shrink 第3話 精神疾患から見えてくる日本の現状
shrinkの第3話を連ドラ予約をしていたが取れていなくね、2話目もとれてなかったけど直前で取れてないことに気付いて録画して見れたんだけど、第3話が取れてなくてアマプラにあるのを見つけたけど、一週間ぐらいアップされなくて気持ちがなえていた。
と思ってたら、昨日アップされていて見ることができて、嬉しかった。
第3話はパーソナリティー障害
とのことだった。
家庭環境で父が切れて、母に八つ当たりしているシーンがあり、自分と同じだと自覚する。
彼女の中のインナーチャイルドが止まったまま傷ついた認知のままとどまっていたりしていたりする。
どこにでもある。どこにでもあるからこそ大事にしないといけない。
なにを?
みんな発達障害振り回されているのが日本
わたしの父を見たときに明らかに発達障害の特徴が当てはまるものが数多くでてくる
そして母はカサンドラ症候群だったのではないかと思い、さらには自分には発達障害の傾向と母だけでなく自分もカサンドラの傾向があるのではないかと思う
こういう関係は珍しい、と以前は思っていたがむしろこっちの方がスタンダードなんではないかと思う
極端な考え方で周りに思わぬ影響を与える、そして母側は被害者と言えば被害者だが、アサーティブなものの言い方ができれば、変わっていける側面があり、被害者としてだけでなく、何かしらの変化は必要とも考えられる
そしてそのいびつな家族が子どもにとっての社会であり、全人類であると刷り込まれてしまう。
子どももいつまでも子どもではいられない、でもパーソナリティー症やアダルトチルドレンなどの傾向として表れてくるものを変化させていくことで自分の生存やさらには幸せにとっても必要な道が開けてくる。
大人になろう
今回の主人公が言った一言である
発達障害の父も子どもっぽいし、母も親としては頼りないと思いたくなる(クレイジーな父から守れないよ、と思う部分もあるがやはり自立はできていなさそうである)、そして子どもは成長の機会を奪われて大人になれず、社会に適合できない。
※いまの社会が適切かと言われたら疑問はあるけど、せめて自分の周りの社会は落ち着いた環境にしたい
使い捨て社会の弊害
父は発達障害(母でもよいが)と思ったとしても、父は父の家庭環境で幼少期を過ごし育たなかった部分があるのかもしれない。
発達障害は発達障害なのか未発達なだけなのか、考えることがある
(未発達ですませるには5、6回ぐらい生まれ変わって生き直さないと多分発達しないとさえ思うぐらい成長が遅い(ないのかもしれない))
どこかで順繰りまわってないものがある。こころもものも色んなものを使い捨てていく。
人間のすごい力はなにか?
と言ったら、命をものに宿せることである。手紙を送る、ぬいぐるみを大事にする、プレゼントする、どれも単純にものとして扱っているだけでなく、そこに自分の思い込めることができる。そうでなければ手紙やプレゼントをするという行為自体に意味を感じない、お金を渡せばよいだけである。プレゼントを誰かに突然捨てられたら傷つくのである。
使い捨て社会においては人間は多くの自分の命を捨ててきたと考えられる。
大人になりきれてない大人たち、そこにもう一度目を向けて、インナーチャイルドをかき集めてくるとかインナーチャイルドと会話して留まってる認知を進めることである
身体感覚の欠如
使い捨て社会において、日常生活から生まれてきてよかったという感覚がなくなってしまったように思う。
この生まれてきてよかったというのは精神科医益田ドクターの動画でもあり、スティーブンマーフィー重松さんの本の中にもある
例えとして、1日疲れてお布団に大分するときとか、夕日をみれたときとか。
そこには単純に美しい景色を見たとか布団の手触りとか、ただの情報だけではないことがわかる。
一日疲れてからだが重くて、まるで身体をもののように扱い投げ捨てるかのようにからだが重力にしたがい落ちていく落下感やお布団によって優しく包み込まれ、お布団の懐かしい香りでからだの重さがすべて移っていくという体験と感覚の多重奏性である
傷ついていたり、複雑性PTSDの方の身体性大きな影響を受けてると思う。だからもう一度自分の新体性を取り戻すことが重要だろう。す
今後の展望
発達障害を軸にした教育がメインになったりするかもしれない。
定型の人たちにとって発達障害傾向のある人は違和感や拒否感があるかもしれない。とはいえ発達障害同士はさらにコミュニケーションが取れず困難さや嫌悪感が強い場合も多いと思ってる。
でもだからこそコミュニケーションを丁寧にすることが地道かもしれないけど、新たな世界観を広げるために必要なことだと思う。
そのために実はカサンドラ症候群を軸に解決を図ることは大きな可能性があると考えている。これは決して発達障害側はそのままで言いといっているわけではないし、影響を受けてる側が頑張れと単純に言ってる話ではない。
関係性や距離感、コミュニケーションの仕方、人に対するそもそもの態度の変化が必要だと思う。
きっとこのジャンルが新しい可能性を開くと思う。
この技術が身に付けばきっと会社の中でのパワハラやセクハラなど建設的な形の再構築ができるのではないかと思う。
次を担う世代のために、リモート稽古のために空手着や道具作成やリアルな稽古出張のために使います。