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引き出しの奥で立っている

時々思い出してしまう出来事がいくつかある。
そのほとんどは、取るに足らない些細なことなのに、どういうわけか何度も思い出してしまう出来事。
例えるなら、引き出しの奥になぜか捨てられずあって、時折、取り出してみては、なんとなく眺めてしまうガラクタのような石ころのようなもの。いつか何かに役立ちそうで、何にも役立たない部品のようなジャンクなやつ。

数年前、まだお酒を飲んでいた頃の話。
もともと散歩が趣味な私は、好きな音楽を聴きながら夜中に近所を徘徊して行く先々のコンビニで酒を買い、酒がなくなったらまた次のコンビニで酒を買って、あてもなく飲み歩き、考え事などをするという日課があった。
それを自分の中で「パトロール」と呼ぶことによって飲むことを正当化し後ろめたさを少しでも軽減させようと努めていたが、散歩の後半には、正当化する気もなくなって、むしろ飲んでいることへの背徳感が逆にいい酒のアテとなってさらに酒が進んだ。そうして家に帰り着く頃には、酒がキマり切って酩酊。パトロールに出かけたはずが完全な不審者に成り果てて帰ってくるという愚行を繰り返していた時期があった。
もしも、その頃の自分にいま会えるのなら、すぐに行ってどついてやりたい。

そんなパトロール活動をしていたある日、数軒目に入ったコンビニで、いつもの酒を棚から取って、レジに持って行ってお会計をした際に、500円と半端な十数円をトレーの上に支払った。
その時、無雑作に出した硬貨のうちの一枚の10円硬貨が、先に出していた500円硬貨の上できれいに直立していたのだ。
レジで対応してくれていたインドネシア系の女の子が、音のない小さな拍手をしていた。

少し前に公開された映画『NOPE』のファーストカット、奇怪なチンパンジーが起こした殺人現場で、なぜか一足のスニーカーが直立しているという掴み抜群のかっこいいオープニングがあったが、それを観た時、自分の引き出しの奥にあった何に使うのかよくわからなかった「10円玉が直立しているやつ」が先に映画で使われてしまった…と、思ったことがあった。(映画はファーストカットに見合うほど面白くなかった)

この頃は、コンビニに行くことも現金で支払うことも少なくなりましたが、酒を飲んでいた頃の苦々しい記憶と共に、その光景を思い出しては眺めてしまうのです。

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