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忘れがちなひきだし

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忘れがちなテキストをしまっておく場所です。
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2018年4月の記事一覧

高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』

書店で見かけてまだ読んでなかったんだと気づいた高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』。震災直後に朝日新聞で始まった論壇時評。 2011年から2015年までの連載が本にまとまっている。 この五年でぼくたちはだいぶひどいことになった。 『ぼくらの民主主義なんだぜ』を読むと、五年前はまだマシだったんだと愕然とする。 まさか原発問題が参院選挙の争点にならないなんて五年前の誰が思っただろう? 問題は「敵」や「悪」や「怪物」が外部に存在しているのではなく、どうやらぼくたちに内在してい

格差と中二長女

録画していたNHKスペシャルを観ていたら、中二の長女が「格差ってなに?」と聞いてきた。最近、長女は政治経済のニュースによく反応する。 ぼく お金持ちと貧乏な人の差がどんどん広がってきたということだよ。 長女 ふーん。日本は貧乏な人はあまりいないの? ぼく そんなことないよ。日本は貧困層が増えてきてるのが問題になってる。 長女 そうなんだ! ぼく うん。藍みたいな子が学校に行くお金がなかったりとか。お金がないから修学旅行に行けないとか。 長女 なんでお金ないの? ぼく うーん

七転八倒

日曜の夜にひどい腹痛になった。からだは冷たいのに汗が止まらずパジャマがぐっしょりとなり(後で冷や汗だと気づいた)痛くて立っていることも横になっていることもできない。激痛というやつだ。二年前にも同じ症状があって、そのときは人生初の救急車に乗った。 激痛に襲われると痛覚と自分の吐く息と痛いという言葉の三点しか存在しなくなる。どうにかして痛みと自分を分離させて、痛みに絡めとられている自分を独立させたいと思うのだけどそんなことはできはしなくて。 痛い=自分(痛い自分痛い自分痛い自

中二長女と共謀罪

昨日の夜、共謀罪についてのニュースを見ていたら風呂上がりの中二の長女が「共謀罪ってなにー」と聞いてきた。娘はよく政治について聞いてくる。 ぼく えーとね。たとえば藍がこのティッシュを盗んじゃおうとするじゃん。 長女 うん。(そんなの盗まないよという顔) ぼく 盗んだら警察に捕まるよね。それが窃盗罪。 長女 うん。 ぼく 盗まないんだけど、このティッシュが欲しくて、どうやったら盗めるだろうかって家の間取りを調べたり友だちと相談したら捕まるっていうのが共謀罪。 長女 あ!だから

小さい手。

夕方、七歳の息子が同級生に顔を足で踏まれて泣いたらしいと妻から電話。 いよいよ来たか。そんな兆候はあったけれど。 ぼくは子どもが生まれてから決めていたことがいくつかある。そのうちの一つが、自分の子どもが苛められるようになったら「心配だけして何もしない」ということだけはするまいということ。 あと、大人になるまで生き延びさせること。 話を聞くと相手の子がふざけての延長線上らしいが、それはあまり意味がない。 そういう人間関係や雰囲気を固定させないことが大切だとぼくは経験上知って

有職料理

ここ五年くらい、ずっと気になっていたことがある。 生業として料理人の人生を歩んできた武士たちのことだ。 おそらく、江戸時代。 為政者が固定し、政治的に安定した時代に、料理人という職業が武士組織内で継続化されただろうとぼくが勝手に思っているのだ。 わかりやすく言うと、「山田大名の料理は代々鈴木家が拝命してきた」みたいなことです。もっとアイコン的に言うと、「江戸城で徳川家の食事を代々料理してきた武士」ですね。 ぼくはそんな彼らにすごく興味がある。 彼らはアイデンティティとし

九十二歳の彼女

今日は打ち合せで信濃町へ。 帰り道、トラックが突っ走る道路の中央をまっすぐ行く手押し車のお祖母さんがいたので、車を停めて一緒に脇による。 「いつもあそこの石垣に座って一休みするんだ」ということでしばし付き合う。年配者の話を聞くのは好きだ。 九十二歳の彼女から出る話がまあ興味深いこと。 曰く、息子の一人は高等学校後にブラジルに行ったが一度体を壊し、いまはパラグアイででっかい農園を営んでいる。 十八の時に日本橋の三越に働きに出た。裁縫の仕事をしてたので、布団や着物を買いに来る

誰かから何かを受け取り、また誰かに渡していくこと。

ご近所のおばあさんが亡くなった。九十歳近かったと思う。 ぼくは彼女の顔一面に深く刻まれたシワと、笑うと目がなくなるくらいの笑顔が好きで、遠くから見かけるとスススと寄っていって挨拶をした。 機会があってお家に上がったときに、彼女が若かりし頃のことを聞いた。 日常的に話慣れていないみたいだったけど、「聞かせて聞かせて」とねだると咄咄と話してくれた。 若かりし頃の家の間取りのことを尋ねると、土間があって農耕牛がいて井戸があって...と沢山教えてくれた。 高齢の方とお話する

母親とこたつでこんな話、しないものな。

昨日の日曜日は飯山の実家で今季最初の雪下ろしでした。 豪雪地帯の人はわかると思うのだけど、雪下ろしのときはいろんな話が出る。 基本、単純労働だからね。 六十を超えた母と雪下ろしをしていると、なぜかぼくの子育てについての話になった。 ぼくは習い事にも興味がないし、子どもにあれれこれ言うこともほとんどない。 宿題やらなくたって自分の責任だし、ぼくは本が好きだけど子どもに本を読めと一度も言ったことがない。 「子育てについては特にないなあ」というと、そんなことはないだろうと母が雪

必要なのはただ、知的蛮勇なのだ。『哲学の鍵』野矢茂樹

言い訳をするならば、今は夜で、まるで中学生がお気に入りのミュージシャンの歌詞をノートに書き写してしまうかのようなあの気分も言うまでもなく。 気に入ったのです。非常に気に入った。リズム、言葉づかい、態度、広げ方、捉え方、醸すもの、示すもの。 小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』ライナーノーツでのあの名文を思い出した。何かしら通低している。気分。 『哲学の謎』野矢茂樹必要なのはただ、知的蛮勇なのだ。 「必要なのはただ、知的蛮勇なのだ」も魅かれますが、下記の一文にもグッとき

舞台『マッチ売りの少女たち』の感想(2013.3)

こんにちは。 『マッチ売りの少女たち』についてぼくが思ったことを書いてみます。これはぼくの理解ですし、そもそもあの演劇でこういう理解の仕方をすること、そしてそれを他者に伝えるということは蛇足でしかかないだろうなーと思うので、専用の私信だと思ってもらえたら嬉しいです。 まず、何度も出てきた「不条理」という言葉(パンフには不条理劇とまで書いていましたね)をぼくなりに定義すると「理由を説明できない暴力」だと思っています。 ここでいう暴力とは直接的な暴力ではなく、抗えない力だと