魂宿る仏像
中国四川省大同市から西に20km離れたところに位置する、武州山の南麓に石窟寺院があります。東西に1kmも続く断崖に、連なるように石窟があり、東から順序通りに45号窟まで番号が付けられ、
全部で約51個あります。そして小さな石窟、彫像などを置くためのくぼみの壁龕(へきがん)等を合わせると、1,000個を超えます。
2001年に世界文化遺産に登録された、中国三大石窟の一つ
雲崗石窟(うんこうせっくつ)
ここ、雲崗石窟に入ることは、過去の時間に戻ることでもあります。悠久な歴史が刻まれている巨大な遺跡地で、訪れる人々に強烈なインパクトを与えます!
南北朝時代に鮮卑族により建国された、「北魏」の沙門統(宗教長官)である「曇曜」により460年開窟が企画され、当時の皇帝、文成帝より認可をもらい着工が始まりました。各石窟には、それぞれ仏像が安置されてますが、雲崗石窟のハイライトは、当時の華麗な仏教美術の絶頂を感じる事ができる、16号窟から20号窟の5窟です。
16号窟 高宗 文成帝 拓跋俊(452-465)
17号窟 恭宗 景穆帝 拓跋晃
18号窟 世祖 太武帝 拓跋燾(423-452)
19号窟 太宗 明元帝 拓跋嗣(409-423)
20号窟 太祖 道武帝 拓跋珪(386-409)
北魏の皇帝をモデルにして造られたと言われており、曇曜5窟を中心に据えて、雲崗石窟が建造されて行ったと考えられてます。
439年に北涼を滅ぼした後、北涼から多くの僧侶と工匠を連れてきて、開窟工事に従事させました。雲崗石窟の造像が、敦煌をはじめ河西地域の様式と共通点が多い理由です。
厳しい石窟を掘り仏像を建造する、平凡な岩石を繊細な作品にするまで、どれだけ多くの過程を無数に反復したのでしょう。長い歳月が経つにつれ若干、毀損するものの僧侶や工匠の情熱が伝わってきます。
本当にスケールの大きさに驚かされますが、建築技術がままならない460年台に建造されたことに驚きを隠すことができません。
しかし、石窟をよく見てみると、17号窟、18号窟の仏像の右腕が切断されていることに気づきます。文化大革命の時に毀損したと言われてます。石窟の中に造り、自然(災害)から仏像を守ってきましたが、人間の手による毀損を防ぐことはできませんでした。
自分の物でなければ、自分と違ければ、なぜ、壊そうと、無くそうとしてしまうのか?
腕を失った仏像を見ると、人間の利己心をのぞいた気分になり、残念でなりません。
不幸中の幸いは、都市部から離れた場所にあることで、そしてまた、切に願う中国学者達の思いが実り、その後の毀損はなく、今もなお仏像は石窟の中にいるとの事です。
石窟の中から国籍、民族、宗教、思想を超えて、尊重の大切さを教えてもらった気がします。
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