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「戯曲は人間が何かを始めるきっかけであり、またそういうものを全て戯曲である」と仕事を結びつけて考える。

製造系BtoB企業のW社様のWebサイトを絶賛設計中。いいところまで来ているし顧客も不満はないようだけど、芯となる核が不在な感じ。W社ならではの「選ばれる理由」がまだ言葉にできていない。何も言われてないけれどこのまま進めるのが気持ち悪い。同僚とあれこれ話して、これなんじゃないか?と思える切り口を見つけてワイヤーにして顧客に再提示してみると「これだ」と皆さんの顔が明らかに変わる。その後の話し合いがスルスル進む。そういうことならこういうのもあると関連する情報が色々出てくる。はっきりと皆さんのギアが入ったし、何かを突破できた感じ。顧客との打ち合わせが終わった後に同僚と「見つけられてよかったなあ…」とホッとしあいました。それにしても言葉って不思議ですよね。それは触れないし見えないし確かめられない。でも、集団を前に進めてくれる。人の気持ちを動かしてくれる。ドアを開ける鍵になる。不思議。

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広告代理店→地方出版社→Web制作会社とどちらかといえば「言葉」を重視する業種を流れ歩いているけれど、まだ影も形もないものを多人数で生み出すときに「キーとなる言葉」を見つける作業は業種を問わず大切なんだろうなあ…と夢想しました。共有できる言葉といった共同幻想があって人はやっと動き出せる。物語やナラティブにはそういう力がある。たぶん。それはコンセプトといった洒落臭いものやアイデアといったその場しのぎのものではなく、もっと腹の中に手を突っ込んだような手触りのあるものとして。

劇作家・岸井大輔さんによる『演劇の定義』

言葉の不思議さを考えていたら劇作家の岸井大輔さんをふと思い出した。岸井さんによる『演劇の定義』はとても刺激的で面白いのですが、仕事や働くこととも呼応しているように思います。特に「戯曲は人間が何かを始めるきっかけでり、またそういうものを全て戯曲である」の定義がとても好きです。これは業種を問わずどんな仕事にも通底している気配がするし、演劇や仕事だけでなくぼくたちの人生とも共鳴している感じがします。当たり前かもしれませんが。

【演劇の形式化】 
1 定義
演劇とは複数の人間である。

1-1 複数の人間に対し、人間は価値判断をする。すなわち、面白い演劇、美しい演劇、大事な演劇、退屈な演劇、これは演劇になっていない、などと感じる。

2 特殊解
ある人間集団の構成員が自分の活動について納得しており、かつ、自分以外の構成員の活動についても納得しているとき、その集団は美しい演劇である。

2-1 人間は、自分が始めた活動について、活動している間は納得をしている。納得できないのならば、それは自分で始めた活動ではないからである。

2-2 人間は、何かをきっかけにして始める。ただし、それがきっかけといえるのは、始ったことときっかけが、少なくとも始めた本人にとっては、切れていると感じられるときだけだ。このようなことは奇跡であるが、また、人間においてこのような奇跡はしばしばおきる。 

2-2-1 よい演技とは、今始った活動である。よって、再演を前提とするような演劇作品においては、同じ行為を毎回、今始めることができる人間がよい俳優であり、そのための技術が演技術とされる。

2-3 戯曲は人間が何かを始めるきっかけでり、またそういうものを全て戯曲である。

2-3-1 戯曲を制作するのが劇作家である。

togetter.com/li/5121

岸井さんの定義で特に響いたこと

ある人間集団の構成員が自分の活動について納得しており、かつ、自分以外の構成員の活動についても納得しているとき、その集団は美しい演劇である。

これは「演劇」を「仕事」や「会社」に置き換えてもこのまま通用する。つまり、人の気持ちが動いて何かを為すということは演劇も仕事も同じ。

戯曲は人間が何かを始めるきっかけであり、またそういうものを全て戯曲である。戯曲を制作するのが劇作家である。

であるならば、仕事において誰もが劇作家ではないか!自分に向けての劇作家であれ、他者に向けての劇作家であれ、そこには戯曲が存在しうるし、自分自身で創造しうる。そして、Webサイトとは企業とユーザーが何かを始めるための戯曲であり、Webディレクターとは戯曲を作る劇作家ではないだろうか。

岸井さんのワークショップで学んだことの稲田的な解釈

  1. 社会は他者との関係性である

  2. 関係性には本音と建前がある

  3. 本音と建前は夫婦や親子、組織、国などの立場と役割によって変動する

  4. 人間が何かを始めるきっかけになるのが戯曲であり、経典やサッカーのルールブック、鬼ごっこの遊び方もまた戯曲である

  5. 憲法や法律もまた戯曲であり、私たちは建前の関係性である社会活動と役割をこの戯曲に基づいて演じている

  6. 企業のWebサイトにおける活動もまた戯曲である

  7. 企業のWeb活用で問題が生じる場合は、企業とユーザーとの共通作業である戯曲が機能していない可能性がある

企業によるWeb活用の稲田的定義

企業によるWebサイトとコンテンツは企業とユーザーが何かを始めるための戯曲であり、企業およびその担当者は自社に合わせた戯曲を設計する必要がある

稲田用のまとめ

Webサイト制作という仕事やプロジェクト、チームを推進させるために必要な「言葉」をぼくは漫然と捉えていたけれど、むしろ「戯曲」と捉えたほうが近いのかもしれないと思いました。

“戯曲は人間が何かを始めるきっかけであり、またそういうものを全て戯曲である。戯曲を制作するのが劇作家である。

Webサイト制作という仕事においてチームや顧客やユーザーが何かを始めるための「きっかけ」をどう作るか。作れるか。それがWebディレクターの重要な仕事のひとつかもしれない。そう思うと目の前がちょっと晴れた感じがしますよね。あれ…ぼくだけかしら…

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