧州一般における状況を知ることで、ナチスの特異性もまた浮き彫りになるのだ。ジェノサイド前夜、欧州各地から追放されたユダヤ人たちがこのカジミェシュ(※当時オーストリア帝国領)や他の大ドイツ圏に殺到していたということは見落としてはならない興味深い事実である。」
・ナチスドイツ時代にビスワ川をはさんでカジミェシュの南側に作られたゲットーでは、民族別に一日あたりのカロリーの支給が区別された。ドイツ(アーリヤ)人2000kcal, スラヴ人700kcal, ユダヤ人は350kcal/日
・恣意的にユダヤ人を殺害するなどして狂人と言われたアモン・ゲートは、ある少女が犬を2匹持って「選別の広場(労働力になる者とそれ以外を分ける場所)」に来たときにその理由を問うた。少女は咄嗟に「あなたにあげるために育てました」とアモンに犬を渡す。犬好きのアモンはこの栄養失調の少女を、役立たずをまとめて殺すために送り込むアウシュヴィッツ・ビルケナウではなく、生存の可能性のある強制労働所に送り出した。少女の肩を叩いて「stay alive」と言って。後にこの少女は、アモンは悪魔、狂人と言われるが、人生に少なくとも一度は人間らしいことをした、と証言した。この少女が350kcalの栄養を割いて犬を育てていたことも驚異的である。
・よだれで壁にカギ十字を書いてナチスが家に調べに来ないようにして難を逃れたユダヤ人の子供がいた。後に世界的な映画監督として知られるようになる、ロマン・ポランスキーである。
・「ポグロム(※ユダヤ人に対する破壊活動)は戦後も数件起こった。反ユダヤ主義は根深く、ナチスが去ったから終わりというものではない。しかし、ここカジミェシュには少しずつユダヤ人たちが帰ってきているし、地域の人々がユダヤ教やユダヤ人について学ぶ取り組みも行われている。カジミェシュのユダヤセンターには子供たちがダヴィデの星(※六芒星)を書いたものが展示されているが、それらの殆どは実は非ユダヤ人によるものである。私は反ユダヤ主義は終わりを迎えると信じている。」
ツアーは、「選別の広場」で終わりとなる。ここは、先述の少女のようにゲットーのユダヤ人がアウシュヴィッツに送られるか、強制労働所に送られるかが決される場所だった。今は、椅子のオブジェと、ろうそくが当時苦しんだ人々にささげられている。
ビッグ・トムは最後に地元の情報が詰め込まれた地図を配り、あと5分くらいここにいるのでカンパをしたい人はしていってくれ、という。素晴らしいツアーだと思ったし、アレックスが500ズウォテもあげているのを見て自分も何かしら支払わないわけにはいかなかった。しかし自分は100か200ズウォテくらいが適正だと思ったのだが、あいにくその金額を持っていない。カードはさすがに使えないようなので申し訳ないが小銭をいくばくか渡し、アレックスとは連絡先を交換して去る。
家に帰ってピエロギをゆでる。ユダヤ人の迫害の歴史は凄まじい。なぜそこまで、蛇蝎のように忌み嫌われるようになったのか興味が湧く。アウシュヴィッツも行ってみるべきだろうか。
酸っぱいピエロギを食べて就寝。
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