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国際協力の業界で働くための条件

皆さん、こんばんは。いかがお過ごしでしょう。

先日、国際協力のキャリアについて立て続けに、5人くらいから相談を受けたので、そこで気になったことをお話したいと思います。

まず、国際協力の業界で仕事をしようと思ったら、必要だと言われるのが以下の3つです。

1.英語力(TOEFL 600点以上(CBT 210点以上), TOEIC 860点以上)
2.大学院修士(なんらかの開発分野での専門性の証明)
3.二年間の海外勤務経験(青年海外協力隊、UNV、NGO等)

これは、山本敏晴さんという方が15年ほど前に言ってたんですが、当時に国際協力の業界に飛び込みたいと思って、色々調べてると大体行きつく先がこの人のブログだったんですよね。これは一定、事実だと思います。

話を元に戻すと、相談者のほとんどの質問が要約すれば『この3つをクリアするために私はどうしたらいいですか?』でした。これって、どうやったらできるだけ最短距離で効率的にこの3つをクリアして、さっさと国際協力の仕事に就けるかということを聞いてるのです。つまり、最も少ない努力と引き替えに、最も高い報酬を提供してくれる、そういう方法を教えてくれと言ってるわけです。我慢や修行の期間を出来るだけ短くしたい。

『そんなに頑張らずに』名古屋大学に合格したA君

こういう類の質問をどうしてみんな聞くのかをぼんやり考えていたら、ふと学生時代でバイトしていた個別塾の生徒のA君の発言を思い出しました。彼は滋賀県の一般的な高校生で名古屋大学にどうしても行きたかった。高校3年生の4月で偏差値が50くらいの生徒が名古屋大学へ入学するって結構大変なことですけど、国語と数学と英語とを全部、僕が教えていました。我ながら、よくやってたなと思います。今はもうできないと思います。僕も彼も必死でやってました。そしたら受かったんですよね、名古屋大学の文学部に。

それで、合格した書類を持って、ある日報告しに来てくれました。僕は「よく受かったな、おめでとう!頑張ってたからね。」と声を掛けましたら、彼はこう応えました。

『先生、僕はそんなに頑張っていない。』

僕は驚きました。だって、確かに彼は努力していたからです。それを僕は横でずっと見てきた。だから、彼の発言は謙遜しているに違いないと思って、「いや、そんなことないだろ。」と返しました。すると、彼は頑なに「努力なんてしていない。」と言い張りました。その瞬間は、どうしてそこまで謙遜するのか謎で仕方ありませんでした。頑張って受かったのだから、それでいいじゃないか、と思ってました。

でも、よくよく考えてみると、合点がいきました。彼の発言は謙遜なんかじゃないんですよね。彼の言動から察するに、「最小限の努力で最大限の対価を得た」ことが言いたかったのだと思います。「泥臭く、回り道しながら、努力し続けて」得た合格証書よりも、「汗をかかずに、まっ直線に、努力は最小限で」得た合格証書の方が【効率的】であって、それをできた自分がすごいのだ、そんな風に思っていたのではないかと仮説を立ててみています。これは感覚的に蓋然性が非常に高いと思います。
子どもでもそうじゃないですか、どうして勉強するのか聞くのは、理由を聞いてるんじゃないですよ。目的を確認して最小限の努力で済ませたいんですよ。始める前に努力の総量を見積もっておきたいから、その目的を確認するんです。その質問に対する答えが 良い大学に入学するためだったら、大学に入学してさえしまえば、もう勉強する意味はありません。

要領よく効率的に条件をクリアして国際協力の仕事に就くことと、効率的に名古屋大学入学に足る学力を手に入れることは全く同じロジックです。つまり、

最も少ない努力と引き替えに、最も高い報酬を提供してほしい

ということです。

換言すれば、必要以上に努力はしたくない。できれば、努力なんて一切しないで欲しいものを得たい。

努力0で何かを手に入れたい

そう考えていけば、当然努力0で手に入れるのが最も効率的です。大学受験であれば、「3ヶ月で名古屋大学に合格する現代国語」参考書よりも「1ヶ月で名古屋大学に合格する現代国語」参考書を選ぶし、「1週間で名古屋大学に合格する現代国語」参考書を選びます。最終的には「何もしなくても名古屋大学に合格する現代国語」参考書を選ぶでしょう。国際協力のキャリアでも多少複雑ですが、根本は同じです。効率的にできるだけ投入量を減らそうと思いだしたら、最後はゼロになるまで減らし続けます。原理的にはそうです。

最短距離のデメリット

効率的に何か手に入れようとすると、明確で、かつ具体的な目標を立てますから、目的達成の余計なことはしなくなって、インプットとアウトプットは1対1になります。つまり、インプットの結果は(その瞬間に想定した)アウトプット以外には見い出せない。だから、名古屋大学に合格するために得た学力というものは、あくまでも名古屋大学合格のためだけに使用されるものであると自分で規定しているので、結局すぐ忘れてしまう。これは、嘘みたいにそうです。人間の脳みそは、意味性がないことは忘れさせるようにできているのだと思います。
有用性だけを判断基準として勉強している人は、その有用性が消費期限を過ぎたら、勉強した内容をすっかり忘れるのでしょうね。科学的根拠はあるのかどうかしらないけど、実感としては信用しているアイデアです。

余談ですが、学びの消費期限を迎えさせないためには、その意味性を不断に見出し、問い続けることが必要なんだと思います。あとは、単純にアウトプット量を増やすことでしょうか。これまでの受験制度は、あまりにもインプット過多です。しかも社会人になってアウトプットの機会があって、インプットからアウトプットまでの遊びの期間が長すぎます。だから、忘れちゃう。

誰も答えをしらない

毎度同じ帰結で申し訳ないけど、国際協力業界がどんな人を求めているかなんて、時代によって変わりますよ。だから、「どうしたらいいですか?」って聞かれても『そんなこと知りません』と答えるしかありません。でも、どうしても答え(みたいなもの)を知るために、一生懸命にデスクトップリサーチして、冒頭の3つを見つけ出してくる。でもね、それってもう15年も前の話で、しかもこの3つを10年近くかけて手に入れるのであれば、四半世紀も前に指摘されていることになるんですよ。それ信じていいんですかね。

そもそも、先行きがどうなるかわからないような業界とか職種において、「どうすればいいんですか?」って聞くような人は、もうその時点で向いていないと思います。

答えがない社会課題の解決を仕事にしようとしているのに、そこに就くためのキャリアの『正解』を求めようとするって、かなりとんちんかんじゃないですか?

確かに、15年前なら『正解』みたいなものがあって、それを信じていればよかったのかもしれないけども、今業界トップの開発コンサルの会社にいてても、自分の頭で考えて実行できる人って、はっきり言ってほとんどいません。新型コロナの影響で、社会課題は山のように目の前に登場するけど、議論ばっかりして何もしてない。次々と登場する課題に対して、指くわえてみてるだけ。そうだとしたら、それはもはや「社会課題を解決する会社」じゃなくて、「JICAや国際機関の『下請け業者』」でしょう。誰かに仕様書を書いてもらわないと提案できないのは、あまりにも情けない。

今求められているのは明らかに、社会課題を発見して、分析し、事業を構想し、社内外のリソースを組み合わせて、実行できる人です。誰かが言っていることに相乗りして、決まったプロセスでしか仕事ができないような人ではありません。

だから、自分の頭で考えましょうね。

それでは、アディオス!

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