fictional diary#26 彼女が話してくれたこと
ひとつの町からべつの町へ移動する途中、バスに乗り合わせた人と仲良くなった。20代後半の女のひと。日に焼けていて、長袖のチェックの薄いシャツを着て、肩には大きなリュックサックをしょっている。あなたも旅をしてるの、と隣の席に座ったわたしに話しかけてきた。私はそうだと答えて、いままでの旅の話や、自分の国のことを話した。彼女もわたしに、自分の旅のこと、家族のこと、そのほか思いつく限りいろいろなことを話してくれた。バスが目的地に着くまでには1時間以上あった。わたしたちはまるで永遠に、バスの窓から入ってくる金色の光にひたりながら、思い出話をしていられるように思えた。バスの終点がわたしの行き先だったのだけど、そこに行く途中にきれいな砂浜があるということを彼女に教わって、ふたりでそこで降りることになった。バスを降りた瞬間、海の匂いがした。強い風に髪をはためかせながら、大股でぐんぐん道路を歩いて目的地に向かう彼女の背中を追いかけながら、わたしたちが出会ったのはほんの1時間まえなのだ、ということがとても奇妙に思えてきた。彼女はわたしの、もっとずっと前からの友達のように感じた。たどり着いた海岸には見渡す限りだれもいなくて、名前のわからない海鳥が何匹か、波の上をかすめるように悠々と円を描いて飛びまわっていた。わたしたちは砂浜に腰を下ろし、目を閉じて海の音を聴いた。波の音と、近づいては離れる鳥の鳴き声、近くの道路を通りすぎる車の音。そこに彼女のやわらかな低音の声が混ざりはじめた。彼女は、昔、子供のころにこの近くに住んでいたこと、この砂浜で生まれて初めてのデートをしたことを教えてくれた。砂浜の向こう側に脈絡なく立っている塀、その線に沿って歩きながらはじめて手をつないだことも。彼女が小声で語る思い出話は、波の音に紛れて空気に溶けていった。わたしは砂浜に指で模様を描きながら、遠い昔の彼女と、その恋人が砂浜を歩いている姿を思い浮かべた。
Fictional Diary..... in企画(あいえぬきかく)主宰、藍屋奈々子の空想旅行記。ほんものの写真と、ほんとうじゃないかもしれない思い出。