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今海の向こうで苦しんでいる、帰国子女になる予定の学生さんへ

友人がRTしていたこのツイートを見て、同じく家族の都合で海外滞在した者(いわゆる帰国子女)として何か書きたい衝動に駆られたので書きます。また、一回では書ききれなかった想いがあるので、いずれテーマを分けて詳しく書こうと思います。

切実な叫びでありSOS。私は現地校でいじめや嫌がらせを受けたことが(たまたま)ないためわかってあげられない部分の方が多いし彼や同じような立場の学生さんを真に救えるかわからないが、高校を卒業してから色々なパターンの帰国子女に出会いある種ほっとしたこと、また歳を重ねるにつれ帰国子女特有の「ラッキー」があったこと、について書こうと思う。

言いたいこととしては、二つある。

1. 帰国子女の経験や苦悩は、程度も内容も三者三様で100%理解し合うことは不可能だが、話を聴きあって経験を共有するだけで楽になることがある
2. 日本では、海外生活時代に予想していた以上に、英語(他の言語も)が人よりできることが武器になる

僻みモンスターだったアメリカでの高校時代

まずは自分の話を。自分の帰国子女歴(=家族との海外移住歴)をまとめると、下記の2回だ。ちなみに91年生まれの現在28歳会社員である。

1度目:出生〜4歳まで。アメリカニューヨーク州のマンハッタンで生まれ、途中からミズーリ州セントルイスに移り、幼稚園に通った。記憶はほぼない。

2度目:日本でいう中学3年生5月〜高校3年生6月の約3年間。アメリカニューヨーク州のライ市という小さな街の現地公立校に、高校卒業までいた。

両方父親の仕事の都合での渡航だったが、2度目の時は当時在籍していた中高一貫の女子校での生活がめちゃくちゃに楽しく、かつそれが高校3年生まで続くものだと思いこんでいたこともあり、現地校にいる間ずっと「高3まで東京であの学校に通っていた場合の自分」と今の生活を比較することになった。

裕福な白人が圧倒的に多い郊外の公立校だったが、幸いなことに特にいじめや明確な差別を受けたことはなかった。ただ、(幼少時の滞在と渡航直前に通った英会話学校のおかげで音には多少慣れていたものの)英語の習得にはやはり苦労した。内向的でぼーっとした性格だったのと、小学校に上がって以来「転校」自体初めて、それも日本語が使えない状況で、アメリカ人の友達をつくるのも難しかった。学年に数人いた日本人の友人や、ESL(English as a Second Language)の非ネイティブの外国人と仲良くすることが多く、アメリカ人やネイティブの生徒との交流は課外活動(音楽)や授業のプロジェクト、サマースクール等が主だった記憶がある。

今も完全には直っていないが当時からネガティブ思考の塊だったので、非ネイティブの日本人が自分より明るく積極的にアメリカ人と話せているのを見ては僻んだり、考えても仕方がないのに日本の友人のSNSやブログを見て「自分より青春してる!」と僻んだりもした。(まじで僻みモンスターだった。)時には塞ぎ込み家族に迷惑をかけたこともあった。何より、もっと明るく頑張ればいいのにすぐ僻んでしまう自分が嫌になり、自己嫌悪のループにはまったものだ。

ただ、受験を機に帰国してから、語弊を恐れずに言うと、結果的に自分がかなりバランスのいい帰国子女だと感じるようになった。冒頭で引用したツイート主の方と同じく日本語での思考力が確立している中3で渡米し、現地では苦労したが、日本語の好きな書籍などが既にあったので、大きく日本語力を失わないまま帰国することができた。あとでまた触れるが、英語はまあまあできて日本語力も残っている学生というのは、こと日本での受験や就職においてはバランスがよく、得をする。と、自分を肯定するために無理やり思うことにしている。

一口に帰国子女と言っても、経験も悩みも三者三様

帰国してからすぐに入った帰国子女受験対策の予備校や、大学生活において、様々な帰国子女に会った。もちろん現地でも日本人の友人がいたが、帰国してからは出身国も経歴も実に多様な日本人と会った。

滞在国で言うと、私と同じアメリカの中でも東西南北様々な州(州をまたぐと文化も価値観もかなり変わる)、欧米(フランス、イギリス、ドイツ)、中華圏(台湾、中国、香港)、東南アジア(タイ、インドネシア)、インド、南米(ブラジル)・・・とここまで書いて全部思い出すことを諦めたが、とにかく多様な地域から日本での進学を選び同学年になる/なった帰国子女が周りにいた。複数の外国語を習得している人もいた。

もちろん滞在期間や経歴も、ばらつく。生まれてから18年間同じ国にいた、見た目が日本人なだけで中身は現地人の人もいれば、私以上に滞在期間が短い人もいる。教育期間も、日本人学校の期間が長い人・現地校ではなくインターナショナルスクールに通っていた人・英語/他の言語問わず現地校に通っていた人、と色々だ。そしてその苦悩も色々なのである

下記は、本人が感じていると私が実際に聞いた悩みの例である。帰国子女ではない人が読んだら、恵まれているくせに贅沢な悩みと思うかもしれない。でも本人にとってはそれが全てだし、クリティカルだ。そして乗り越えるために日々工夫・努力している人がたくさんいる。

度重なる移住の結果、英語(or 他外国語)と日本語がどちらも中途半端になってしまった。思考の絶対的主軸と言える言語がない。ルー語が一番楽。日常会話はいけるけど、文章を書くときや真面目な話をする時に自信がない。
英語(or 他外国語)に対する消えないコンプレックス。どんなに周囲に英語を褒められても、ネイティブになれない限り一生自分の英語に自信が持てない。私自身10年以上持ち続けているコンプレックスでもある。
日本語にとにかく自信がない。家庭では日本語を使っていても、体系的に学ぶ場がなかった、もしくは身につかなかった。日本での生活に不安を感じるレベルの人もいる。
帰国子女が語られるときに使われがちな言葉ではあるが、アイデンティティ・クライシスに陥っている。これは海外滞在が長い人ほど顕著だが、自分を日本人とは感じられず、かといって育った国の国籍がある訳でもなく、所属がわからなくなり不安や混乱に陥る。海外滞在が短くても、自身の中で柔軟に育んだ海外の価値観を通して日本を見た時に、それまでは疑問に思わなかった日本の習慣や規律に対して理解できないことが増え、悲しむこともある。日本社会に馴染もうとすると無理をしなくてはいけないことも。
海外生活においてトラウマがあり、場合によっては自分が育った国やそこに住む人を憎むほど心に傷を追っている。学校で辛辣ないじめや差別を受けてしまった人に多い。

上記は分類ではないので、他にも色々な葛藤があると思う。ただ、多様なタイプの帰国子女に出会い、彼ら彼女らの悩みを知って、私は安心した。悩みの種類も程度も千差万別だが、同じように家族との海外移住によって持った悩みを、みんなとは共有ができる。みんなの悩みを想像することができる。以来、普段コンスタントに会わない相手にも、いざとなった時相談できるという不思議な安心感を持っている。コミュニティといったら大げさだが、この妙な繋がりは一つの財産だと思えるし、今後も増えていくと思う。

歳を重ねるごとに増えてきたラッキー

ここから、話を戻してあくまで私の体験である。前述の通り決して「青春!現地の友達たくさん!ハッピーハイスクールライフ!」を送った訳ではない、そして28歳の今でもネイティブに対する英語コンプレックスから卒業できない私だが、大人になり受験・就職・転職と経験するにつれ、シンプルに「自分にとっては帰国子女になったことはラッキーだな」と思えるようになった。多かれ少なかれ、複数の国の言語や文化を知ることで、得をしている帰国子女は多いように思う。

まず受験。受験資格があったので、帰国子女受験をした。大学や文理にもよるが、私が進学した大学(文系学部)は、アメリカの大学進学適性試験(SAT)の結果・TOEFLなどの英語力を証明する試験の結果・面接・筆記試験(英語・小論文)が必要項目だった。これは断言できるが、一般受験だったら絶対に、志望大学どころか第二志望以下の大学にも受かっていない。中学受験まではギリギリ堪えたが、以降膨大なインプットを伴う勉強方法がとれなくなった。長い時間集中できず、コツコツと積み重ね式で知識をいれていくことが何よりも苦手だ。一般受験を経験した友人が毎日10時間勉強していた話などを聞くと、ただただ驚く。もともと文章を書くことは苦でなかったが、帰国してからは小論文の訓練がメインの受験勉強だった。明らかに、たまたま帰国子女受験資格があったことによるラッキーだ。

そして就職・転職。恥ずかしながら、新卒の就活では日系企業を中心に70社の選考に落ちた。詳細は省くが、そんな中唯一拾ってくれた外資系企業があった。私は今でも、その企業に入れたのは英語と海外体験のおかげであると思っている。完全なるポテンシャル採用において、大学時代青春を取り戻すかのようにバイトと遊びに明け暮れていた私にとってアピールできる経験は少なかった。面接官との相性もあったかもしれないが、米系で新卒採用の英語力基準が高かったその企業に入れたのは、高校での経験によると思う。その後二度転職をしたが、どちらの企業も英語が必要なポジションで選考を受け、流石に中途採用なので実績も考慮されてはいるだろうものの、英語ができなかったら競争に勝てていたかわからない。

何しろ、日本では英語を使いこなせる人が諸外国と比べ、まだまだ異様に少ない。ネイティブが少ないということではなく、ブロークンでもいいから英語で問題なくコミュニケーションをできる人、海外のオフィスや企業とも協業できる人、が少ない。由々しき事態だし決していいことではないが、ぶっちゃけ私たち帰国子女にとっては希少価値をもたらしてくれるラッキーな事実である。やらしい話、英語力があるかないかで年収も変わると言われているが、実際に社会に出てもそう感じる。英語以外の言語ができると、さらに希少価値は上がる。そこにあぐらをかいてはいけないが、各スタートがラッキーな分には罪悪感を感じる必要もない。

最後に、日々のインプットやレジャーについて。英語が読める・聞けるということは、情報源や消費対象も広がるということである。(私は小説以外の長文を読むことがそもそも苦手だが)日英両方のソースを読んだり観たりすることができるだけで、日本語の報道やニュースだけでは得られない視点や情報が手に入る。ドラマや舞台などの英語のコンテンツも、たとえ100%わからなかったとしても、オリジナルで楽しむことができる。

※ もちろん帰国子女ではないが自主的に留学/転勤したり独学したりして英語を身につけ学業や仕事に生かしている人もたくさんいるが、今回は主題から逸れるので割愛する。

今海の向こうで苦しんでいる学生さんへ

冒頭の通り、この記事で言いたかったことは、下記の二つである。

1. 帰国子女の経験や苦悩は、程度も内容も三者三様で100%理解し合うことは不可能だが、話を聴きあって経験を共有するだけで楽になることがある
2. 日本では、海外生活時代に予想していた以上に、英語(他の言語も)が人よりできることが武器になる

悩みが深刻な場合、そして特に家族や身近な人の理解がない場合、今を地獄と感じるだろうし、時には死にたいと感じることもあると思う。ただ、一足先に日本社会に出た帰国子女の一人としては、これから出会うたくさんの人たちと悩みを分かち合えること・大人になって帰国子女である故の「ラッキー」を享受することなく、全てを投げ出すのは、シンプルにもったいないと思うし、あと少し耐えてほしい。私は普通の会社員なので、共有できる「ラッキー」や掴んだチャンスも凡庸なものになってしまったが、国際感覚のある学生さんの選択肢は、領域問わず本当に無限大だ。

この雑記で、現在進行形で苦しんでいる学生さんが少しでも「日本に帰ったら帰国子女同士で友達になれたり、なんかよくわからんけど色々得したりするなら、もうちょっとだけ頑張るかな」と思ってくれたらいいなと思う。


Photo credit: Pixabay from Pexels

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