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「寛容とは」

はじめまして。
株式会社IMOM、代表取締役社長松田です。

僕からはIMOMの掲げる「寛容」とはなにかという話をしたいと思います。

寛容さは「個人の尊重」ができて初めて生まれるもの。
個人の尊重って?混同しちゃうので分解しました。
個人の尊重とは個の尊重(自分)と他(他者)の尊重。

「尊重」とは、かけがえのない存在として大切にしたり、尊いものとして重んずること。

「個人」がつくと”一人ひとりを”かけがえのない存在として大切にする。と解釈します。
気をつけなければいけないのは、名詞がつくとそれに付随する役割と定義の認識が人によって違っていたり、解釈が違うことでズレてしまうこと。

個の尊重と他の尊重としてわけることで、人はそれぞれ役割が違うことを認識する。
役割を明確にし認識した上で自分も大切にし、他者も大切にする。
誰もが一人の人間として自由に自分の幸せを求めて生きていけることが重要です。

現在の社会において、寛容さが溢れているかというとそうではなく、不寛容さが溢れていると感じます。
自由に自分らしく生きることは難しく、人と比べたり比べられたり、多様な価値観を受け入れることができずに、自分とは異なる考え方の人や少数派の人に対する理解が不足しているのではないか。
多くの人が自分を守ることに精一杯で余裕がなく、他人の動向が気になってしょうがない。そんな世の中な気がします。

人は他者から大切にされず、軽く扱われたときに傷つきます。
自分の意見を聞いてもらえなかったり、無視されたり、一方的に押しつけられたとき哀しみや怒りを感じます。
結果された相手を恨んだり、反発したり、攻撃する。
攻撃的で、些細なことでお互いに責め合う社会になる。
そんな状態が蔓延すると不寛容な社会になるのではないか。

僕は、個々人の幸せの前提は、大切に扱われることであり、温かみや優しさのある繋がりをもてることだと思います。
その上で自分が自分らしく自由に生きること。
温かい家庭や気が許せるパートナーや友達との関係はこの前提あってこそじゃないかなと。

誰しも人から大切に扱われたい、できることなら人との温かい繋がりがほしいと思っているのではないか。
人から与えられた幸せではなく、自分にとっての自由な幸せを感じられる人生を生きたいと思っているのではないか。

他者から自分の存在を大切にされたとき、深い喜びを感じます。
大切にしてくれた人のことはきっと自分も大切にしようと思うし、感謝の気持ちや、信頼、愛情を抱くはず。

それが「寛容」だと思います。

お互いがお互いを尊重し大切にする社会は、自分らしく生きられ、他者を認められる、助け合う、支え合う対象として捉えられ、優しく寛容な社会になるのではないか。

この認識を浸透させていくことで、IMOMの掲げる誰もが生きやすい、寛容な社会がつくれると考えています。