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「責任者出せ」系の人と結婚しない方がいい

新規事業立ち上げでアイデアだけを出して、「どなたかやってください」という人が多くいる。自分自身のアイデアに対して絶対的に自信を持っているが、その責任を取りたくないという人だと思うけど、これでは何も進まない。

そもそもアイデア単体の価値なんて、今の時代ほとんどないと思う、というかずっと価値なんてなかったのだと思う。自分がどれだけ革新的だと思ったアイデアでもネットで調べてみれば、どこかの誰かが同じようなことを考えている。数多の情報に簡単にアクセスできる時代になったから、これまでも顕在化していないだけで、実は「革新的な」アイデアなんてそもそも存在しなかったのかもしれない。だから、アイデアは寄越してやるから、あとは勝手にやれ、でもアイデアを出してやったのだからそのマージンはくれ、みたいな人って結構いるけど時代に即してないなあ、安易だなあと思う。

結局、やるかどうかが重要なので、やらない「外野」がとやかく言っても物事は進まない。やる人間が偉い、それは真理だと思う。

責任を取りたくないのはなぜか

リーダーとして物事を進めていくときに、その最終的な責任はそのリーダーに全て帰するべき、と思っているからです。だから、責任者を務めることが恐ろしくてたまらない。そこまでのリスクは負えないと考えている。

これは逆に言えば、何か問題が起こったら、特定個人にその責任を帰属させて、自分は知らんぷりを決め込んでもいい、そういう考え方と表裏です。

今回の新型コロナの件でもそうだと思う。特定の個人や組織、国に対して「責任を取れ」とがなり立てる人がいる。でも、「諸悪の根源」を誰かに担わせることは絶対にできない。それは、あらゆる問題はその多寡はあれど、すべての関係者がその問題を起こした「責任者」であるからです。

例えば、サッカーの試合で明らかにゴールキーパーのミスで失点してしまったとする。それは、すべてゴールキーパーの責任なのか、僕は絶対に違うと思う。それは、フォワードが早い段階でプレスをしていなかったせいだし、その後列の選手がフォワードがプレスしていないことに気づいてフォローしなかったせいだし、最後のシュートのタイミングでディフェンスが足を延ばさなかったせいだし、シュートボールをゴールキーパーがゴール外にはじけなかったせいでだし、それらを指示して修正できなかった監督の責任でもある。時系を拡大すれば、スターティングメンバーやフォーメーションの組み方に誤りがあったかもしれないし、それを監督に指摘できないスタッフがいたかもしれない。もっと広げていけば、天気だとか体調だとか、家族関係とかも含まれていく。こんな風に、世に起こる問題は、あらゆる行動や判断の積み重ねの結果として現れているだけなのです。そうすると、「責任者」は無限大に拡大していって、本来的には「責任を取れ」とがなり立てる、その人にも責任の一端があるはずであって、「責任者出てこい」と言っても、問題の解決にはならない。

問題の根本を特定しても解決しないし、そもそも特定なんてできない

厳密に言えば、問題の根本原因なんて、ほとんど存在しないと思う。誰かがミスをしたら、そいつのせいだと言うかもしれないし、その上司のせいだとか言うかもしれないけど、ミスを止められなかった周りの責任もあるし、そういうことを指摘し合える雰囲気のない社風が担う責任もあるのではないかと思う。

そうやって考えていくと、責任者は無数に存在することになって、責任の所在が明らかにならない。

「責任者出せ」ではなく、全員で責任を少しづつ負う

誰かのせいにしようとしても結局その所在が(厳密には)明らかにはならないのであれば、何か問題が起こった時は自分にもその責があると思って粛々と対応する他に対応策がないと思う。道端にごみが捨ててあった時に、「どいつが捨てたんだ」とか「誰が責任者なのか」とか、歯をむき出しにして怒り狂うよりも、「私にもその責があります」とごみをゴミ箱に捨てる方が社会が早く良くなる。

責任を取れ取れ言う人も、ごみをゴミ箱に捨てる人も、どちらも志向するのは「綺麗な町」であるはずであるけども、結果的に「綺麗な町」に近づく行動は後者である。そうであるはずなのに、特定の「誰か」の責任にしておいて、外からやいやい言うことには一生懸命になれるのに、「誰がやったのかわからないけど、とりあえず僕やっときますわ」的な責任の担い方を一切したがらないのは、どうしてなんでしょう。僕にはさっぱりわからない。

社会が良くなることにリソースを割きたがらない理由

多分、自分の時間とか労力とか、自分で保有しているリソースをできるだけ自分以外のことに割きたくないのだと思う。自分の時間や体力は自分のためだけに使われるべきものなので、誰かのためには絶対に割きたくない、そう考えているんだと思う。すべての人が他者や社会にリソースを分け与えられなくてもいい、でも一定数そういう人がいないと社会が成立しない。

リソースを占有したい人は共同生活を送れない

個人的な話ですが、夫婦生活が同棲期間を含めると5年ほどになりました。この人と結婚して本当に良かったと思えるのは、「洗濯物残ってたから洗っといた」とか「散らかってたから片付けといた」とかで家事分担が成立することです。夫婦で家事分担を明確にしておくよりも圧倒的に楽です。家事をきめ細やかにリストして分担すると、何らかの事情でどちらかが分担通りに家事をできない時「どうしてやらないんだ」といらだつんですよね、どれだけ仲良くたって。責任範囲を決めると、そのルールに基づいて、自分は相手を責めてもいいと思うんです。そういうもんです。

だから、「あ、やっといたよー」で家事を済ませる方が、夫婦の間にぽとんとボールが落ちることはない。そうなのですが、このやり方は「よく考えたら僕の方が割食っている」とか「今月は自分ばっかりが家事やっている」とか、そういうことを思う人は向いていません。自分のリソースを生活の場に提出し続けられる夫婦だけがこの方法を導入できる。

だから、パートナー探しには「責任者出せ」系の人でない方がいいと思いますよ。

それではアディオス!

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