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陰雨 | 三千字小説

陰雨:長く陰々と降り続ける雨のこと

気づいたらクロスワードパズルが完成していた。
クロスワードパズルに頭を使わなくなると、人生は終わったも同然である。
習得してしまうことは恐ろしい。緑の葉が枯れていくように、世界から瑞々しさが失われていく。また1つ、趣味が作業になっていく。

木製のリクライニングチェアに座り、横目で窓を見つめる。有も無もないほどに一面に広がった灰色の雨雲が、景色のすべてを満たしている。そこから振り続けているこの陰雨も、何度も同じように、ただ規則的に、一定の水量で降り続けていれば、さぞかし暇だろうと想いを重ねた。

重い腰をあげ、節々の骨の軋みを感じながら、ダイニングキッチンへ行く。電気ケトルでお湯を沸かす。東ティモールのコーヒー豆を電動ミルに大さじ一杯、体重を預けるようにスイッチを入れる。これもはじめは手挽きのミルで、豆の潰れる感触や少しずつ膨れ上がる香りを味わっていた。

そして2ヶ月も経たず電動ミルを買った。人は慣れると効率を求め始める。沸いたお湯をドリップコーヒーポットに移し替え、適温を待つ。粉々になった豆をドリッパーに置いたフィルターに一息に移し、ポットから細い湯で渦を描き、蒸らす。黒ずんだ沼のようになっていくそれと、老いた自分の黒目を重ねた。更に細く、慎重にゆっくりと湯で渦を描き、コーヒーを淹れる。いつもより少しだけ濃いめに淹れた。

チェアに座る。テレビをつけようと思ったが、このテレビの中に求めているものは何もないことを、テレビをつけるたび再確認させられるだけなので、やめた。最初の10頁くらいに栞を挟んだ本に手を伸ばすも、最近は活字を見るだけですぐに眠くなってしまうので、やめた。

本来であれば、明日には息子家族が家に来て、外でBBQをする予定だったのだ。しかしこの雨は先週から陰々と降り続けていた。今にやんでもよい糸のような雨なのに、晩夏の蝉時雨みたいにしつこい。

私にはもうやることがなかった。終活と呼ばれる大抵のことは全て済ませた。やりたいことを考えても、もう見つからないのだ。

ただ毎日、少しずつ深くしていくコーヒーを飲みながら、クロスワードパズルをこなし、息子家族の来訪と天からの迎えを待っていた。この陰雨が止んで、雲間から陽が差し込めばいよいよやってくるはずだと思っていた。

座るとすぐに眠くなりはじめる。意識がうつろいでいく最中、ふとこれまでの人生を振り返った。そうしようとしたわけでなく、半ば自動的に。

学生時代は中華屋で鍋を振っていた。高校卒業してすぐ、家計を助けるためにバイトを始めた。貧乏な学生時代だった。そんな私にも確か2年近く付き合っていた彼女がいた。名前はもう思い出せない。気さくで可愛らしい彼女だったと思う。何が理由かもわからない些細なことで別れて以来、連絡をとっていない。あれからどこで何をしているだろう。まだ、生きているだろうか。会っても、思い出せるだろうか。

中華屋で働きながら、正社員の求人を探していた。バブルと呼ばれる時代にさしかかると求人が一気に増え、大手の通信会社に就職した。毎日同じように働き、安定した給与をもらい、貯金した。同僚たちは湯水のようにお金を使い、欲しいものを欲しいだけ買っていたが、私は貧乏癖が取り憑いていて、質素倹約に暮らしていた。欲しかった車も我慢した。

妻と結婚した理由も、そういった生活のトーンがあっていたからだろう。33歳には息子が生まれ、勤労に子育て、変わったことはないけど、不自由も少ない幸せを過ごした。
55歳になると息子も1人暮らしを始め、貯金はもう十分に貯まっていたので、人里離れた飯能の山の中にログハウスを建てた。2人でゆっくり余生を過ごそうと建てた家だった。

家ができてからすぐに妻の胃がんが見つかった。病院嫌いの妻だったから、見つかった頃には既に末期で、1年も経たずに旅立った。深夜の病床で息子と共に妻の手を握った。あっちの世界に妻が行ってしまわぬように、強く。まだ4歳の孫は何が起きているかも分かっていなかったが、周りの様子を察知して泣いていた。妻が握り返す力は肌に細雪が落ちるほど微かで、心拍は子守唄のように遅く、紫と黄色になった肌は冬の陶器のように冷たくなっていった。人生で最も鮮明な夜の記憶だ。思い出すとまだ、悲しみが目頭まで込み上げてくる。

それから30年近くが経っているらしい。共に考えていた余生の計画は消え、私1人で何をして余生を過ごそうと考えていたら、既に余生だった。
最近新聞で読んだのだが、雨と冬と夜を三余というらしい。冬は年の余、夜は日の余、雨は時の余。それぞれ時間に余分が生じることを意味する。しかし、冬を待たず、夜を待たず、雨を待たず、妻が旅立ってからの私の時間は、すべてが余っていた。

毎年息子家族から届くお歳暮も、年金も、お笑い番組も、衝撃的なニュースも、いい映画も、ぜんぶが1人で受け取るには余っていた。分かち合えてちょうどいいものばかりだった。何もかもが余分だった。

……ああ、もう1日だけでいいんだ。もう、1日だけ。

……

息を吐くように眠っていた。
目が覚めると、雲の中にいるような光景が広がった。
霧がかった灰緑色の針葉樹林を歩いていた。

中央の道を開けて両側に聳える檜は、不自然なほど真っ直ぐでシンメトリーに同じ数だけ整列していた。
地面はウッドチップとサラサラした土が混ざり、湿気を吸い、柔らかな足触りを感じる。空気は初冬のような肌寒さで、うっすらと白い息を吐いていた。

私は何も移ろわない景色をただ歩き続けることの快楽を感じていた。どこに向かっているのか考えることもなくしばらく歩き続けていると、木立の隙間、霧の中からふと人影が見えた。歩みを進めると彼の輪郭が少しずつ明るみになってきて、確かに前に進んでいたのだと初めて実感した。

「やぁ、久しぶり」
と彼は言った。彼が誰なのかは分からなかった。

「もしかして忘れているのかい。中学の同級じゃないか、ほら」
と彼がいうと「ああ、忘れるわけないじゃないか」と私はクロスワードパズルを埋めるように作業的に、自然に嘘をついた。

彼は私の横に並んで歩いた。その光景にデジャヴを感じた。下校のノスタルジーが強烈に押し寄せる。それでもまだ思い出せない。

「そういえばあいつ、佐藤、元気かな」
と彼は言った。

佐藤のことははっきりと覚えていた。
「ああ、今どうしているんだろうな。生きているかな」

「そりゃ生きてるだろー、まだ10年も経ってないんだぜ」
と彼は大きな口を開けて笑った。

10年……?
何を言っているんだ、と彼の方に顔を向ける。
彼の顔は白百合になっていた。白百合が黄色い鱗粉を飛ばして話していた。
それが笑っている、という表情であることがなぜか分かった。

白い息がさっきよりも景色を満遍なく満たし、呼吸が少し荒くなっていることに気づく。20mほどの鹿が同じ高さの檜を力づくで薙ぎ倒し、目の前を飛んで横切った。頭が真っ白になった。

そして目の前の霧が1ヶ所へ密度を高め、その輪郭から妻が蜃気楼のように現れた。30代の頃、出会ったばかりの姿をしていた。
私はあの時と同じように、一目でまた惚れた。

妻は白く半透明な手を私の元へ伸ばした。
私は心拍数の高まりを感じながら、妻の元へ慌てて走り、手を伸ばし、バトンを渡すように、手を握った。消えてしまわぬように、強く。

[fin.]


#雨ことば三千世界

梅雨のあいだ、雨が降るたび毎日、約3千字の”雨のことば”を題材にした小説を書き続けています。
雨に関連することばは「雨のことば辞典」を参照に「あ」から五十音順に1つずつランダムに選び、雨が降っている間に即興で書き上げます。
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