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それは突然、海の底まで落ちていく

どうも、夏柚です。

最近の悩みは、手足の末端とお腹の下あたりが冷えていることに気づいていながらも、良い策がなく、そのうち体に支障をきたしてしまわないかと震えていること。
厚手の靴下を履いても改善されず、ミニヒーターで温めようとするも、調整が難しくすぐ熱くなって、つけたり消したりが面倒になる。

女性というものは何かと世話のかかる生き物だと、この33年間でも身にしみて実感している。これからも付き合っていくこの身体、もう少し労わってあげるのを今年の目標にしようと、今決めた。


身体の不調に留まらず、時折、心の具合も不調を訴える。
それはなんの前触れもなく、ただひたすら、海底までゆっくり沈んでいくように思考からダウンしていく。

もしかしたら、自分でも気付かないほど小さな欠片や破片がチクチク刺さって、そこに含んでいた空気がいつの間にかなくなることで、浮いている事ができなくなったのかもしれない。

それは些細な言動によるトゲだったり、他人の無意識領域からなる行動による破片だったり。思い返せば心がどんどん萎んでいくような出来事が積み重なっていた気もする。

一旦沈みはじめると身動きとれないのが特徴で、底に到達するのをひたすら待つしかない。その頃の私は、抜け殻でもゾンビでもなく、ただ清々しいほどの「無」なのだ。
泣くことも、笑うことも、怒ることもせず、淡々と生活する。
もちろん子供たちの前でも同様に。
最初は、不安と反省?(理由もわからず)しているような態度を見せてくるんだけど、どれも関係ないことを伝えて、何も言わずただハグをする。

きっと家庭用主婦型ロボットが活躍する頃には、こんなビジュアルと機能なんだろうと容易に想像できる。
(それを私は購入するのだろうか、、)

そしてまた空気が送り込まれる瞬間というのも突然で、真っ暗だった海底から、眩しいほどの水面へと浮上していく。
徐々に生活にも彩りを取り戻し、子供たちの笑顔につられるように、笑うことができるようになってくる。

こんな再生と停止の期間を繰り返していくことで、人は成長していくのでしょうか?いや、少なくとも私という、人間Aの場合の話ではありますが。
暗くて深い所ほど、苦しくて息ができない場所はありません。
そんな繰り返しはできればもう卒業したい。

心に蓄えた空気の入れ替えが必要なのであれば、何か綺麗なもの(景色)でも見にいくとか、新鮮な空気を思いっきり吸える場所に行くとかしてみよう。
小さくても開いてしまった穴にはなるべく早く気づいて、塞ぐための術を身につけよう。それは例えば、何か楽しくて気分が上がる物や場所をストックしておくのはどうだろう。

今まで優先順位の低かった”自分”に、もう少し目を向けて、たまにはご自愛キャンペーンも開催したりしながら、折角の今世を楽しむ事にしよう。
いつか国民の祝日として「ご自愛サービスデイ」ができることを願って。


おやすみなさい。


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