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【長編小説】平等

「平等であろうとすることは、人の病のようなものなんじゃないかって」
広告代理店で働く真面目なサラリーマン、水前寺。旅行会社で働く環境アクティビスト、前田。インフルエンサーに憧れる青年、山岡。パンデミック禍、人々が発症していた病とはなんだったのか。寿町を舞台に、無常な世界で交差する3人の視点から平等を描く、著者初の現代小説。


 

#水前寺清人


 スティック型の掃除機を振り抜く。棚の上に陳列された三つの花瓶が吹き飛んだ。空を割る雷鳴のような音がオフィス中に響く。同調するように女性社員が絶叫し、他の社員も連鎖するように何某かの声をあげた。周囲のパニックと比例するようにドーパミンが湧き出てくる。心拍数はどんどん上がり、最高に気分がいい。掃除機を握る力が増した。

 デスクの前で掃除機を天まで掲げ、パソコン目掛けて空を切り裂いた。パソコンのディスプレイは複雑な迷路のように粉々に割れ、掌から肘の辺りまで痺れが走った。
 生の実感に高揚した。痛みが脳を狂わせ、口角が上がることを抑えきれなかった。

 「おい、お前自分が何やっているのか分かっているのか!」
 上司からの怒号に、反射的に怒りは閾値を超えた。デスクの上にあるペンケースから無差別にペンやらコンパスを掴み取り「お前こそ分かっているのか!」と叫びながら思いきり投げた。そのまま前方へ加速し、掃除機の先端を槍のように構え、対象の心臓目掛けて貫く強さで突き刺した。肩を押さえて蹲り、呻き声をあげている。再び掃除機を高く掲げ、頭蓋に向けて振り落とした。頭から少しずつ血が流れてきた。掃除機の電源を入れ、吸引力を強いモードに変えて、血を吸い取った。

 赤く濡れた先端のT字部を持ち、回転した。脳内でボレロが鳴り始めた。ループするボレロのフレーズを遠心力に変換し、ジャイアントスイングの要領で大回転して見せた。いくつものパソコンや棚を薙ぎ倒す感覚があった。何かを壊すたびに感じる腕やらの痛みも、既に心地が良かった。ボレロの結びの部分と同時に、振り回していたスティック型掃除機をハンマー投げのように天井に放り、LED蛍光灯に命中した。蛍光灯はパラパラと舞い落ちて、逃走者たちの悲鳴は最高潮に達した。舞い落ちる蛍光灯はまるで細石雪のように儚く、美しかった。

 家のドアを開けると数十匹のミミズが干からびて死んでいた。アパートの管理人が生え狂っていた諸葛菜やドクダミを、全部伐採してしまったせいだと思う。植物の傘を失った土は直射日光で温暖化し、ミミズたちは地中の温度に耐えきれなくなり、オアシスを求めるように外の世界に逃げてきたのだ。しかしやっと這い出てきた天界こそが更なる地獄だった。まだ生きているミミズが二匹ほどいて、体をうねらせて玄関の方へ寄ってくる。ドアを開けて家まで招き入れた。

 しかし自分がミミズだったら夏とどう対峙するだろうか考えた。まずはより深い地中を目指すだろう。それでも暑ければ、日陰の下など少しでも涼しい場所へ、横の移動をするだろうか。モグラに出くわすと大変だから、くれぐれも慎重に引越しせねばならない。しかし問題はミミズになるとこれらの計画は全て忘れていて、考えることすらできないことだ。

 とはいえ何もせず学びを無碍にしたくなかったので、万が一来世でミミズになった時に備えて「上の世界は地獄だ」と脳に刻むように念じた。
 悪い意味で文学の香りがする朱色の賃貸アパートを背に、会社へ向かった。反町駅の長い階段を慎重に降りて、東横線のホームへ降りる。

 できるだけマスクをつけた人が多い待機列に並ぶ。目の前の赤髪の女性のスマホ画面を見ていた。画面にはユーチューバーと思しき髭の生えた中年の男性が映っていて、大きな字幕でこう語っていた。
「生きる目的なんてないですよ。別に、死ぬのが面倒くさいから生きているだけ。明日死んでもいい」
 赤髪の女性はその動画を途中まで見て、スワイプした。

 満員の東横線に乗車する。人の波に逆らわず押し込められると、ライダースジャケットを着た大学生と思しき長身の男性と、互いを支え合う満員電車的ペアの関係になる。
 乗車した車両の正面の人でその日の運勢を占っていた。ペアの男性はノーマスク。しかも若いので、コロナを気にせず感染リスクの高い友人らと飲み歩きでもしているのだろうと考えると、かなり良くなかった。しかも口が半開きである。なぜ鼻呼吸をしない。

 田園調布で目の前の席が空く。ドアが開くと、入院先からそのまま抜け出してきたような老人男性が乗車する。彼がこの席に辿り着くまで、座ろうとしてくる輩の前に身体を固め、守り、手で老人にアテンションを送り、ここに座るよう無言で指し示した。

 自由が丘に着く。うたた寝に落ちようとしている老人を一瞥して車内を出る。最後尾になるように調整して階段からホームを上がる。
前方には通話中のノーマスク男性。呼気を吸わないために、距離を置いて歩いていた。
 しかし男性は突如振り返り、呼気をもろに浴びてしまった。なぜこれが罪に当たらないのか、意味が分からなかった。
 なぜマスクをつけて感染予防に勤めている人たちが、人に感染させることを気にしない自分勝手な人々から一方的にリスクを受けなければならないのか、本当に意味が分からない。
 緊急事態宣言が永遠に続いて、一生ステイホームしてた方がまだマシな世界だと思う。

 ガラス張りのオフィスビルに着くと、エレベーターに社員証をタッチし四階に昇る。まだほとんど人のいないオフィスで、椅子に腰掛け、パソコンを開く。メールボックスに三件の新着。最初の一件は年に一度社内の新規事業コンペの知らせ。

 コンペは毎年大きなイベント会場を貸し切って、発表会が行われるほど盛大だった。今年のテーマはオフィスビル一階の活用法、とのこと。
 あとはケーキ屋チェーン店の新作ポスターの修正依頼と、外資大手のジャパンツアーイベントで相見積をとっている音響会社からの返信。

 まずカレンダーを確認し今日のタスクを確認してから、古い順にメールを返信していた。 しばらくすると出社時刻ぎりぎりに多くの社員がオフィスに入ってくる。メールの返信作業が終わると、飲料メーカーの新作コンペ案件の企画書作成作業に取り組んでいた。
「水前寺、社内コンペのメールみた?」

 後ろから触れられた肩の感触の気持ち悪さに、慌てて振り返る。同僚の狭霧だった。ノーマスクだったので、画面のほうを見つめ直して話す。
「みたよ」
 狭霧は僕の肩を揉みながら話す。後で肩を消毒することを脳内のリマインダーに入れた。
「前さ、社内保育所つくるのが流行ってるって話してたじゃん。あれ良くない? 今回のコンペに」
「ああ、いいかもね」
 企画書のファイルを開き、進捗状況を確認し始める。 
「よし、決まり。じゃ、いつブレストする?」
「いや、僕はちょっとタスク詰まってて」
「俺らならいけるって。お願い!」
 狭霧は両手を合わせていかにもな感じで言った。やりたくなかったので少しの間無視したが、早く企画書の作成に集中したかった。追っ払うために、わかったと言った。
「まぁとりあえずブレストだけなら……」
 狭霧はちょっと待って、といいスマホで自身の予定を確認する。
「よし、じゃぁ今日の十五時で」
 よろしくなと背中をポンと叩き、自分の椅子へ戻っていった。悔しくも一五時はちょうど予定が空いていた。

 十五時。社内のミーティングルームで打ち合わせを始める。狭霧はほとんど聞くばかりで、アイディアはほとんど僕が出した。そして一階に保育所兼カフェをつくる提案にまとまった。
「そしたらこれ、一旦叩き台として企画書まで落としておいてもらえるかな? 俺の方でももう少し企画広げて考えてみるよ」

 僕は彼のタスクのファジーさと、タスク量の違いに違和感を感じ、あからさまに嫌な顔をする。しかしこれは自分がやった方が確実に早そうなことなので、渋々了承した。

「分かった。でも、他の案件で結構詰まっていて、今後を考えると協力者がもう何人か欲しい。集めておいてもらえる?」
 狭霧は了解したと溌剌に答え、それぞれ帰路についた。
 
 立て付けの悪い家のドアを閉めるには、勢いをつけて強く閉める必要があった。とはいえ夜も遅い。見たこともない隣人のことを気にかけ、できる限り静かにドアを閉めた。

 手洗いうがいと鼻うがい、アルコールスプレーで全身消毒を済ませ、スーツを脱いですぐにシャワーを浴びる。
 湯上がりにはパスタを茹でる用の鍋でお湯を沸かしつつ、白い皿にキャットフードを盛って、ベランダへ置く。

 ミックス柄の野良猫「エリンギ」が注文した料理を待っていたかのように、堂々とベランダやってきて、食べ始める。飼っているわけではなかったが、いつぞやの夜からここは猫食堂になっていた。

 初めてベランダで夕飯を食べていたら、近づいてきて鳴いて乞うものだから、焼いたエリンギをあげた。そして懐いた。翌日もやってきたこの野良猫を取り急ぎ「エリンギ」と名付けた。エリンギは食べ盛りで、食べてはすぐににゃーと注文をしてくるので、まずはキャットフードを与え、少しでも腹を満たしていただいた後に、自分の食事を与える運用方針にしている。

 僕はテーブルにキャベツのペペロンチーノとパソコンを起き、ニューズピックスのユーチューブで最新の動画を見ながら食事をする。食前にはカルシウム、マグネシウム、亜鉛のサプリ、食後にはマルチビタミンとビタミンD、5-ALAのサプリを飲む。

 食後はすぐに食器を洗い、ベッドに腰掛けスマホを見ると、母からラインが来ていた。
 十年ぶりに海外に船旅へ行ってきます、とのことだった。両親は二人で小さな定食屋を営み、僕が生まれた頃からずっと働いてしかいなかった。バイトは雇わずに、二人だけで忙しく、けれども丁寧、誠実に接客し、母と常連の男性客が親しげにしている姿に嫉妬したこともあった。真面目にこつこつ、一歩一歩、という二人だったから、僕は水前寺清人なんて名前になった。

 いってらっしゃいと返すと、次は無料キャンペーン中だったので、とりあえず入ってみたオンラインサロンからプッシュ通知。新たなウイルスが流行り始めているといった旨の投稿。
 それはWest Africa Respiratory Syndrome略してWARSと名付けられていて、西アフリカ発祥の新型ウイルスなのだという。西アフリカ南部の村落でウマヅラコウモリを食用としている文化があり、そこに訪れた日本人ユーチューバーが感染元とされていた。症状は新型コロナと似ているが、一度疾患すると一生免疫不全になるという。

 どうせフェイクニュースだろうと思った。新型コロナの新株も依然現れ続けているのに、これ以上堪ったものじゃない。投稿文は、ウイルスは地球のリズムであり、調整役。我々はウイルスと共に生きるしかないという文末で締めくくられていた。


 
 翌日、満員電車の中。ここは米粒を圧縮したおにぎり的空間だと思った。社会的な属性なんて関係なく、ただの米粒の集合として、概ね均等に不快を分かち合える意味で尊い。

 目の前の女子高生のスマホが目に入る。西アフリカでコウモリを食べてみた、というユーチューバーの企画だった。昨夜見た情報と重なった。気になってXで調べてみた。事の発端は、このユーチューバーが帰国後体調不良を投稿すると、フォロワーの一人が西アフリカで流行っている感染症を示唆し、ユーチューバーの体調悪化と共にあれよあれよと広まり、WARSという名前になったのだという。

 しかしこれで危機感が高まって再び皆がマスクをつけ始めるなら、良いことにも思えた。
 社内に入ると給湯室でジョウロに水を汲み、パキラに水をやる。昨夜の帰りひどく土が乾いていて、気がかりだった。誰もいないオフィスなのに空気は澱んでいて、パキラを眺めながらやはり不憫に思った。パキラとロッカーの間には薄い蜘蛛の巣が張られていた。

 今日のミーティングで、自分の関わるキャンペーンイベントのメンバーは半分が体調不良で欠席だった。彼らのSNSを見ると、二人はキャンプ、一人はクラブに行っていた。なぜ大事なイベントの前に高リスクな予定を入れるのだろうか。自分は本番二週間前になると、遊びはおろか、スーパーにすら行かずできるだけ引きこもり徹底して対策しているというのに。

 自滅するのは勝手だが、休まれた分だけ真面目に体調管理をしている残ったメンバーが、過労しなくてはならないのはおかしい。
 とはいえ体調不良を非難すれば非人道的だと思われるのは僕の方で、貧乏ゆすりをしながら、どうせ読まれもしない議事録を書いた。

 昼休憩で社食へ。カツ丼が食べたい気分だったがそれは我慢して、納豆とキクラゲ、牛蒡など、できるだけ発酵食品と食物繊維、ビタミンDが豊富ないつものメニューを選ぶ。 コロナが始まってから僕が食堂で選べるメニューは日替わりを除いて、栄養素的に二パターンのみだった。

 出来るだけ人口密度の低いエリアを探して、おぼんを置く。できるだけマスクを外す時間を減らしたいので、席に着くと掻き込むように素早く食事を済ませ、マスクをつける。できるだけよく噛んでゆっくり食べたほうが身体の負担を減らせるというのに、不条理だと思う。

 デスクに戻って午後の仕事を始めると、同じプロジェクトのチームは皆喫煙室で煙草を吸っていた。喫煙者は煙草を吸わないと仕事にならないのだという。自ら始めた悪癖なのに、まるで生まれながらの持病のように語られても、徳川綱吉でも憐れみを持てまい。 喫煙者にだけ許されたブレイクタイムに苛立ち、気づくとクライアントへのメールの返信がいつもより短文になっていた。これは良くない。彼らには関係ないことだ。仕事はキレたら負けのゲームだと昨日夕食時に見ていた映像でも言っていた。

 健康のため立ち上がり、自販機まで歩いた。自販機前のベンチには狭霧がコーヒーを飲みながら座っていた。
「お、サボり?」
 揶揄うようにそう言う狭霧のスーツからは、煙草の汚臭がした。見えるように眉間に皺を寄せる。
「企画書どんな感じ?」と狭霧は言った。
「半分くらいできたかな」
「おお、さすが仕事が早いねぇ」
「そっちはどう?」と聞くと狭霧はゆっくりコーヒーを飲んでから答えた。
「なかなか見つからんねー」
 いかにも適当に、まだ何も着手してないであろうとことが伝わる語勢だった。
「あ! そういえば今日同期と飲み会があるんだけど、水前寺も来いよ。飲みの席で口説こうぜ」
 都合のいい誘い。リスクも高いので即断りたかったが、飲み会に誘われたこと自体が本当に久しぶりで、少し嬉しかった。それを表情で悟られないように真顔を保った。

 これだけ我慢してきたのだから、たまにはと、魔が差し、つい「何時?」と聞いてしまった。別に何時でも空いていたので、行くことになった。

 横浜駅近のビルのテナントに入った大衆居酒屋。店内はたくさんの客で盛り上がっていて、確実に感染するなと絶望して、入った瞬間来たことを後悔した。
 皆はビール、僕は烏龍茶を飲む。話題は別の飲み会の話ばかりだった。上司の愚痴といか如何に機嫌よくさせるかが交互に話された。この業界は上司に気に入られた順に出世する。こいつらはそうやって次のおだてられ役になっていく。なんて虚な世界だと思うが、こいつらみたいに笑えない僕の方が虚なのだろうと、烏龍茶の水面を見る。茶色い。そしてふと猫食堂の開店時間を思い出し、腕時計を見る。

「なに、水前寺、終電早いの?」と狭霧がそれに気づく。
「あ、あぁ、そうなんだ。今日はちょっと早くて」
 終電の早さに今日も明日もないけれど。
「そっか。じゃぁ俺らもぼちぼち解散するかな。店員さん、お会計!」
「あぁいや、み、みみ」
 みんなは飲んでてと言いたがったが吃ってしまって、その間に店員がやってきて会計確認を始める。
「じゃぁ一人四千円で」
 烏龍茶しか飲んでないのになと違和感を感じながらも、この会を幕引きさせてしまった罰金だと思って、紙幣を四枚手渡した。店を出るときも急いでいる風に、早足で帰った。


 
 そして今日も無事食堂を閉店できた。帰ってからは二度鼻うがいをして、食物繊維とプロバイオティスクスの錠剤を飲んだ。
 つまらなかったとはいえ、魔が差して飲み会に行ってしまった自分を罰して、ユーチューブで作業用のボレロMixを再生し、コンペの資料作りに取り掛かる。三時間集中して、九割は完成させた。あとは明日の朝にやろうと、休憩がてらなんとなくテレビをつける。

 アメリカで黒人の反差別デモの様子が報道されていた。警察と衝突し催涙弾を浴びせられる群集。痩せ細った青年が涙ながらにカメラに叫んでいた。俺たちはもう何十年も変わっていないんだ、と。
 その涙が悔しさや怒りによるものなのか、催涙弾によるものなのか分からないが、彼は泣きたくて泣いてるわけじゃない。きっと何十年も、暮らしの節々で。

 タバコのヤニのように染みついた文化的汚れ、落とすべきか、壊すべきか。
 テレビを消して、ベッドに入る。寝る前にサロンのグループチャットを見る。WARSの感染者は日々増え続けていて、専門家によるエビデンスとなる記事も出ていた。 
 
 早朝、企画書を最後まで仕上げ、狭霧に確認のメールを送る。電車内では運よく座れ、睡眠不足で気絶するように眠っていた。
 オフィスに着くとパキラに水をやる。コンペ資料に補足した方がいい情報が浮かび、デスクに戻って資料の追記をする。 
 一通のチャットが届く。今日予定していたミーティングをリスケしてほしいと狭霧からの連絡だった。

 せめてリスケ日の提案を待っていたが、それもなかった。仕方なく自分からリスケ可能な候補日を連絡した。なぜいつも自分からミーティングの段取りを進めなければいけないのだろう。

 新たな協力者についての進捗も一切なかったが、もう必要なフェーズでも無くなった。 狭霧が入っているチームでは大手コンビニチェーンのキャンペーンがバズり、社内外で話題になっていた。彼はあからさまにウェイトをそちらに乗せ、社内コンペの打ち合わせはその後もリスケが続いた。

 たまたま成立したオンライン会議でも、狭霧は必ず遅刻した。待機画面で待っている間、黒い画面に自分の顔が映る。「もうやめよう」と黒い画面に映る自分は諭した。そうだと思う。もうやめよう。ただ、ここまで一人で作り上げた企画を捨てるのは、もったいなくて、悔しかった。

 自分のプロジェクトとして単独で提案することもできるが、最初に狭霧に誘われて始めた以上、それをするには良心の呵責があった。


 
 帰り道、深夜のコンビニ。おにぎりを二つ買う僕の横でおにぎりの列を見つめる女性は、牛バラ焼肉弁当を手に取ってカゴに入れた。カゴには牛乳と栄養ドリンクが入っていた。シャネルのバックを持った彼女は、死んだような声でセブンスターを店員に注文し、虚な顔でコンビニを出た。この人はクリープハイプの歌を聴いて泣くんだろうなぁと思った。僕はそれを想像してちょっと泣いた。
 


 翌朝の横浜は僕の平熱を超え、今年最高気温を更新した。横浜駅は咳をしながら歩いている人がいつもより多かった。コロナかもしれないし、WARSかもしれない。
ノーマスクで行き交う人々。目の前から歩いてきたおじさんは、くしゃみをするときだけマスクを外した。一体なんなのだろう。

 マスクをつけるだけで一定のリスクを減らせるのに、つけてない人は人を殺したいのだろうか。殺意に対して自衛的殺意が自然と芽生えてくる。ここにいるノーマスク全員を片っ端から殺したい。

 皆が少しだけ気を使えば解決する問題なのに、全体が全体のことを思うことはそんなに難しいことなのだろうか。世界中が幸せになることはできないけれど、少しずつ不幸を分かち合うことはできるなら、後者を選ぶのが自然じゃないのか。

 どこかが絶望的に麻痺しているこの世界。終わるしかないという予感を持っているのは、きっと僕だけじゃない。
 
 オフィスロビーに着くと、遠く正面から歩いてくる狭霧を見つけた。彼のインスタを見て、昨日大人数がいる会食に参加していたことを知っていた。なので、できるだけ近づきたくない。迂回してデスクに回ろうとした。

「水前寺」と彼は小走りで近寄ってきた。こちらのして欲しくないことが分かってやっているのだろう。
「いや申し訳ない。最近忙しくて」
 狭霧は汚い笑顔で唾を吐き散らして言う。心なしかいつもより距離も近い。ナイフを持っていたら腹を刺していたと思う。
「企画の提出、代表者がエントリーすることになっているから。フォーム入力よろしく」

 できるだけ感情を出さず端的に必要なことを早口で伝えた。コンペの締め切りまであと三日に迫っていた。
「ああ、分かった。それはやる」と狭霧は言ったあと、スマホに着信があり、悪いと言って、電話に出る。クライアントとの電話だろうか、一転して明るいトーンで楽しそうに話している。知っている。それができる方が優秀なビジネスマンだ。

 オフィスに入ると全員ノーマスクだった。終わった、と今日も絶望的な気分になる。それでも今できることをしておかないと、後悔が残ると思ってマスクの鼻を摘んだ。

 正午。狭霧が参加しているプロジェクトのキャンペーンが四半期で最も成果を出した企画として、社内で表彰されていた。大きな拍手。ちやほやされる面々。僕はオフィスの片隅にある掃除機を見つめていて、これは武器の形をしているなと思っていた。どこをどう握り、どう振るうか、想像していた。


 
 その夜、食堂にエリンギは来なかった。この暑さで倒れてしまったのかもしれないし、交通事故に遭ったのかもしれない。分からないけど、仕方なかった。仕方ないけど、哀しかった。

 見知らぬ電話番号から着信が入る。
「もしもし、こちらは海上保安庁の安藤と申します。本日起きたハワイ島沖でのクルーズ船の転覆事故の件なのですが、乗客の中に水前寺様のご両親が乗船しておりまして……」
 知らない事故だった。慌ててテレビをつける。ちょうど報道で転覆事故の映像が映っていた。巨岩にぶつかり大破したクルーズ船、右上には乗客全員死亡、邦人二名の文字。

「当局が確認した結果、お二人とも無事ではなく、お亡くなりになったことをお伝えしなければなりません」
 回りくどい言い回しに一瞬当事者性が持てなかったが、お亡くなりになったという響きは胸を貫通し、汗は一気に冷えた。心拍が急激に早くなり、胃の中に魚が泳いでいるかのように気持ち悪く、吐き気がした。

 その後電話越しで深い哀悼の意を示していることや、今後必要な手続きや受けられるサポートについての説明が終わり、呆然としたまま外に出したキャットフードを見た。
 自分がここにいるのか分からなくなり、輪郭を確かめるように頬を撫でるが、触っている感覚も触られている感覚もなかった。
 
 キャットフードは一晩出しっぱなしにしてみたが、翌朝には蟻が群がっていた。ドアを開けると十匹以上のミミズがアスファルトで干からびていた。息絶え絶えに鳴く蝉の声が、諸行無常を唄う。

 九割以上がマスクをつけない満員電車の中で、目の前のノーマスクおじさん二人が芸能人の不倫ゴシップの話をして、唾を吐き散らかしていた。どうでもいい。本当にどうでもいい。こいつらの存在がどうでもいい。

 イヤホンで耳を遮断し、目も瞑った。呼吸も止めてしまいたかったが、止められなかった。その分、鼓動を強く感じた。
 デスクに座ると手を休める暇もないほど夥しいメール返信と資料作成に追われた。たびたび昨夜の電話が頭を過り、津波のような悲しみに飲まれそうになった。

 その度に大きく深呼吸して無理やり仕事に集中し直した。いつもより丁寧にメールを打つ、資料のデザインに細かくこだわる。そんなことでしか正気を保つ術はなかった。

 社内コンペももう明日で締め切りだ。狭霧は本当に提出するだろうか、いや、しない。自分でやるしかない。エントリーページのタブを開いて、できるだけ高速にタイピングして、情報入力を済ませ、エンターキーを押して完了させる。代表者は自分の名前にした。作業量から考えて、当然のことだった。狭霧とはもう二度と仕事しないことを誓った。
 


 夕暮れ。帰り支度を始める社員もいる中、休みなくしていた仕事に一息入れる。背もたれに寄りかかると、どっと疲れが押し寄せてきた。喫煙室から戻ってきた狭霧が背面を通ろうとする際、呼び止めようと思ったが、話すことも厭われ、社内チャットでDMした。

「社内コンペのエントリー、こっちでしておいたから」
 DMはすぐに既読になり、返信が来る。
「代表者しかエントリーできないんじゃなかったっけ」
「ああ、だから自分の名前で出しておいた」
 そこから既読はつくもしばらく返信がなかった。外は甘く煮詰めた金柑が溶けたような夕日が落ちていた。
 社内には「お疲れ様です」「お先失礼します」と至る所から聞こえ始める。僕も帰り支度をし始めたところだった。

「お前もか……?」
 背後には狭霧が立っていた。声は震え、目は赤く潤んでいた。手にはスティック型の掃除機を強く握り締めていた。
「は……? なんのこと?」
 僕はわけもわからずそう言うと、狭霧は掃除機を両手で握り、大きく振りかぶった。
「お前も俺の仕事を奪うのかって聞いてんだよ!」
 雷が落ちたような突然の衝撃に、今何が起きているのか分からなかった。そして腕の痛みがじわじわとやってきて、現実に起きたことが整理され始める。

 掃除機で袈裟斬りされた。僕はそれを咄嗟に腕で防いだ。近くにいた女性社員が絶叫する。それに応じてフロアの全社員の注目が集まり、ざわめき始める。
 狭霧はそのまま背後に掃除機を振り抜き、棚の上に陳列された三つの花瓶が吹き飛んだ。花瓶が割れる音が雷鳴の如くオフィス中に響く。皆僕と同じ、突然の出来事に言葉を失っていたが、狭霧が再び上へ掃除機を振りかぶると、いよいよ声が聞こえてきた。

「おい、狭霧やめろ」一人の声が聞こえると、同調するように周りも異口同音に声で抑制しようとする。近づくものはまだいない。
 天高く振り上げられた掃除機は、僕のパソコン目掛けて一直線に振り下ろされた。パソコンのディスプレイは複雑な迷路のように粉々に割れた。僕もいよいよ自分の意思がはっきりしてきた。

 おい、お前、それをやるなら僕のほうだろと強く思った。
 狭霧は声を荒げる周囲を見渡した。デスクの上にあるペンケースから無差別にペンやらコンパスを掴み取り、上司の男性を見つけると掴んだ文房具を思い切り投げつけた。上司が防御の姿勢をとり思わず目を閉じている間に、狭霧は前のめりの姿勢で突進した。掃除機の先端を槍のように構え、上司の心臓目掛けて貫く強さで突き刺した。上司は胸を押さえて蹲り、呻き声をあげている。

 狭霧は再び掃除機を天まで掲げ、頭蓋に向けて振り落とした。鈍い音が響き渡り、社員の多くは逃げ出した。上司の頭からは血が流れ、意識を失っている。狭霧は掃除機の電源を入れ、吸引力を強いモードに変えて、血を吸い取った。

 狭霧は赤く濡れた先端のT字部を持ち、身体を回転させ、いくつものパソコンや棚を薙ぎ倒した。振り回していたスティック型掃除機をハンマー投げのように天井に放り、蛍光灯を弾け飛ばした。周囲は絶叫し我先にと逃げ出す中、狭霧の背後から近づいていた男性社員複数名に、狭霧は力づくで取り押さえられた。 
 
 その後、狭霧は力無く警察に引き渡された。犯行動機について、ストレスが限界に達していたと供述していたらしい。あのコンビニのキャンペーンは自分の企画だったと主張し、その手柄を上司に奪われ、自身は企画協力としてクレジットされたことに憤っていたのだと。過労が続き、好きでもない酒やタバコの付き合いが増え、身体の不調が続き、僕までもが仕事の手柄を奪おうとしたことに、キレた、とのことだった。

 凶器については、以前から掃除機が武器の形に見えていたと話し、唯一の共通点が見つけられた。もし狭霧が振り回していなければ、恐らく僕がやっていた。他人事ではなかった。狭霧は当然クビとなった。僕も翌日に退職届を出した。

 時は巡り秋。新月の夜空、霧のように薄い雲の流れを、窓際のベッドから見ていた。ヒビの入った腕は完治したが、まだ社会に復帰できる気持ちではなかった。
 ただ寝て、かろうじて一食つくり、食べるのが精一杯だった。まだ貯金はだいぶあるけれど、いずれ枯渇する前に、家賃や光熱費のため働かなくてはという焦燥感が胸を締め付け、苦しかった。

 スマホでオンラインサロンの投稿を眺めていると、主催の白川さんがセドナのレッドロックの上に立ち、両手をあげて叫んでいる写真と共に「世界は自由だ、小さくまとまるな。WARSから逃げろ」と投稿されていた。

 彼は自らを自由人と名乗り、世界中を旅しながらその様子をサロンに度々投稿していた。 いかにも人たらしな愛嬌の良さと、自由に生きるライフスタイルに、あるいはそれができるほどの資産形成の方法に興味を寄せられた十万人を超えるフォロワーがサロンに集っていた。

 一方で彼は反資本主義的な信念を持っていた。ディープステートを批判し、山でのサバイバル術や自給自足の暮らしを撮った動画を投稿し、自由な生き方を推奨していた。
 それに影響され会社を辞めたサラリーマンたちがサロンを拠り所として、信仰し、強いフォロワーとなってユーチューブチャンネルを運用したり、講演会を開いたりして、サロンは益々影響力を増すようになっていった。

 その模様を眺め、こうはなるまいと思っていたが、気づけば僕も会社を辞めて、サロンを毎日眺めている。このまま白川信者となってしまったら、むしろ自由とは程遠くなる。 けど「小さくまとまるな」はその通りだ。これからを考え直そう。そもそもこの社会は復帰に値すべきものなのか。いつの間にか社会人になっていたけど、もうそうである必要はないのではないか。
 誰のものでもない地球を区切り、管理する不動産という概念そのものの不自然さも感じる。家賃を払うことに勤しむことが酷く仕様もなく思えてくる。

 猿山の頂点で構造的利益を受益する奴等のルールに従う必要はない。本来僕はどこにでも住んでいいし、戻らなきゃいけない場所もない。この家に閉じこもっているから開けないのだと思い立ち、家を出てどうやって生き残るかを考え始めた。

 どこで暮らすか、何をして何を食べるか、思考が一気に開けていった。快楽と活力が湧き出した。アマゾンを開き、大きなキャリーケースと、これから必要になりそうな道具一式を注文した。家のものは全て回収業者に処分を発注し、五日後の昼過ぎには家を旅立った。

 キャリーケース一つ。足取りは軽かった。市営地下鉄で関内駅まで行き、マリナード地下街へ入る。路上の先住民たちが、各々の個性で如何にも移動可能な住居を連ねている。可動産という最先端の生活様式。素晴らしい。立ち込める小便の匂いすらも、自由な世界の印だと歓迎して吸い込んだ。

 伊勢崎モールを下っていると、商店街の古い歯医者から中年の男性が腰を曲げて出てきた。「楽じゃない」と呼気を多めに呟いた。そして少し間を空けてからもう一度「楽じゃない」と言った。誰かに聞いてほしいのだろうけれど、誰に聞いてほしいのだろうか。

 脇道に入るとコリアンタウン、チャイナタウン、ベトナムタウンと各国の言葉が飛び交い、商店が並ぶ。日本語の記載のない店も多く、よもや自治区の装いをしている。
 寿町方面に向かう途中の公園にはロケットや宇宙センターを模した遊具があり、その周りで中国語を話す子ども達が大勢でドッヂボールをしていた。他の子は砂場で淑やかにおままごとをしていた。

 寿町に入ると途端に老人の数が増える。路上には警備服を着た老人が等間隔に並んでいる。
 路面の傍では完全に歯の抜けた老人達が三人で座り、タバコを吸ってロン缶の酎ハイを飲み、その周囲には夥しい数の鳩がいた。
 一泊千七百円の安宿とコインランドリーが立ち並び、タバコや小便やその他よからぬものの汚臭と、コインランドリーの石鹸の香りがそれぞれ主張し、激突していた。

 中央エリアまで進むと灰色の教会があり、その横では老人が立ちションをしている。
 向かいの酒屋の壁には「創ろう、きれいな街、誇れる街」と書かれた伊勢崎警察署の張り紙が無念そうに貼られている。

 いよいよここからだ。オープンワールドな世界へ胸を高鳴らせる。まずは寝床を確保すべく、雨風が凌そうな建物の狭間を探した。
 寂れた居酒屋と安宿の間を見つけ、ダンボールとブルーシートで簡易的な家をつくってみた。

 施工が完了すると、寿公園の建材ベンチに座り、サブスクの携帯充電器でスマホを充電しながら、オンラインサロンのグループを見ていた。
 投稿されていたグラフを見るとWARSは日々感染者数、死者数が急激に増加していた。初期症状として蕁麻疹のような肌の発疹が現れ、その後息苦しさや自律神経の乱れ、咳を伴う高熱が続き、肺炎、免疫不全に至るのだという。

 感染者による経過記録の投稿や、海外の医療機関が作ったインフォグラフィックなど、エビデンスは日々増えていった。
 掃除機で殴られる数日前から、左腕に発疹が出ていた。痒みもないし、熱もないが、これも初期症状だろうかと訝しんだ。

 翌朝、怒号と共に起きる。
「おい! お前勝手にここを使うな! 出ていけ」
 隣の居酒屋の店主と思しき男性が激昂し、今にも暴力を振るってきそうだったので、謝りながら慌てて荷物をキャリーケースに詰めて、通りへ出た。
 店主が店に戻る後ろ姿を遠目から見ていた。そしてすぐにそれを恥じた。怒られたら謝る、リスクが起こる前に回避する、社会的条件反射。これから自然で生きていくというのに、社会に毒された習慣がいとも容易く発動してしまった。恥ずかしい。情けない。

 伊勢崎モールまで出て、今夜野営できそうな場所を探す。街頭では憲法第九条改悪に反対をする高齢の集団が叫んでいる。
 白髪で眼鏡をかけた女性が「こんにちは、民意です」と言って僕にビラを手渡す。そういうこともあるのかと思った。
 お菓子屋の前では小学校低学年と思しき少女が「ママ知ってる? 板チョコって無限に食べられるんだよ」と言っていた。残念だけど、甘い世界は永くは続かない。

 僕は行く宛の目星もつかぬまま、とりあえず海の方まで歩いた。山下公園に着き、バラ園の美しいシンメトリーを越えてそのまま真っ直ぐ進む。
 そこには五芒星の石像があった。やや青みがかった灰色の石像。その影に僕は腰を下ろし、海を見つめる。道中、泡のように浮かび上がっていた思考をまとめはじめた。

 海を見つめていると、両親との普通で豊かな日々の記憶と、取り返しのつかない喪失の絶望感が蘇ってくる。左腕の発疹を見つめると、掃除機で殴られた鈍い痛みが蘇ってくる。それは狭霧から受けたこれまでの不条理への怒りも誘発させた。胃を万力で締め付けられるような苦しみを、そのまま脳のエネルギーに回すように思考した。

 脳の回路が焼き切れるまで容赦なく考えた。 数分後。結論。
 感染症だけは平等だった。誰もが平等に不幸せになれる。これしかない。人は皆幸せになることを選べない。平等になるためには、不幸を少しずつ分散して受け持つしかない。そのためには感染症がいい。特にWARSはワクチンもない今なら、貧富や環境の差もなく誰でも平等に罹りうる。 

 マスクを外して、捨てた。ポイ捨てしたことは人生で初めてだった。これまで加護を受けていたあらゆるものが全てなくなると思った。もうどうでもいい、自分だけ我慢する必要なんてない。自分を媒体にWARSを徹底的に広めて、ノーマスクを全員殺す。全体が全体を考えられるようになるまで、この身体を社会のレーキにしていく。

 頭を掻き毟り、首を高速で左右に振りながら「あああああ」と腹から声を出した。自分の声ではないほど芯が通った声。最後に「ああ」と残った空気を全て音に変えて海に解き放ち、立ち上がった。

 立ちくらみ、光景が歪む中、振り返り、美しいシンメトリーを直進すると、そこには噴水があった。どちらかに曲がらなくてはならないので僕は左に曲がった。それは遥か昔から決まっていたことのように思う。


 
 僕は渋谷に向かった。大量に人がいる駅の構内、センター街、クラブ、リスクの高いところを思いつく限り回った。想定通りこの街では誰ひとりマスクをせず、大声で唾を吐き散らし、換気もなく最大限のリスクが蔓延っていた。
 この街で人はコンビニの商品棚と同じように、消えては補填され、差し替えられていく。まるで初めから何も変わっていないように。コンビニのお菓子の重量と同じ重さの命たち。

 僕はその足で宮下パークへ行く。各テナントを何も買わずに巡回する。渋谷に空気を吸いに訪れているのは恐らく僕くらいだろう。 ワニの服の店の前の花壇に座った老父が、不味そうにスムージーを飲み、ワニを見つめていた。なんとなく気持ちが分かる気がした。

 階段を登って屋上まで行く。芝生、スタバ、カップル、ファミリー、休憩中のサラリーマン、鳩。ホームレスたちを排他して作り上げられた公園の、なんてことない普通に胸糞悪い光景。

 スタバの横には鮮やかなビタミンカラーの小さな移動屋台があって、緑黄色の野菜や果物が並べられていた。僕はそこで林檎を手に取った。手に馴染む円形の質量、夕焼けを凝縮したような色彩。

 店員が売り文句を繰り出す前に、僕はそれを一つだけ買った。林檎を持つと、歩きながら時折に鼻に持っていき、匂いを嗅ぐ。
 ビーチバレーの練習をする家族を横目に進むと、右手には三メートルほどの灰色のプラスチックブロックに、不自然な色の取手がつけられたボルダリングウォールがあった。

 大人も子どももそれを登っていた。その頂上には黄色の猿が何か枝のようなものを空に掲げて、聳え立っている。親と思しき大人が頂上まで登り切ると、そこから降りられなくなり、下にいる子どもがそれを笑っている。
 こいつだ、と思った。この猿のボルダリングウォールが諸悪を象徴していると直感した。

 公園を降りて、道玄坂の方まで長く街を歩いた。陽は落ちて、円山町の裏通りの電灯が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、肆にも美しい眺めが照らし出されていた。電灯は陰影を増殖し、ついてまわる影法師の数だけ存在が希釈されるようだった。

 空の濁りや渦巻く羽虫の群れが禍々しい世界への入り口をつくり、得体の知れない不吉が闇から顔を出す。手に握った林檎が酷く冷たく感じた。慌ててバックに仕舞う。

 ーーつまりはこの重さなんだな。

 僕はあのボルダリングウォールを爆破することを決めた。


 
 神宮通公園のトイレで一泊した。通勤ラッシュの時間帯を見計らって東横線で横浜駅まで戻った。車内では爆弾の作り方をネットで調べていた。それはいとも簡単に見つかり、作るための素材も簡単に集められそうだった。年明けの実行を計画し、オンラインサロンに、初めて自己紹介の投稿をした。世界を平等にするためWARSの感染を広げようとしていること、象徴を破壊するために宮下パークのボルダリングウォールを爆破すること、その予告日時などを書いた。

 駅に着きドンキホーテでキャットフードを買うと、前の家まで向かった。街路樹の大きな葉をちぎって皿にして、たっぷりキャットフードを盛ってベランダに置いた。
 再び駅まで戻り、みなとみらい方面に向かう途中。アンパンマンミュージアムへの道案内を示すため、床にアンパンマンの顔が描かれていた。踏み絵のように思ったので踏んでいった。

 みなとみらいの空はいつの間にかロープウェイが走るようになっていて、あの開けた空は失われていた。この世で最も切り裂きたいロープだ。街中では人流の多い施設を周り、何も買わず空気だけ吸って回った。帰りは桜木町駅から石川町駅に向かい、歩いて寿町へ戻った。

 ガラス張りの介護施設の中ではチープに飾り付けされた部屋に一人の老人がベッドに眠り、テレビを見ていた。僕はガラス越しにその老人を見ていた。色々な自由がここには存在している。

 夜の帳が下りる頃、闇に紛れて寿公園内に家を広げた。夜になると路上の先住民たちが集まり始め、同じように家を広げていた。
 ちょうどお向かいさんの位置に、黒いセーラー服を着た老人がダンボールを広げ始めた。ご近所に挨拶に伺った方が良いだろうかと逡巡していた。こなれた手つきで設営を行う老人に隙はなく、様子を窺っていると、背後から別の老人がやってきて、何かを話し始める。

 抜け切った歯と強い訛りで、何を言っているのか聞き取ることができず、安い酒の匂いだけがした。老人は言葉が伝わらないことを諦め去っていったが、恐らくあのセーラー服の老人について何か話してくれていたのだと思う。 
 寿公園には警察や民間のパトロールが訪れ、簡易宿泊所や生活保護の申請などを勧められるものの、強制的に収用されることはなかったので、僕はこの場所を主な拠点に暮らし始めた。

 ところで、一向に感染しなかった。体調に変化がない、どころかむしろ日々運動できていることで、以前よりも快調だった。そのことに少し安心感を覚えている腑抜けな自分もいた。

 非日常な生活が日常に溶け込み始めると、当時の決断が気の迷いにも見えてくるので、それに抗うように日々足が棒になるまで歩いたし、不食をしたり、中村川で沐浴したり、日常が訪れないように異常をして逃げ続けた。
 常に外を志向して、実践しなければこの自由が、社会的で一般的な過去の積み重ねた自分自身に侵されてしまう。

 路上の先達等が、商店に置かれたアルコール消毒液をパクリ、水で薄めて、桑の実で風味づけをすると酒として飲めるという話をしていて、僕もそれを真似た。
 飲んでからしばらくはバッドトリップし、二、三日は腹痛と頭痛に苦しんだ。何も胃に入らなかった日々の明け、慈善団体による炊き出しが寿公園で行われていた。

 豚汁が振舞われていた。秋も暮れ、最高に食べ頃な時期だった。大学生と思しき若者に注がれたプラスチックの器を両手で受け取り、熱さが手に染みないうちに地面に置き、啜った。五臓六腑に染み渡った。できるだけ長い時間をかけて、大切に食べた。お金では買えない食事の境地を感じる。

 夕暮れになると慈善団体は片付けをし始めた。僕はそれをなんとなしに眺めていると、二十代前半と思しきノーマスクの女性と目があった。女性は微笑んでこちらへ近づいてくる。長い黒髪に、目鼻立ちがくっきりしていて、痩せたモナリザのような造形をしていた。

「ここで暮らしているんですか?」
 と彼女は言った。僕は地面を向いて頷いた。しばらく風呂にも入っていないし、歯も磨いていないので、彼女が不快な思いをしないうちに去ってもらうための、気配りだった。
 しかし彼女は距離を詰めて、しゃがみこんで話を続ける。

「簡易宿泊所があるのはご存知ですか。仕事が見つかるまでの間、一時的に無料で泊まれる制度があるんです。これから一層寒くなってきますし、よければご案内させてください」
 と彼女は言う。彼女の中でそれは疑いようのない善意であり、正しさであるが、僕には再び社会という監獄に戻される任意同行のように聞こえた。

「検討しておきます」
 と社会人生活で身につけた、話を終わらせるためだけに存在する語句を久しぶりに用いた。善意に対してなんとも殺生な返事だと自覚した。
「まだお若く見えるのですが、これからやりたいこととかないのですか?」
 彼女はまだこの言葉の拒絶性を知らない世界にいるのだろうか、善意の営業を続けてくる。このまま路上で暮らすことは、命に関わるということを、どこかで学習してきたのだろうと思った。やりたいこと、という言葉に僕は多少逡巡したが、そのままを伝えることで関わったらいけないやつだと認知させ、引かせようと、言った。 

「テロをしたくてね。渋谷の宮下パーク、その頂上のボルダリングウォールを爆破したいのですよ。あれはこの不平等で不条理な世界の権化だからね。人がたくさん集まる休日に、ドカンと」
 僕は話しながら口元が不器用にニヤついていて、完全に気持ち悪い人間になっていた。彼女の目の勢いも一歩引いたように見えたが
「ダメです、そんなこと。危ないじゃないですか!」と子どもでも分かるようなことを子どもでも分かるようにはっきり言った。

「いや……危ないんだよ。君みたいのが一番、危ない……」
 僕は器を持って立ち上がった。
「どういうことですか。あと食器、よかったら捨てずにそのまま使ってくださいね。私のアイディアなんです。使い捨ては良くないですからー!」
 去り行く僕との距離に合わせて、彼女は声を大きくして言った。振り返ると彼女は両手をメガホンのようにして口を包んでいた。

 僕は食器を見て、トートバックの中に入れた。途端に強い南風が吹き、炊き出し場の机に置いてあった器や箸が一気に吹きとんで宙を舞った。食べている途中に、豚汁を地面に落としてしまう人もいた。それくらい、強い風だった。
 
 

#前田リオ


 
 ドラッグストア店頭に設置されたアルコール消毒液を一気に飲み干し、自殺未遂をする人の映像がXで拡散されていた。
 WARSという新種の感染症が近頃マスメディアで大きく取り上げられ始めていた。パンデミック再到来に鬱になる人が増え、消毒液心中はそれを象徴したパフォーマンスだった。

 著名人がWARSの警告をする動画を相次いで投稿したことが火種となり、Xユーザーの多くはWARSを認知した。
 ネットのバズを拾うだけのマスメディアはそれを大した調査もなく報道して、認知度は世間一般に広がり、社会は再び感染対策へ向かっていった。
 一方で、あくまでCOVID-19の変異であると断言する専門家や、完全に無視を決め込む人たちもいた。国も何も動きを見せなかった。一度反応を示せばどれだけの予算が飛ぶか、前回で学習しているのだろう。

 でもそれは正しい。私は今回の感染症もデマだということを知っている。メディアの言っていることは全て嘘。私たちの界隈ではまた茶番が始まったと、誰も信じていない。

 また新たなワクチンが作られ、国が緊急で認可を下す。国は製薬会社から利益の一部を受け取っている。そしてワクチンや運動不足により免疫が下がり、健康被害が多出し、高齢者の多死が起これば国はその分、支出の削減ができる。少しでも自分たちの利益が欲しい政治家と、一部の権益者による自作自演をこうもまた同じ手口で繰り返すとは。

 疫病とプロパガンダは似ている。疫病は肉体に、プロパガンダは精神に感染する。一方でSNSは疫病(ただの風邪)に不安や鬱など精神的な疾患も付与するようになってしまった。

 電車内では多くの人がマスクをつけていた。この車両でノーマスクの人は私と、目の前の座席に座る大学生と思しき赤い髪の女性だけ。若い人はよく分かっている。私は彼女を見つめていた。彼女の視線がスマホから離れ目があうと、私は会釈して微笑みを送った。表情でコミュニケーションが取れることは豊かなことだ。

 みなとみらい駅に着き、オフィスへ向かった。円高とWARSの影響で海外からの旅行客も、高齢者の国内旅行ツアーの数も減り、うちのような旅行会社の案件は再び激減していた。

 特にやることもないので、弊社が改善すべき環境活動への提案書の仕上げに取り掛かる。会議時のペーパーレス化、自然電力の使用、エコロジカルツアーの実施などなど取り組むべきことは山ほどあり、海外企業の取り組み等を参照に提案資料を作成していた。

 ちょうど昼休みの始まりと同時に資料が完成し、同僚らとランチに出た。
「ランチプレートのお肉を抜いてもらって、あとドレッシングにマヨネーズ使っていたらそれもなしでお願いします」
 ただ野菜と米を盛ったプレートと化したランチがやってくると、私はハンドバックから塩を混ぜたオリーブオイルとフォークを取り出して、サラダにした。

「リオさん、たまには食べちゃってもいいんじゃないですかー」
 一つ後輩の種岡ちゃんがフォークで自分の皿の上に乗った焼いた鶏肉を指して言う。
「たまにはとか、そういうものじゃないんだよ」
 私はサラダをゆっくり口に運んで丁寧に咀嚼する。種岡ちゃんは更にもう一つ下の後輩に、大変そうだよねーと同意を求めているが、この店は有機のものだけ取り扱っている分、他の店より確認項目が少なくてむしろずいぶん楽な方だった。

「そういえば先月の吉井さんと宮地さんに続いて、人事部の飯塚さんも今月から産休ですって。今暇だから良いですけど、戻ってきたらうちの会社回るんですかねー。あ、前田さんもそろそろだったりします?」
 デリカシーがないことは種岡ちゃんのお家芸だ。いつのもの事なので突っ込まない。

「私は例え結婚しても、子どもは産まないことに決めてるから」と言った。
「え、なんで」
 種岡ちゃんは鶏肉にフォークを刺す寸前のところで動きを止めて、目を開いて聞いた。
「エコロジカルフットプリントって知ってる? 人類が地球環境に与えている負荷の大きさを測る指標の一つなのだけど、地球一つが受容できる環境容量に対して、人類の消費量のバランスが取れていないの。つまり私たちは今未来の世代が使うはずだった資源を前借りして暮らしている状態で……」
「つまり?」
 と種岡ちゃんは鶏肉にフォークを刺す。

「これ以上人口は増えない方がいいってこと。地球のことを考えたらね」
「なるほど」
 と言って彼女は肉を食べた。
 ランチの帰りにオフィスまで戻っていると、種岡ちゃんはコンビニ寄って、プリンとフィナンシェを一つずつ買ってきた。
「よくそんなの食べらるね」
「スイーツは別腹です」
 彼女は定型文を満足そうに言うけど、私はよくそんな添加物まみれのものを食べられるねというニュアンスで言っていた。コンビニに置いてあるもので私が食べるものなど、金輪際一つもないだろうと思う。

 仕事が終わり、上大岡のマンションへ帰る。ポストには家の賃貸契約更新の案内ハガキが入っていた。太陽光発電で電力供給されるエコマンションというコンセプトに乗り、ここへ入居し早二年。

 給与から考えると無理をしている家賃ではあるが、特に気にせず契約更新料の二〇万を振り込むことにした。
 子育てのための貯金をする必要もないし、老後は毎月投資しているESG系の投資信託の複利があるし、お金の心配をする必要はなかった。

 これといった趣味もないので、いくつかの慈善団体への毎月の寄付と、食事代と家賃で給与はほとんど消えている気がする。そろそろ預金を確認しておこうかと思ったが、まぁいいかとキッチンに入る。
 鍋にお湯を沸かし、切った野菜を蒸し器に並べてしばし待つ。その間に味噌と甘酒を米油で溶いて、ソースにする。

 蒸した温野菜を食べながら、片手間でスマホを触り、二一時から始まるインスタライブ配信の告知を、ストーリーに流した。
 SDGsの啓蒙をするために作成したアカウント。フォロワーを増やそうと、購入した教科書通りに、定期的にライブ配信をするようになって半年くらい経つ。もう、慣れたものだった、というか、慣れてしまった。

 配信を始めると「今日も綺麗ですね!」「Beautiful」など、まだ何も話していないのに、多言語からコメントがつく。
 今日はカーボンニュートラルについて解説をしていたが「いつも偉い」「大事ですね」拍手の絵文字、などいかにも上っ面な返答が、いつものフォロワーたちから投稿されるばかり。とはいえフォロワーを減らさないために笑顔で感謝をして続ける。

「どんな家庭で育ったんですか?」
 とフォロワーから内容と関係ない質問がくるも、ファンサのために回答する。
「私の両親は小学生の頃に離婚してしまって、しばらく父親に育てられてきたんです。でも中学生くらいになってからずっと喧嘩続きで、正直今も関係がよくありません」
 質問に回答をし始めると、視聴数も伸び始めていた。僕が父親の代わりになろうか? とおどけた絵文字とビックリマークの絵文字を使ったコメントには寒気がした。
「ものを買うことは投票すること。ただ消費するだけでなく、より良い未来に投票していきましょうね」

 そう言って締めくくるも、顔のいい女性に群がる男性たちの無料コンテンツとして消費されている自分を自覚し、虚しくもなった。とはいえこれも一つの役割だ、と達成感を満たし、翌日のボランティアに備えて早めに寝た。

 石川町駅で電車を降りると、向かいのホームにはフェリス女学院の生徒が、清潔な白いマフラーを巻いて並んでいた。改札へ降りる階段で、中国語を話す親子とすれ違う。
 中華街口を出て寿町の方まで進む。すぐ左手の元町と右手の寿町は、川と首都高で隔てられている。上空の首都高を高速で走る車が絶え間なく宙を切り裂き、騒音を鳴らし、大気を汚し、薄汚れた中村川の絶え間ない流れのように、元々そういう役割があるかのように、きちんと分断を維持している。
 元町側の丘の上には大きな洋館が建っているが、あれがなんだかは知らない。

 街に入るとタバコとランドリーの石鹸、鼻をつんざく正体不明の不快な香りが混ざり、大量の排気ガスを放出する車道沿いの空気が綺麗に感じるほどだった。
 「こんにちは」と自転車に乗った濃いめの化粧の女性から、通りすがりに声をかけられる。女性は自転車を走らせたまま、すれ違う人全員に「お疲れ様です」などと挨拶して回っているようだった。私も見習ってすれ違う老人達に挨拶をして寿公園まで向かった。

 会場となる寿公園には運動会テント下に、炊き出し用の炊事場がつくられていた。老人二人で脚立に乗り、テントに電飾をつけている。すぐ隣の土地では、大型クレーン車で重そうな鉄が持ち上げられ、ビルらしきものの建築が行われていた。

 公園の入り口付近にある建材でできたベンチに座る老人は、テントの作業風景をじっと見つめていた。その背中のベンチに座る高齢の女性は工事の様子を見てタバコを吸い、咳き込む。公園前のゴミ捨て場は大量の使い捨て容器のゴミがたまっていた。

 私はボランティアチームに合流して、簡単なオリエンテーションを受けると、エプロンを身につけて、指定された場所へ着く。
 炊き出しが始まると大勢の人々が集まり、公園の周囲を囲む程の列を成していた。そこにいる多くの人はマスクをつけていた。

 私は食器に豚汁を注ぎながらしばらくすると、もっと根本的なところに取り組まなくてはいけないのではないかと考えるようになっていた。
 一時的に食を振る舞うことを続けるよりも、皆がちゃんと仕事に就いて、家を持ち、この街から出て、地球環境に気を使えるようになるまで、支援をするべきなのではないか。

 シフトが変わり、休憩時間に入る。公園内で食事をしている人々を見渡していた。九割以上が老人と、老人を介護する福祉職の中年だった。その中で一人私と同い年くらいにも見える、若い男性を見つけた。
 キャリーケースをちゃぶ台に、食事場から外れた公園の端で、一人食事をしている。彼も寿町の住人なのだろうか。気になって見ていると、目が合ったので、話しかけに行った。

 彼は渋谷でのテロを予告した。宮下パークのボルダリングウォールに爆弾を仕掛けるのだという。
 そんな危ないことダメに決まっている。と無知な子どもを相手にするように叱った。でもその後すぐに、こんな考えを持たざるを得なくなってしまったこの環境が根本的に悪い、と彼に同情した。
 まだ若い彼なら間に合う。立て直してあげなくては、と小さな背中を見送った。

 三日後、四十度まで熱が上がった。先日まで少し喉が痛むだけで平熱だったのに、朝起きると、起き上がれないほど世界が眩み、節々が痛み、高熱を自覚した。
 炎症した骨の主張により、こんなところに関節があったのかと気づく。空気はこんなに痛いものだったのかと、しゃがれた喉が繊細に報せる。
 なんとか立ち上がり、うがいをして、歯を磨いて会社に行く準備をしていると、鏡越しに屍のような顔をした私と目が合い、冷静になることを諭した。

 この体調で外出していいわけがない。ゾンビのようにベッドに戻り、スマホからイントラを開く。風邪を引いてしまったので一日お休みさせて下さいと連絡をした。
 ゆっくり休めば良くなる。高熱は身体の中の癌の元も退治してくれるらしいと、どこかで見た。健康のために必要な、一時的なデトックス期間だとポジティブに捉えていた。

 三日後、症状は更に悪化していた。胸の上に透明人間が腰掛けているような圧迫感。氷のように冷え切った深部と、炎のように熱い表層は、身体が明らかに異常事態であることを示した。

 病院に行っても添加物まみれの西洋薬を処方されるだけで、それを飲むことは憚られたので、常備していた漢方薬や、滋養強壮にいい食材を液状にして飲むなどして養生していた。
 種岡ちゃんからは毎日のように「大丈夫ですか?! 必要なものあったらお届けしますので言って下さいね!」とラインが来ていた。

 私はその度に必要なものを考えようとしたが、思考はすぐに霧散してしまい「ありがとう、大丈夫だよ」とだけ定型文のように返した。大丈夫じゃない時ほどそう言えないのは、昔からそうだった。

 会社からはこの機にしばらく休んでみてはどうかと、休業届の提出を勧めるメールが届いた。毎日休みの連絡を入れるのも気が引けていた上、これから良くなる気配もなかったので、私は社内システムから休業届のページを開き、二時間ほどかけてなんとか入力した。

 ベッドからトイレに行くだけでも息が切れ、頭蓋骨に釘を打たれているような鈍痛が響いた。日夜咳が止まらず、既に死んだ喉や肋を、更に何度もハンマーで粉砕され続けているようで、痛みを超えて、残酷な諦念の中にいた。

 翌日になると家の食材が底をついていた。熱は三十八度程度まで落ち着いたので、息を切らしながら牛歩で近くのドラックストアまで向かった。本当はいつも行くオーガニックスーパーまで行きたかったが、どう考えてもそこまで行ける体力がなかった。

 ドラックストアの店内はこの世のものとは思えないほど眩く、攻撃的な光に満ちていて、離乳食のような音楽が同じフレーズで繰り返され、私たちが作ってきたのはこんな世界なのだなと、自嘲するように笑ってしまった。

 普通に考えて食べられるものは何もなかったが、できるだけ添加物の少ないレトルトの商品をいくつか選び、カゴに入れ、目を伏せてレジを済ませた。



 その後も熱は上がったり、下がったりを繰り返し、一カ月が経った。もう治ったはずなのに、頭がぼやけた感じ、咳、頻脈は未だに続いていた。
 貯金がいよいよ怪しくなり確認すると、あと二ヶ月分の家賃しか口座に残っていなかった。

 まだ仕事に復帰できる体調ではなかったものの、流石にそろそろ復職の連絡を入れようと、久しぶりにイントラを開いた。メールボックスに人事から一件のメールが届いていた。なんとなく嫌な予感がした。

 自主退職の勧告が通知されていた。業界の風向きを見ても、上司の顔色を見ても、最近の自分のステータスを見ても、そうなるであろうことは腑に落ちた。会社にとって私は厄介者だから。

 自主退職は任意とはいえ、客観的に見て戻れるだけの説得力が、そもそも懇願して復職できるだけのタフな自尊心がなかった。
 別の道を探さなくてはいけない。そして何より近々の家賃を工面する必要があった。

 寄付のつもりで毎月積み立てていたESG投資専門の投資信託を思い出した。まだ大した複利は出ていないだろうけど、投資分を引き出せるだけで今は命綱だった。

 サイトを開きログインを試みる。合っているはずなのに、何故か弾かれる。いつも設定していたパスワードのパターンを全て試すもログインできず、パスワード変更のメールも届かない。フラストレーションが溜まる。頭の鈍痛に耐えながら、夕刻まで悪戦苦闘した結果、何も変わらなかった。
 カスタマーサポートの電話も繋がらず、メールも折り返しがなく、手立てがなくなり、その投資信託の評判を調べてみると、詐欺というサブワードがサジェストされた。

 運営会社のサイトも消え、追う手立てがなかったという他の被害者のブログを見た。
 この投資信託を勧められた友人の顔が浮かび、フェイスブックでメッセージしようとしたが、アカウントが消えていた。

 完全に騙された。環境や社会に配慮した活動に寄付したと思っていたお金が、人を騙すことも厭わない奴らに使われいた。
 ものを買うことは投票することという自分の言葉がブーメランになり、心臓に鈍く刺さった。

 せめてもの報復のため、警察への被害届や法的な手続き方法について調べたが、手続きが複雑すぎて情報が頭に入ってこなかった。こちらは被害を受けた側なのに、どうしてこんなに複雑な手続きをしなくてはならないのか。そもそも何で自分がこんな目に遭っているのか、意味が分からなかった。

 地球環境に配慮した生活を、充分に自制して送ってきた。飢餓や貧困の解消に取り組む活動に毎月寄付をした。社内に向けて、ジェンダー平等や、脱炭素化に向けた提案を何度もしてきた。炊き出しのボランティアなど身近で困っている人にも手を差し伸べてきた。

 地球も、人も、他の生き物も皆平等であるように、大切な命を全うできるように、頑張ってきた、つもり、なのに……。
 これまで抑えていたいろんな感情が決壊し、嗚咽が溢れ、涙が流れた。土砂降りのようにとめどなく、隣の人に声が聞こえているかもとか、もうどうでも良くなってしまった。

 私には頼れる人がいない。父も、母も、友人も、誰も頼れない、居場所がない。地球の看病はしているのに、咳をしても一人だ。自分の人生を振り返ると更に悲しくなり、泣いた。それを隣で拭ってくれる人すらいない。 通り雨が過ぎるのを待つように、自然と溢れる涙を床に落とし続けた。
 
 涙が蒸発して乾燥した頬は冷たくて、電気ケトルでお湯を沸かし、有機ルイボスティーの最後の一包をお茶にした。
 お茶を飲みながら、窓の外の灰色の世界を見ていると、先月の炊き出しでホームレスの青年が言っていた言葉を、ふと思い出した。
 不平等の権化を爆発させる様を想像すると、あの時の彼と同じように口元が少しニヤけてしまった。

 私は家を出ることに決めた。というか、そうするしかなかった。家にあるものを売り払い、もう少し家賃の低いとこに住もうと思った。売れたものと売れなかったものの処分費用を差っ引いて、三〇万円ほどが手元に残った。
 息を切らしながら不動産屋を回るも、惹かれるものはなく、仕事が見つかるまでの仮住まいだとは分かっていても、なかなか妥協できずにいた。
 不動産屋を出ると、駅前のビジョンに新しく小田原にできた、グランピング施設の広告映像が流れていた。

 ぼんやり眺めていると、そもそも無職で保証人もいない中、どの物件も賃貸契約すらできないのではないかと思った。
 いっそ自然の中に住んで自給自足をしてしまおうか、と思いついた。かねてより自然と共にある暮らしへの憧れがあったし、幼い頃は父とよく山でサバイバル遊びをしていた。せっかく家がないのなら、働けるようになるまではそれを満喫しようと、急にポジティブな気持ちになる。
 手持ちの資金でアウトドア用品を買い揃え、神奈川県西部、南足柄の金時山へ向かった。

 過去に一度だけ訪れたことのあるこの場所は、美味しい湧き水が流れ、多様な山菜が育ち、登山客も少なく、住むならここだと思った。
 登山ルートから一歩踏み出し、舗装されていない森へ進む際は勇気が必要だったが、冒険の始まりに胸を高鳴らせてもいた。

 重い荷物に肩で息をして、なんとか平地を見つけると、その場で仰向けに倒れた。酸素が取り込めず、意識が薄れてくる中、ぼんやりとした樹冠の輪郭に野鳥が羽ばたき、反響する森の音は、夢の中にいるようだった。
 しばらく休み、息を整える。ゆっくり立ち上がり、テントを張る。そこら辺の石と枝を集めて焚き火場を作り、チャッカマンと着火剤で火を起こし、オーガニックスーパーで買ってきたパンを炙って食べた。

 夜、眠りにつくと静寂の合間から、獣の足音が際立って聞こえてくる。鹿か、猪か、あるいは熊か、そのどれに襲われても私は太刀打ちできない。ただ身を震わせて、信じてもいない神に祈って、長い夜を過ごした。
 朝から大雨が降った。雨音で二度寝からはすぐ覚めた。昼過ぎにようやく止んで、ぬかるんだ斜面を慎重に進んでいると、山を出るだけで一時間もかかった。そこからバスを待ち、買い出しに行く。

 泥でぐしゃぐしゃの靴でバスや建物に入るのが忍びなかった。この街にオーガニックスーパーはなかったので、イオン系列のスーパーでオーガニックな食材を多めに買い揃えた。
 重い荷物を持って再び山の中まで戻り、テントに着く頃には息が切れ、再び倒れた。

 いまだに肺は一つになったように苦しいし、頭は動いているのか分からないほど低速だった。
 職探しは症状が良くなってからする予定だったが、一向に良くなる気配がない。どうしたものかと考えていると夜が更け、火を起こしたり、調理したり、生きるために必要なことをしていたら、一日は終わっていた。
 夜の獣の足音にも慣れず、寝不足が続き発熱し、買い出しにもいけず、残りのパンを千切って過ごす日々が続いていた朝、これまでにない突風が吹いた。

 私は慌ててテントの中からポールを掴み、支えた。大きな雨粒の音と共に更なる突風が吹き荒れる。テントの外幕は吹き飛び、回収しに外に出るとテントごと吹き飛んだ。雨や木の葉や枝が散弾銃のように身体を襲い、身を屈めてそれに耐えた。
 もう、ここまでだ、と自然に対する無力さに、無知に、観念した。私は翌朝には山を降りることを決めた。

 どこにも行く宛がなかった私は、帰巣本能に導かれ、実家へ帰省する道を辿っていた。 家を出てから一度も帰っていないどころか、父とは連絡すらとっていないので、今もその場所に家があるのかどうかも不安だった。
 私は父に今の事情を素直に話すことができるだろうか。父は絶縁したにも等しい私を、再び受け入れてくれるのだろうか。

 不安と微かな希望と、アウトドア用品を持って歩いていると、当時と変わらない、小さな戸建ての実家が確かにあった。
 ただいま、と気軽に言うことはできなかった。家の前に立つと、大きく深呼吸をして、目を閉じる。年老いた父が出てきて、驚き、私は素直に事情を説明して、理解してもらい、当時のままの私の部屋に荷物を置く。

 これから起こることのイメージと、覚悟が決まると、ドアを開けた。
 玄関には見知らぬピンクのパンプスと、子ども用のスニーカーが置いてあり、私はそっとドアを閉じた。
 踵を返し、駅へ向かう、私の実家はもうなかった。

 幽霊のようだった。空腹と疲労と絶望で、意識も曖昧に宙に浮いたように彷徨っていると、生存本能が磁石のように、寿町まで足を運ばせた。今日は金曜日、炊き出しの日だった。

 寿公園に向かう道中、リサイクルショップで百円の黒いキャップを買う。鏡を見ると、栄養失調で頬は痩せこけ、濃いくまが浮かび、二重は三重になっていて、これなら変装の必要もないかもしれないと自嘲した。
 公園には老人たちが列を成し、地べたに座って酒が酌み交わされ、祭りのような賑わいを見せていた。

 炊き出しの料理がどれだけケミカルなものを使っているのかよく知っている。ただ、ここ数日の空腹にあたり、カレーの香りはあまりに耐え難く、私は理性を殺しながら列に並んだ。
 キャップで目を隠しながらカレーを受け取ると、公園の端っこのフェンスに背を預け、黄色いカレーを見つめた。

 深く考える前に、スプーンで掬って一口食べた。甘辛く温かい口内、一噛み毎にケミカルな旨味と、幸せと、子どもの頃の食卓の記憶と、悲しさが溢れ、泣きながらカレーを食べ切った。
 ごちそうさまでした、と別れの台詞のように手を合わせた。
 


 私は寿町の端にある安宿にしばらく暮らすことにした。
 部屋を開けると三畳の畳に、布団とシーツ、小さな冷蔵庫とテレビが置いてある。布団を敷けば足の踏み場もないが、雨風を凌げて獣が現れないだけ、随分良かった。

 管理人はマサさんと言った。少し中国の訛りを感じる、朗らかな中年男性。
 私が長期滞在の事情を話している間、菩薩のような表情で頷いてくれていた。それだけのことなのに、ちょっと泣きそうになった。
「さ、ささ、まささん、クーラー、壊れた」

 話している際に五〇代ほどの男性が階段から降りてきて、慌てて言う。
「リモコンの一番大きなボタンを押せば止まるから、やってみて」
 マサさんが振り返ってそう言うと、男性は無言で去っていく。
「彼ね、エアコンはつけられるんだけど、止め方が分からなくなっちゃうみたいで、毎回聞きにくるんだ。毎回同じこと教えるんだけど、毎回忘れちゃうんだよ」

 マサさんは子どもの遊びを見守るような微笑みで事情を説明する。
「大変ですね……」
「ここはそういう人が多くてね。四六時中何かが起きているよ。ここからナースコールみたいに、各部屋から連絡が届くんだ」
 そう言って古びた電話の受話器のようなものを指差す。
「話の途中にすまないね。それで、仕事は?」
「まだ探せていなくて、そろそろ働けると思うんですけど」
 マサさんは顎を触って考えていた。

「そうだ、近くのコンビニの店長が友人なのだけど、バイトを募集しているって言っていたな。リハビリがてら、どうだろう?」
 私は「コンビニ……」と拒否反応が出ていたものの、仕事を選べるような現状でもないので、頷いた。
「ぜひ、紹介してください」
「わかった、明日にでも一緒に行こう」

 そう言って親に連れられるように入ったコンビニでは面談もなく、すぐにシフトの調整が始まり、週三勤務することになった。
 業務は意外と複雑で、宅急便のやり方を何度も聞いたり、品出しが時間内に終わらなかったり、ひどい有様だったけど、先輩バイトの人たちや店長はとにかく私を褒めてくれた。

「物覚えがいいね」「なんでもできるね」と煽てられているうちに、一月が経ち常連さんのタバコの銘柄を覚えられるくらいまでにはなった。
 セブンスターのお爺さんは毎回入念にジュースを選び、レジに置くと「これはリオちゃんに」と言って、私にジュースを差し出す習慣ができた。

 初めは、飲まないし断ろうとしたけれど、隣でレジ打ちしてた店長から「チップみたいなものだから」と勧められ、お供え物を受け取るように気持ちだけいただいて、ジュースは他のお客さんや家の住民の誰かにあげた。
 家の住人たちは皆やっぱり変だった。話すことなんて別にないのに、皆よく話しかけにきてくれる。今日はいい天気だねとか、昨日はよく寝れたとか、たわいのないことを、ゆっくり時間をかけて、伝えてくる。

 バイトがない時は、マサさんと共にトラブル対応を手伝うこともあった。いつの間にか全員の名前を覚えていて、すれ違うたびに四方山話をして、気づいたら笑っているくらいの仲にはなった。
 この町に来てからは、マスクをするようにもなった。この町の人たちはほとんど老人ばかりということもあり、ほぼ全員がマスクをしていた。互いに互いを守る仲間意識が強い。大量の鳩の糞害も防げるため、一石二鳥でもあった。

 まだ集中力は続かないし、すぐに息は切れるけど、適度に働き、毎日人と話し、路上で幸せそうに酒を酌み交わす人たちの姿を見る生活は、私の知らない空白を満たしていった。
 


 季節はすっかり冬めいてきて、灰色の冷たい空を渡り鳥が泳ぐ頃。リサイクルショップで買い足した古着を重ね着していた私も、寿町の住民めいてきた。
 バイトは週四回に増え、ドリンクを品出しする冷蔵庫の中。悴む指を息で温めながら店長と話していた。
「店長、これ嫌味じゃないんですけど、コンビニのバイトの時給ってもっと上がってもいいですよね。前職よりよっぽど業務は複雑だし、大変です」
 白髭を生やした初老の店長も両手を擦り、温める。

「そうだね、僕ももっともらうべきだ」
「そうだそうだ」
 二人で笑っていると、レジにお客さんが来たことをドリンクホルダー越しに見る。
「私行きます」
 と言ってレジまで走り、息を切らしながらレジ打ちをしていると、パシャっと撮影音が鳴る。

 驚いて客を見るとさっとスマホを隠し、何もなかった素振りを見せる。早く品出し終わらせたいし、面倒ごとになるのも嫌だったので、私は気にせずレジ打ちを続けて、バックヤードへ戻った。
 
 来月のシフト確認をしていたある日のバイト終わり、店長は気まずそうな声で話し始める。
「そういえばこの前ね、前田さんの出勤日はいつかって電話が来たんだよ。いや、もちろん言わなかったけど、こんなこと聞かれるのって初めてだったから。なんか心当たり、あるかな?」

 誰かが私を探している……? 全く心当たりがなかった。
 特にないですと答えた夜の帰り道、ふとレジ打ち中に写真を撮られた時のことを思い出した。
 もしかして、と久しぶりにインスタを開くと、レジ打ち中の私がコンビニの位置情報と共にタグ付けされていた。

 投稿には「コンビニw」「結局口だけだったか」「なんか老けた?」「近所だし今度行こ」など多くのコメントが集まっていた。
 何も知らないくせに……と怒りが込み上げてくるが、心拍の高鳴りに不安になり、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 しばらく何も発信していなかったので、コメントには近況を不安視する声もあり、何か投稿しなくてはと内容を考えていた。
 そもそもなんで私はこのアカウントを運用していたんだっけと思い返した。私がやらなくても、国連とか、政府とか、もっと大きいものたちが散々伝えようとしているのに。一方で、バイトやマサさんの手伝いは、私の他に代われる人がいないとも思った。

 私はこれから元の暮らしに戻りたいのだろうか。正社員になって、お金を稼いで、生活を安定させ、地球や貧しい人を助ける側の私でいたいのだろうか。
 助けられる側になっていたこの数ヶ月は、むしろ助けられる側の人たちにしか助けられてこなかった。私はあの頃、本当は何を助けようとしていたのだろう。

 ストーリーに流そうとしていた投稿文を全て消して、インスタを閉じた。
 さっきまで強い光を放っていたオリオン座は、どこからともなく流れてきた厚い灰色の雲に隠れていた。

 翌のバイト中、長い時間立ち読みしながら、ちらちらレジを見られている視線が気になる。ノーマスクで入ってきた見ない顔の男性たちが、こちらを見て何か話して、何も買わず帰っていく姿が気になるようになった。
 この場所には絶対に迷惑をかけたくない。何かある前に辞めた方がいいのかもしれないと、しゃがんでお菓子の品出しながら、逡巡していた。

「前田さん……?」
 聞き覚えのある声。後ろを振り返り見上げると、仕事帰りと思しき種岡ちゃんの姿。
「本当にこんなところでバイトしていたとは……」
 呆れ返ったような表情で見下ろし、憐れみが吐き出す息になってこちらまで届いた。

「何の用……?」 
「嫌だな、連絡通じないからわざわざ知らせに来てあげたんですよ」
「知らせ? 何を?」
「WARS禍も終わったので、うちの会社でリストラした社員を再雇用し始めたんですよ。前田さんも今なら流れで戻れると思いますけど」
 WARSが終わった? この町ではまだこんなに感染対策をして、現に日に数台は救急車がきて、人が搬送されているのに。誰が何をもって終わりにできるのだろうか。突然終わる子どもの遊びのような、不条理な終焉を感じた。

 そして復職することなど全く考えていなかったので、突然の終焉と新たな選択肢に、じゃがりこを持った手が止まる。
「こんなとこで誰にでもできることやってないで、早く戻りましょうよ。何なら人事に私から連絡入れておきますよ」
 私の返答を待てずに種岡ちゃんは言う。会話はこの速度が社会標準だったと思い出す。
「誰にでもできることではないと思うけど」
 と小さく呟いた。

「……まぁとにかく元気そうでよかったです。それじゃ戻る際は私か人事に直接連絡くださいね。あ、それとアメリカンドック一つ」
 私はレジに戻り、アルコール消毒して、アメリカンドックを包み、ありがとうございましたと言って見送った。別れの呪文を唱えるように。

 寿公園にはブルーシートの外幕でできた簡易的な小屋が建てられていた。今年もいつの間にか年末で、寿越冬闘争の時期がやってきていた。フェンスには「黙って野垂れ死ぬな! 生きて奴らにやり返せ!」と書かれた横断幕が掲げられている。
 炊き出しには二百名は超える人々が列を成していた。手元を見ると、半分ほどの人は既に使い捨て容器を手に持っていて、二周目と思しき模様だった。

 炊き出しに並ぶ多くは老人だった。東南アジア系の若者や中高年もちらほら見かけた。そしてそのほとんどは男性だった。
 公園の端にある木の下では、捉えた獲物を横取りさすまいとばかりに、老人が周囲を警戒しながら配られた雑炊を食べていた。

 広場ではマサさんが拡声器を持ち、実行委委員会と思しき集団に呼びかけていた。いつもとは異なる強い形相で。

「止まることを知らない物価高で、食料品や日用品を買うことを控える場面が多くなり、益々生活は貧しくなっています。

 現実を無視して公共的に感染対策を打ち切ったせいで、何人もの仲間が感染し、死にました。マスクもしない若者が興味本位で炊き出しに参加して、無自覚に人を殺しています。

 関内周辺も巨大施設の開発が進み、マリナード地下街や、横浜スタジアムにいる我々の仲間が追いやられようとしています。二〇二一年にはスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんが、名古屋の入管施設で食事もできないほど体調が悪化しているのに、必要な医療に繋ぐこともされず、放置され死なされました。そして外国籍の人の人権をさらに軽視する入管法改悪も始まりました。政府はそれに目もくれず、軍事費を捻出するために増税を始めました。ミサイルを買っても、食べられやしないのに。

 もはや私たちの身は、私たちで守り合うしかありません。全体公益のために不利益を被る側に立ち、誰の人権も脅かされず、少しでも生きやすい平等な社会を目指しましょう!

 この冬、ここにいる全員が野垂れ死ぬことのないように、みんなの命をみんなで守る闘いをやり抜きましょう!」

 歓声と拍手が湧き起こる。私も自然と拍手して共感していた。ここにいる私の仲間を守るためには、闘わなくてはいけない。
 拍手はやがて隣の工事現場の鉄骨同士が衝突する音でかき消され、電線から見守っていた鳩たちも一斉に飛び立った。

 飛び交う鳩の下、鉄骨のベンチには炊き出しの際に私が話しかけた若い男性がいた。男性は俯いていて、話しかけるのが憚られたが、押し切った。
「あの、ご無沙汰してます。だいぶ前の炊き出しの際に急に話しかけた者なのですが、聞きたいことがあって」

 彼は目を見開き驚いて、私の身なりを見て、事情を察したように手を口元に当て、目を伏せる。
「……なんでしょうか?」
「宮下パーク、ボルダリングウォールの爆破、いつやるんですか?」
「止めても無駄ですよ」
「いや、そうじゃなくて、その、私も手伝えないかなって」
 彼は訝しむ様子で黙り、私の言葉を待った。
「テロは危険で、危ないです。でも、それくらいの衝撃がないとこの国はこちら側を見向きもしないから、誰も怪我をしないようであれば、啓蒙活動として協力したいです」
「やめた方がいい。僕はそう、高尚な理由じゃない……」
「でも手段は一致してます」

 公園に巡回に来た警察官が目に入る。
「ここで話せる話でもないので、よかったらうちで作戦会議しましょう」
 そう言って炊き出しの列に逆らって家まで歩き始める。彼がついてきているか、振り返って確認すると、強い西陽がちょうど差し込んでいて、炊き出しの列が明るい光へ向かう、希望めいた光景に見えた。彼は逆光で影となりながら、ゆっくりとついてきていた。

 部屋の戸を開ける。
「狭いですが、どうぞ」
 彼は靴を脱いで入るのを躊躇していた。
「僕はここで、立ったままでいい」
 私が無理やり靴を脱がせようとすると、彼は観念して部屋に上がった。ひどい刺激臭ではあったが、もう慣れていた。

 まずは互いの自己紹介をした。いま何をしているのか、なぜこの町まで流れ着いたのか、
私は私のこれまでを、三〇分ほどかけて全て話した。
 彼も同じくらい時間をかけて話した。私の感染は自分が原因だったかもしれないと話し、謝った。

 感染経路を特定することはできないし、そもそもそんなことはもうどうでもよかった。私は今の自分の方が好きになれているから。
 それよりも、彼が家を出てからの行動と動機は支離滅裂で、彼自身でもなぜテロをするのか整理しきれていないまま、突き動かされているように見えた。それも全てご両親の死という出来事が、どれほど彼にとって酷い痛みだったかを物語っていて、同情した。

「作戦会議に移る前に、ちょっと休憩しましょうか」
 だいぶ長く話したので、私がそう言うと、彼はスマホを手に取り、しばらく見つめていたが、ある時目を見開いて、私を見る。

「すみません、そこのテレビ、ちょっとつけてもいいですか?」
 テレビ、何故だろう。と思いつつ、どうぞ、と言ってテレビの電源をつけた。報道番組でアナウンサーが速報を伝えていた。

「WARSに関する最新情報をお伝えします。先日、厚生労働省が公式に否定したWARS騒動について、株式会社ブルーツーリズムをはじめとしたデマ被害を受けた企業団体が、中心的に騒動を起こしていたとされる白川唯斗容疑者に対して、虚偽情報による業務への損害賠償を求め提訴しました。中心団体は白川容疑者の主催するオンラインサロンのメンバーと見られ、内部告発により特定されました。白川容疑者には警視庁により任意同行を求める手続きが取られています」

 テレビの画面にはパトカーに乗る前の、俯いた男の姿が映されていた。それは久しぶりに見た、父の姿だった。

 

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