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送り梅雨 | 三千字小説

送り梅雨:梅雨明けの頃に降る強い雨。

例年であればもう、送り梅雨ボタンが押されていた。
送り梅雨ボタンが押されれば、強い雨が降り、日本の梅雨が明ける。

もう7月も終わりに差し掛かろうというのに、天界ではまだじめじめと議論が続いていた。

天気は、ちょうど参議院と同じくらいの数の神々により、議会で決められている。雲の中で毎日議会が開かれ、先々の天気が合議されていく。今年の梅雨が延長されている理由は、主に下記のようなものだった。

①大気の神々曰く「経済活動による環境破壊を鎮静化するため」
②人間の神々曰く「感染の急拡大に抑止をかけるため」
③海の神々曰く「過剰な漁獲を抑え海の生態系を保全するため」

以上様々なセクションから提言がなされ、梅雨の延長に関しては過半数を超える賛成を経て可決された。しかしそれをいつ、どうやって終わらせるかについては、まだ議論が続いていた。

議長は気象の神である八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)。八意思兼命は様々な立場に立ってものを考えられる優しい神だった。故に、議会に参加する遍く神々の異なる意見を聞き、悩みに悩んでいた。

今日も神々たちによる議論が続いていた。

「そろそろ梅雨明けさせないと、今年度の予算超えちゃいますよ」
と、アライグマの匂いのする神は言った。

雨を降らすのに必要な年間予算は限られている。近頃は温暖化に伴い予算が増大傾向にあるものの、当然超えてはならない。また節約しすぎてもいけない、適切に消化し続けることが、安定した天気運営のためには必要だった。

カマキリの卵の匂いがする神はこう返答した。
「9月に予定している台風13号を消せば問題ない」

カマキリの卵の匂いがする神は古くから議会に鎮座する剛腕だった。カマキリの卵派は天界で強い力を持ち、台風13号の製作委員会は歯を食いしばりながら、沈黙していた。

新人のホッチキスの芯の匂いの神が突如立ち上がる。
「あの、その、た、台風1つつくるのが、どれだけ大変か……ど、どれだけ各所との調整があるか……カマキリの卵さんなら、その、分かって、くださっているんじゃないかなーと……」

震えた声で叫んだ勇気の一声に、カマキリの卵派は一斉にヤジを飛ばし、ホッチキスの芯の匂いの神は足がすくんで、へなへなと座った。

台風制作のような汚れ仕事は、通例として新人たちに委任され、各所と対立しながらも年間の予算消化のため、どうしても必要な仕事だった。年配の神々も通ってきた道だが、立場が変われば物言いも変わる。

「静粛に! 静粛に!」
八意思兼命は柏手を叩き、場を静める。

八意思兼命は1メートルほどの長い顎髭を摘んでしばし考えた。

「皆さん自由闊達な意見交換は大変結構なことですが、真に大事なのは下々が何を思っているかです。悩んだ時こそ、下を見なくてはなりません。どうでしょう、ここで一度下界に調査に出向いては」

天界の神々は下界のものに化けることで、下の世界に降りることができた。多くの神々に名前はないが、下界で化けたものの残香がそのまま名前になることが多かった。

八意思兼命の鶴の一声に場は静まり、八意思兼命は辺りを見渡すと優しく微笑んだ。「それでは、議会の途中ですが1度調査へ参りましょう」

アライグマの匂いのする神はアライグマへ
ホッチキスの芯の匂いの神はホッチキスの芯へ
それぞれ気に入っている姿へ化けて、三々五々にに下界へ降りた。

アライグマは岐阜の山中に降りた。強い雨が降っていたので、急いで木陰に隠れた。この辺りには他のアライグマも多くいるはずだったが、雨で匂いが消え、姿も見えなかった。恐らく巣穴に引きこもっているのだろう。

アライグマは単純に、雨は寒くて嫌だなと実感した。そして、どうせすぐ帰るしと思い直して、雨の中、麓の農地へ向かった。稲は青々と繁り、トマトやナス、スイカなどの夏野菜も多く実っているように見えた。

しかし近づいてみるとトマトは腐りかけていた。土壌が過度に加湿され、根が呼吸困難になっているようだった。他の野菜もこのままだと枯れてしまうだろう。そうするとアライグマ的にも、あと人間的にもちょっと困るだろう。(人間は輸入すればいいが、アライグマは輸入できない)

アライグマは近くの道路を探し、走行中の車を見つけると道路へ勢いよく飛び出し、天界へ帰った。


カマキリの卵はこの時期すでに孵化を終えていたので、仕方なく成虫のカマキリになって降りた。カマキリは雨の中でも何も影響がなかった。むしろカタツムリやアメンボなどが繁殖し、活発に活動しているため、獲物を探す手間が省けた。特にカタツムリは簡単に捉え、捕食できるため楽だった。

更には天敵の爬虫類や鳥類も多くは体温管理のため雨宿りに勤しみ、人間の子どもらも虫取りに来ないため、カマキリは敵のいない世界で自由気ままにハンティングを楽しむことができた。

カタツムリを捕食しようと探していると、草の茂みがざわざわと揺れ始め、大きな影が見えた。野良猫である。
気づいた時には猫の巨大な手が振り下ろされ、地面との間に押しつぶされ、天界へ帰った。

ホッチキスの芯は小学4年生の少年の部屋に降りた。
少年はベッドに寝転び、ゲーム機を片手に唸っていた。
「ねーお母さんー、いつになったら雨止むのー? 暇で死にそうー。外で遊びたいー」

ドアの開いた部屋の外から包丁がまな板を叩く音が聞こえたが、返事はなかった。きっとこの子は連日1人で唸っているんだろうと思った。

「暇だー暇だー暇だー」
少年は唸りながらゲームの世界でモンスターを駆逐し、経験値を稼いでいる。

少年の本棚には植物や動物の図鑑がずらっと並べられ、机の上にはすでに終えた夏休みの宿題が乱雑に置かれていた。

少年はゲーム機をポイとベッドへ捨て、部屋にまだ未開の領域があるかのように探索した。そして私と目が合った。机の上でバラバラになった紙をまとめ、ホッチキスで留めた。

「何もすることがないよー山に行きたいよー」
と下の階に聞こえるか聞こえないかの声で呟き、スマホでYoutubeを開いた。ナショナルジオグラフィックチャンネルTVでミツバチの特集を見ていた。

ホッチキスの芯はふと「小学5年生までに何を体験するかが、その子の将来にとってとても大事なんだ”」と以前トイザらスの匂いの神が話してくれたことをふと思い出した。

この子はせっかくの夏休みなのに、映像の自然しか見ることができていないんだなと、悲しく思った。

Youtubeに飽きた少年は再びホッチキスを手に持ち、本体を開いた。ハンドルとマガジンを指で握り、ホッチキスの芯を銃のようにして打ち出し始めた。Youtubeではガンアクション映画の広告が流れていた。

ちょうどゴミ箱の中へ放たれた私は、翌朝ゴミとして収集され、燃やされ、天界へ帰った。


ホッチキスの芯の匂いの神が天界に着くと、それに気づいた八意思兼命は「おかえり」と言って議会へ招待した。ホッチキスの芯の匂いの神はそれを承認すると、瞬間移動のように議席に転送された。

「ホッチキスの芯の匂いの神も帰ってきたね。皆からそれぞれ報告を聞いていたところだよ。どうだったかね?」

ホッチキスの芯の匂いの神はカマキリの卵の匂いの神派を気にするように目を配り、厳しい視線がこちらに向けられていることに気づくと、目を瞑り、沈黙してしまった。

八意思兼命はそれに気づき、諭すように話し始めた。
「今のところ神々の意見はまだバラバラでね。動物、昆虫、植物、菌類、それぞれの立場で良し悪しが異なるんだ。だから何も気にせず、ホッチキスの芯から見たありのままの感想を聞かせてほしい」

ホッチキスの芯の匂いの神はゴクリと唾を飲んで、不安げに目を開け八意思兼命をみた。八意思兼命は優しく微笑み、ホッチキスの芯の匂いの神はゆっくり立ち上がり、八意思兼命を見て話し始めた。

「あ、あの、その、私は人間の、小学4年生の少年を見てきました。彼はその、とても勤勉で、動物や植物が大好きな子です。彼は山に遊びに行きたがっていました。図鑑で見た植物や虫を探したり、自由研究をしたりしたいんだと思います。

でも、連日雨が降っていて地盤が緩んでいる山に、母親は危なくて行かせることができません。だから、彼はずっとYouTubeを見ています。

その……学校の授業や映像では体験できない、学べないたくさんのことが自然には溢れているのだと思います。アライグマさんやカマキリの卵さんを見つけた時の感動や、好奇心の膨れ上がりは、この子の将来にとってきっとかけがえのないことなんです……。

自然に足を運び育まれる好奇心や発見が、この優秀な少年を地球環境を改善する大人に育てるのかもしれません……今すぐに影響はないかもしれないですが、梅雨を長引かせることで2、30年後の日本の環境を改善するための機会そのものを、静かに、蝕んでいるのでは、ないでしょうか。

私たち神々はもう何万年も生きているから、忘れかけてしまっているのかもしれないです。子どもの頃の体験が今をつくっているということに……。立場が変われば物言いも変わります。動物も、昆虫も、植物も、菌類も、みな子どもの立場に立って、長い目で考えてみると、梅雨はもう終わらせていいんじゃないかと思うんです」

その後も一晩中、嵐のように議論は続いたが、結果的にホッチキスの芯の匂いの神の言葉はどっちつかずだった神々の意見を束ねることとなり、八意思兼命は8月8日に送り梅雨ボタンを押した。

その日の日本全土は各地で洪水が起きるほどの大豪雨。
そして翌日、世界が変わったかのように雲1つない夏晴れの空が広がり、しばらく雨が降ることはなかったという。

[fin.]


#雨ことば三千世界

梅雨のあいだ、雨が降るたび毎日、約3千字の”雨のことば”を題材にした小説を書き続けています。
雨に関連することばは「雨のことば辞典」を参照に「あ」から五十音順に1つずつランダムに選び、雨が降っている間に即興で書き上げます。
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