見出し画像

小さい手。

夕方、七歳の息子が同級生に顔を足で踏まれて泣いたらしいと妻から電話。
いよいよ来たか。そんな兆候はあったけれど。

ぼくは子どもが生まれてから決めていたことがいくつかある。そのうちの一つが、自分の子どもが苛められるようになったら「心配だけして何もしない」ということだけはするまいということ。
あと、大人になるまで生き延びさせること。

話を聞くと相手の子がふざけての延長線上らしいが、それはあまり意味がない。
そういう人間関係や雰囲気を固定させないことが大切だとぼくは経験上知っている。

あと、相手に「いやだ」という意思を一度きちんと伝えること。

息子に電話を代わってもらい、一緒に行くから文人の気持ちを相手の子に伝えに行こうよと相談。

息子は「えええ…」「言えるかな…」「それを言ってもやめてくれないかもしれない…」と小さな声。気持ちはよく分かる。ぼくだってそう言う。

「言ってもやめてくれないかもしれない。それは分からないよ。でも、お父さんも文人くらいのときに同じように苛められて。すごくいやで。でもお父さんはその時は言えなくて、ずーっと勇気を出して言えればよかったと思っていたよ。大人になっても。今でも思ってる。
今日はお父さんも一緒にいくから、勇気を出して文人が思っていることを伝えてみない?」と電話で話す。

電話先でもじもじしている息子。
じっと待つ。
そのうちに「行ってみる」との返事。

その時点で遅い時間だったので妻に相手の家に電話してもらい、「糾弾するのではなく、息子の気持ちを本人に伝えに行きたいです」と説明しておいてもらう。

急いで帰宅すると息子はテレビを見ながら高笑い。明らかに心はここにない。緊張している。痛いほど気持ちがわかる。

緊張してる?と聞くと「うん」との返事。
「お父さんも勇気を出して言ったことないから緊張しているよ。一緒に勇気を出してみよう」と二人で車に向かう。小二になった息子と久しぶりに手をつなぐ。小さい手。

車内でも無理して明るい声で話す息子。ほんとうにこいつは小さいころの自分によく似てる。
向かう途中の車内で「お父さんは勇気を出して言ったことがないから文人がこれからやることはよく分からないのだけど、気持ちを人に伝えるってことで大切なことは知っているよ。それはちゃんと言うってこと。ふざけたり、冗談みたいに言うんじゃなくて、ちゃんと言うってことが大切だよ」と言ってみる。
わかったと返事してから息子は「ふざけないこと。ちゃんと言うこと」と口の中で復唱している。きっとやり方がほしいのだ。ぼくだってほしい。

ちょっと道に迷ってから相手の家へ到着。
息子は緊張のピーク。ぼくだって緊張する。

恐縮して出てきた相手のお母さんにまず機会をくれたことのお礼。
相手の男の子A君に自己紹介してから今日の趣旨を説明する。
A君、緊張して目がウロウロしている。気持ちはわかる。
「A君、今日はありがとう。これから文人が勇気を出して気持ちを伝えるから、それを聞いてくれたら嬉しいよ。それを聞いて、これからの君が何をしてもいいし、何を考えてもいいし、それは自分で決めてほしい。今日は文人が勇気を出して君に伝える気持ちを聞いてくれればそれでいいよ」

息子「今日、顔をふまれていやだったよ」
A君「今日はごめんね」

息子とA君のやり取りは互いに声が潤むものの、予定調和的に終わる。
きっとそれは仕方のないことなのだろう。自分の気持ちをきちんと伝えるなんて、そう簡単にできることじゃない。大人だってむずかしい。

「A君、今日はありがとう。これからどうするかは自分で決めてね。文人、君はこれから自分で勇気を出して言えるようになるんだよ」と二人に言って失礼する。A君、終わった途端にダッシュでリビングに駆け込んで母親に怒られる。気持ちはわかる。

車の中で息子、ほっとするがまだ緊張が抜けきってない感じ。そうだろうな。

帰宅してキッチンで妻に報告をしつつ、息子に今日のまとめを話す。

「文人は今日勇気を出せてとってもえらかったよ。お父さんができなかったことをできてすごいなーって思った。かっこよかった。
でも、本当はいやなことはいやだって自分で言える勇気があるといいとお父さんは思う。でも、きっとそれはすぐに出来ないことなんだと思うよ。自転車にすぐ乗れないみたいに。自転車だって何度も練習してちょっとずつ乗れるようになったでしょ。
だから、文人が小学校を卒業するまで一緒に勇気を出す練習をしよう。今日みたいなことがあって、自分の気持ちを伝えるのにお父さんが必要だったらいつでも一緒に行くよ。いっぱい練習して、小学校を卒業するまでにいやなことはいやだと言えるようになろう」

息子は目を大きくしながら「うん」「うん」と答えていたが、きっとこれからまた大変だろうし、本人もそれはよく分かっているんだろう。子どもの世界は一筋縄ではいかないのだ。

それはとてもよく分かっている。今日、自分がしたことが本当に正解かどうかなんて分からないことも分かっている。でも、きっと、ぼくはまたこうする。それだけは分かっている。

言えてすっきりしたーと言っていた息子も、お風呂に入って寝る前に「A君、おこってないかな…」と不安そうに呟いた。その気持ち、わかるぞ。痛いほど。
不安気な息子をハグしつつ、「怒ってるかもしれないよ。それは分からない。でも、怒っていて、またいやなことをされたら、またいやだって言おう。それはお父さん、何回でも一緒に行くよ」と答える。そう答えるしかない。そもそも答えなんてないのだ。

大人の方が子どもより何倍も自由だと思う。
それを子どもに伝えられたらと思う。
大人になったら自由になれるんだぞって。

それにしても疲れた。いつかはこういう日が来るだろうと思っていたけれど。

20140306

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?