七転八倒

日曜の夜にひどい腹痛になった。からだは冷たいのに汗が止まらずパジャマがぐっしょりとなり(後で冷や汗だと気づいた)痛くて立っていることも横になっていることもできない。激痛というやつだ。二年前にも同じ症状があって、そのときは人生初の救急車に乗った。

激痛に襲われると痛覚と自分の吐く息と痛いという言葉の三点しか存在しなくなる。どうにかして痛みと自分を分離させて、痛みに絡めとられている自分を独立させたいと思うのだけどそんなことはできはしなくて。

痛い=自分(痛い自分痛い自分痛い自分)というか、むしろ、痛い>自分(痛い痛い痛い自分痛い痛い痛い)という状況で。「自分」なんて存在はかんたんに痛みに呑み込まれてしまうということがほとほとよく分かった。

結局二時間ほど七転八倒して、いよいよ緊急外来に行こうと深夜の車で向かっている途中ですっと波が去った。二年前も救急車で向かった病院であれやこれやの後にただのブドウ糖点滴を打たれたらすっと激痛の波が去ってそのままベッドで爆睡した。
二年前はそのまま原因は分からず、今回は一応あれやこれや検査をする。週末にCTスキャンも撮る。

それはまあよくて。何が言いたいかというと、ぼくの場合、「自分」なんて存在は痛みにかんたんに呑み込まれてしまうということがほとほとよく分かったということで。
出産される方というのはほんとうにすごいものだなあと思ったり、こんなにかんたんに痛みに呑み込まれてしまうぼくは、もし何かしらの暴力的な権力やシステムや組織や圧力があったら、かんたんに自分なんてものを放り出してしまうんだろうなと実感したり。

だからこそ、言いたいことを言える状況を担保しておくのって大切だよなあと思ったのでした。ぼくがあっという間に自分を放り投げる人間だからこそ。

今回こそ検査はちゃんとやります。

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