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怪雨 | 三千字小説

怪雨:異常な物体が雨と共に、または単体で降ること。

雨のことば辞典

”飢えた村に、兎の雨が降った。空から大地へ、大量の野兎が雨のように降った。兎は頸部に血と咬傷の痕が残り、既に死んだ状態で、降り注いだ。その日の兎量は18匹。”

これは9日前に亡くなった祖父の、遺品を整理している際に出てきた手記の冒頭。共に遺品整理をしている祖母より、8世代前の先祖のものだと教えてもらった。手記は茶色くくたびれ脆化した巻物で、文字は染みのように掠れ、独特の臭いを放った。その古臭さが何か特別貴重なものに見えて、遺品整理の手は止まり、スマホのアプリで文字の解読を進めていた。

「卒論を進める」とGoogleカレンダーのプッシュ通知が表示される。知っているけど、それよりもこれを読むことが大事な気がした。特別なインスピレーションがあるのではないかと、よからぬ期待をもった。正常性バイアスをかけた。何より冒頭の怪雨の、怪兎の顛末が気になってしまっていた。

突風で窓ががたがた揺れる。都内に比べてこっちは風が強い。和歌山県南部に位置するこの場所は、南紀山地などの山岳地帯と海に挟まれ、地形的に風が強いらしかった。窓の外は海のような青空で、まだ時間はあると確信した僕は腰を下ろし、スマホカメラを古文章へ翳した。


六太はこの村にそぐわないほどの色男だった。そして実際、六太はこの村で生まれてはいなかった。六太は隣の、隣の村で生まれ育ったと言った。しかし飢饉で六太を養いきれなくなった両親は、六太を山へ捨てた。そしてこの村へ辿り着き、わしの両親に拾われた。

六太は齢を知らなかったので、わしが勝手に弟の1人にした。幼い頃は兄弟として共に育ち、元服になると六太は独り立ちし、村の隅に小屋を建ててひっそりと暮らし始めた。口数の少ない六太はわしらには言わなかったが、どこかよそ者としての身の丈を気にしていたのだろう。

この頃、昨年の暖冬に加え梅雨になっても干魃が続いた村に、いよいよ飢饉が訪れようとしていた。どの家も食料が尽きかけ、貧しかった。今日の食事は粟と黍を煮て粥にしたものに、雑草が乗っていた。父母はわしら三兄弟に「すまんの」と食事中何度も詫びた。わしらはできるだけ時間をかけて、せめて美味しそうに飯を食べた。

そんなある日、村人の中でも短気で喧嘩っ早い与一が狐を生贄にして雨乞いをしたらどうかと村長へ提案した。藁にも縋りたい村人たちは特に考えもせず、ただそれに同意して、村長も「なんでもやってくれ」というふうに肯定した。

狐は稲の害虫となる鼠を食べるため、村では神の使いとされてきた。旱魃が起こるまでは寒施行という通年行事があり、狐たちの食料がなくなる冬を前に野や巣穴に食料を供えていたほどだ。

それほど高等な生物を生贄にすれば、お天道様も雨を降らしてくださるだろうと農民たちは信じ、明日は山へ狐を狩りに行くことになった。わしも六太もそれに呼び出された。

そして出発する当日のことである。
兎の雨が降ったのだ。

肉が空から連続して落ちてくるあの音は、例えようのなく不穏で恐ろしい音だった。
その雨はちょうど狩りの準備をしていた男衆の頭上から降り注ぎ、わしも皆も大きな声をあげて驚いた。体の潰れた兎の血は赤紫の水たまりとなり、獣臭が立ち込め、六太は「祟りじゃ……」と青ざめて呟いた。禍々しい光景に男らの血の気も引いていき、狐狩りは中止となった。

翌日、今度は金色の雨が降った。稲の雨だった。数ほどそれほど多くなかったが、不作の村には喉から手が出るほど貴重な恵みで、わしは必死に稲をかき集めた。

その最中「お稲荷様にも稲があげられとったんじゃ……」と村人の佐平が恐る恐る話し始めた。「こりゃもしかして、お稲荷様からのおめぐみやろか……ほれ、兎もお稲荷様の好物やし、お稲荷様ももともとは稲成りの神様やったんじゃ。寒施行のお返しをしてくれとったんじゃなかろか」

村人たちはその話にひどく納得し、お稲荷様へのお参りを毎日欠かさないようになった。そして狐を生贄にと最初に発案した与一は村八分にあった。

わしはお稲荷さまが斯様な雨を降らせるものかと思っていた。誰かが目的を持ってこの怪雨を仕組んだに違いない、と誰にも漏らさず考えを巡らせ続けていた。犯人を見つけて咎めたいわけではなく、ただ強い好奇心だった。

まず考えられるのがこの突風じゃった。村から近い山の麓や小高い丘から、この時期特有の強い南風に兎や稲を乗せたのだと疑った。現場に証拠が残っていないか、仕事の合間に周辺の高い場所を探して回った。

3箇所目。村の隅、六太の家のすぐ近くの崖の上まで山を通って登った。そこにはちょうど座り良い高さの切り株があり、それに座った六太がいた。

「ここんちょっとばっかりで、なんやってんねん?」
六太の背からわしは問いかけた。六太は肩も揺らさずに冷静に答えた。「あぁ、ドクダミ摘んでいてん」

六太は竹籠いっぱいに詰まったドクダミを指差した。
「そないか。しかしあの怪雨、六太はどない思うとる?」
「どないて。あれはお稲荷様のお恵みやと皆いうてんやろ」

「あぁ、皆はやな。けど、わしはなんやかんや怪しい思いしとんねん。そないならもっと早くに、しかも雨なんて形やなくもっと直接的に、もろてもらえるもんやなかろうか」

六太は空を見つめながら言った。
「気まぐれが神様の性質やろ」

「とはいうてもなぁ」とわしは頭を掻いた。
「信じるもんは信じやんと、生きづらいで」

「そやんなぁ」と言いながらわしはなんとなしに六太の側へ近づいた。空は茜色に染まり始めていた。六太の周りには石片と木屑が散らばっていて、崖の下を覗き込むと長方形の木辺が割れて落ちていた。

「あれ、なんやろ」
わしが崖の下を指さすと六太も下を覗き込んだ。
「なんやろなぁ」

わしはそこで1つの仮説が浮かんだ。
例えば切り株の中央に長方形の板を置き、片方に兎を乗せ、もう片方に重い岩などを落としたら、空は兎の雨を降らせることができるんじゃなかろうか。

「六太ってことはないやんなぁ」
とわしは心の声をつい口にだす。
「なんやねん。わしはあの時一緒におったやろが」

まだ何も言うてへんのに言い訳する六太を見た後、崖のさらに上の崖を見た。

「わし、分かってしもうたわ」
「なにがやねん」
「怪雨の謎」

六太は呆れたように軽いため息をつく。
「まずな、あの崖の上に適当な大きさの岩を用意する。ほんであそこ、少し削れてるやろ。あそこに腐った木屑か、あるいは氷なんかをかましていたんやろな。時間の経過と共にそれは少しずつなくなっていき、あと突風のような少しの力が働ければ落下する仕組みや。この時期特有の南風を利用したんやろなぁ。ほんで、その落下点にこの切り株を支柱にした板の片方をもってくる。もう片方には兎を乗せる。これで、突風をきっかけに村へ兎を飛ばし、雨のように降らせるゆう仕掛けや。どや?」

「どや言われても、わしがやったんちゃうし、知らんわ。けどよう考えられたなそんなこと」
「あぁ、わしらが集まっていたあの場所へ落とすんにはここがちょうどええからな。まぁしかしようやるで、人驚かすためにここまで」

六太は枝のように細い腕で膝を抱え、黙って夕陽を見つめていた。六太の横顔を見ると頬がこけ、しばらく何も食べてないのがすぐ分かる顔色だった。
「なぁ六太、うちも大概やけど、粟の粥くらいは毎日食えるで。一度うちへ帰ってきぃへんか?」

「いやええねん、これ以上厄介になるわけにはいかん」
「何いうてん」と、わしは手のひらで六太の背中を叩こうとして、直前で勢いを緩め、手を下ろした。
「何いうてん。わしら家族やろ。家族は厄介かけあうもんや」

「家族か……」と六太は遠い景色に語りかけるように呟いた。
少しの沈黙の後は六太はゆっくり立ち上がる。
「いや、けどええねん。わしはひとりが好きやし、自分の飯くらいなんとかするわ。ありがとうな」

そのまま六太は逢魔時の山へ帰って行った。

そして翌日の昼時
わしは老婆心で六太の家へ粥を持って行った。

戸を開けると六太はいなかった。夕刻まで待っても、六太は帰ってこなかった。その翌日も同じだった。六太は村から姿を消した。

(続く



#雨ことば三千世界

梅雨のあいだ、雨が降るたび毎日、約3千字の”雨のことば”を題材にした小説を書き続けています。
雨に関連することばは「雨のことば辞典」を参照に「あ」から五十音順に1つずつランダムに選び、雨が降っている間に即興で書き上げます。
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