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tel(l) if... vol.16 うどん記念日

登場人物

千葉ちば 咲恵さきえ
 
主人公。進学コースの女子生徒。伊勢のことが好き。

伊勢いせ
 特進コースの社会科教師。咲恵と卓実の勉強を見ている。

麹谷こうじや 卓実たくみ
 
特進コースの男子生徒。


伊勢先生は私を、自分のよく知っている生徒だと説明してくれた。先生方が話し合った結果、伊勢先生が私を送ってくれることになった。

伊勢先生の帰り支度が終わるまで、私は、職員室のソファで待っていた。手には学年主任からもらったティッシュ箱を抱えている。

たぶん、ここにはいない担任の先生にも連絡がいっている。すっかり大事になってしまった。
鈍臭い自分が恥ずかしい。よりにもよって、伊勢先生にも見られてしまうなんて。
でも、涙は引っ込んだ。

玄関で靴を履き替えて、職員用玄関に向かった。
伊勢先生が待っていた。手にはビジネスバッグを持ち、外靴として灰色のニューバランスを履いていた。
不謹慎だけど、やっぱり、嬉しい。
先生の外靴とカバンを知ることができた。
そして、学校の外でも先生は一人の人間として存在しているのだなと、当たり前のことに感動する。
芸能人を目の前で見ている感覚と近い。
私はやっぱり、伊勢先生が好きだなと思った。

伊勢先生の車の、後部座席に座らせてもらった。
車内は程よく使用感があり、初めて乗る感じがしなかった。
前の席のエアコンの送風口に花の匂いの消臭剤が差してある。よく一緒に乗る人の趣味かな、と思うと少し切なかった。

先生はカーナビを操作していた。慎重に道順と迂回路を確認してから、出発した。私の住所が、履歴に残るのかと思うと、感慨深かった。

道路は既に混み始めていた。こうなってしまっては、母に迎えに来てもらうことはできない。

「ぼくで良ければ話聞くけど……話せそう?」
赤信号で、先生はそう言った。

私は、鼻水をすすった。さっきまで引っ込んでいた涙が、話そうとしたらまた出てきた。
自分でもいい加減にしてくれと思うけれど、制御できない。

「麹谷くんと何かあったのかな?」
また涙が出てきて、鼻をかんだ。
先生はその様子を肯定と受け取った。

「そっか……この前、勉強を見たときに違和感があったんだよな。何がってわけではないけどね」

先生は空気が深刻にならないように話した。以前から私はこの話し方が好きだった。

私は、鼻声で答えた。
「話そうとしたら、涙が出てしまって。聞いてもらいたいので、話したいんですけど、すみません」

私の脳内は、恥ずかしさ、悔しさ、プライド、自己防衛本能のカオスと化していた。
何をどこから話していいのかもわからなかった。
加えて、私の泣き方も、涙を堪えながら話す声も、全然可愛くなくて悲しかった。

「なるほど。まぁ、今日じゃなくてもいいから、話したくなったらまた、ね。そんなに構えなくてもいいし。別に怒ったりしないので」
「ありがとうございます」
「千葉さんは悪くないよ」
間髪入れずに肯定されたので、私は面食らった。

「え……でも」
なぜそんなことが言えるのだろう。
私はほとんど何も話せていない。詳しく話したら、先生は私が悪いと言うかもしれない。
でも、あなたには嫌われたくない。私を認めてほしい。そう思ったら上手く呼吸ができない。

「千葉さんだけが悪いわけではないでしょう。これでも、千葉さんがどんな生徒なのかは、少しは、知ってるつもりだからね」

私は泣き続けた。嬉し涙も混ざっていた。
どこにそれだけの水分があったのだろうと驚く。

先生はコンビニに停車して、コーヒーと肉まんを買ってきてくれた。レジ袋をもらって、涙と鼻水を拭いたティッシュを入れた。

車はどの辺りを走っているのか、さっぱりわからなかった。でも、先生は着実に私の自宅に向かってくれていた。
涙も呼吸もようやく落ち着いた。

「遅くなっちゃってお母さん心配してないかな?」
「メッセージ送っておいたので大丈夫だと思います」
「あ、連絡しておいてくれたんだ。急いでて忘れてた。ありがとう」
「あの」
「はい、なんでしょう」
「先生の好きな食べ物ってなんですか?」
先生は少し考えて、「うどんかな」と答えた。
「先生にはとてもお世話になっているので。いつかうどんでお返しします」
「うどんでお返しか。なんか、お腹空いてきたな」

私は畳み掛けた。
「私、先生のこと、とても尊敬してます」
鈍臭い私のことだ。今を逃すと言いそびれてしまいそうだった。

「ありがとう。嬉しいよ」
先生はしみじみ言った。
「親からクレーム来ることはあっても、生徒にそう言ってもらう機会は、あまりないから」
先生への感謝が募っていくばかりの状況で、お礼を言うことしかできないのがもどかしかった。
早く大人になりたい。
先生みたいな大人になれるだろうか。

「先生は、花火好きですか?」
「普通かな」
「私も同じです」

それでも私は、卓実と花火が見たかったのだろう。
私は卓実と付き合いたいとは思っていない。卓実といると、煩わしいこともあるから。

でも、花火は一緒に見たかった。
学校祭も二人で楽しみたかった。
ファーストキスも卓実が相手なら受け入れた。

私が望むのは、伊勢先生といるときのような安心感だ。だから、急に終わりにしたくなった。

いつも人付きあいをなぁなぁで済ませていた私にとって、あんなふうに突き放したことを言うのは、よっぽどのことだった。
それなのに、卓実は軽く笑い飛ばして行ってしまった。

本当は作品も、中途半端なものを書いて出してしまった気がしている。
経験していないことや、思ってないことは書けない。だから、こんな状態の私の作品はきっと、大した評価はもらえないだろう。
最後の大会だったのに。

「麹谷くん一緒に、帰ってくれたらいいのにね。付き合ってるんだから」
「付き合ってないです!」
「あれ? そうなんだ」
「付き合ってないです!」
だって、私の好きな人はあなたなんだから。
よっぽど、そう言いたかったけれど、飲み込んだ。


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