miya999999999
マインドフルネスの教室に一ヶ月間参加しました。 その学びと、さらに個人的にマインドフルネスっていろんなことと相性いいのでは?と思い、コラボの方法を考えてみました。 日常や私の趣味などに反映できる部分を加えながらお伝えしていきます。
仕事の悩みやそこに至るまでの人生の振り返りもしています。 参考までに。
エネルギーワークについてまとめてみました。
マインドフルネスエネルギーワークの工夫事例、 具体的な手順をまとめました。
量子力学を大学時代に学び、不思議な世界を感じていた。 不思議だが、日常生活に生きるような気がして、 自身の感性で読み解いていきたい。 #量子力学的身体論 #感性 #日常生活
エネルギーワークは、人間のエネルギー体(オーラやチャクラ)を調整することで、心身の健康を向上させるための手法です。この記事では、エネルギーワークを使ってマインドフルネスの効果を高める方法について詳しく解説します。また注意点も記載しております。 最後に具体的な10ステップの手順を説明しています。 ※エネルギーワークやマインドフルネスについてこちらにまとめています。 エネルギーワーク マインドフルネス 1. エネルギーの基本理解まずは、エネルギーワークの基本的な概念について
ないものに対して憧れ、それを追い求め、形にする。 とても目標思考で、世の中の経営陣は評価すると思う。 ただ実行機能不全だったり、マルチタスク苦手だったり、優先順位つけるの苦手だったり、段取りが苦手な場合、その道はイバラの道である。 自身の能力の不完全さや未熟さや自動的に頭が混乱する仕組みを持ってる人にとって、ただの道なのに一人幽霊と戦っているような道になる。 そこで、ないものに憧れずにないものに集中する。 頭がパニックになりそうなときとかとても役に立つ。道中の幽霊たちも自
毎日が面と向かって戦っている 背中を押してくれる人は見えてない 背中を意識したマインドフルネスをやってみよう 気持ちが落ち着くよ じぶんの背中がどんな感じか あたたかいかつめたいか かたいか柔らかいか だれかのやさしい手を感じるか
この世に様々な音が溢れかえっている。 車の音、風の音、誰かの声 無音なるものはない 無音の部屋に行ったとしても、じぶんのからだの中から心臓の音や血液の音をある そんな中、改めて無い音を聞いてみる からだが柔らかくなるし、一種の集中感というのかなにもない経験ができる 無いものに触れる あるものに触れたときの感覚をおいかける そのあと無いものに触れたときの感覚をおいかける
新しい世界観を作る この新しい世界観という言葉が興味深い。 落合陽一がバースという言葉を使っていた。 メタバースやユニバースのバースである。 私は最近これがやはりトレンドなのかと思い始めている。 つまりはじぶんが見ている世界を作る。そしてその中での自身の価値基準でじぶんバースを生きていくということだろう。 客観的評価の高みから コペルニクス的転回2.0|miya999999999 #note ,また落合陽一のnoteでは以下のように書かれていた。 人間観のコペルニ
気づけよ気づけよ 以前、坊さんから聞いた説教のなかで幸せが周りにあることに気づこうというものだ でも気づかないことで続く幸せもあるはず
自分含め多くの人が陥ってる落とし穴として、強ければいいよね、賢ければいいよね、 という世界の多くの人が正しいと思っているだろう、そして自分の頭で考えてもこれに対してそんなに大きくずれてはいないから、基本この価値観を持っておこうとする それが大きな落とし穴のように思う。 学校の成績学校の成績がよい人が上位に来て、 そして上位の人が学級委員や生徒会になり 運動ができて強いくてリーダーシップを発揮できてるから、 やっぱり彼らが正しそうだ、 彼らについていけば良さそうだ、となる
多くの人は意識しなくても呼吸はできている でも、緊張が高まったり、環境に違和感を感じ始めると、 「息がしにくい」 「息苦しい」 と表現されることがある 緊張状態になると交感神経が高まり、呼吸は浅く速くなる 呼吸は無意識のうちに微妙な雰囲気を感じとり、変化させている 突然あなたの部屋のドアが開いて、 誰か来たときを想像したときに、いまと同じ呼吸ができますか? 入ってきた人が、お父さんだったら、好きな人だったら、子どもだったら、ペットだったら、上司だったらどんな呼吸に移り
スティーヴンマーフィ重松さんの本スタンフォード大学のいのちと死の授業を読んで 我々は死につつある という出だしから本が書かれている。 確かにいつか必ずやってくる死に向かって、時間を止めない限り、その時はやってくる 呼吸をしているとは?普段、呼吸を意識することはない 激しい運動をすると呼吸は荒くなり体は大きく呼吸をする 何気なく呼吸はしているが密接に精神の活動と繋がりを持つ お風呂に入り全身のからだが緩むと呼吸はゆっくりと穏やかになる 試験で緊張すれば呼吸は浅くなる
スティーヴンマーフィ重松さんの本スタンフォード大学のいのちと死の授業を読んで 喪失によって気づかされるものがある これまであったのに、失くなったことで気づくことがある 今まで生きてきて、生きづらさを感じてきた 何で生きにくいんだろう? そこそこ話ができるけど、人といるのがしんどい 学生のときも振り返るとお昼は友達と食べずに一人で食べてたり 社会人になって仕事として人と話すようにもなったけど、でもしんどさが強い みんな優しいのに、でも疲れる できないことを見つけて、
スティーヴンマーフィ重松さんの本 スタンフォード大学のいのちと死の授業を読んで あなたは誰ですか? 名前を言っても 性別を言っても 経歴を言っても あなたの一部でしかない なにかを手にしたものや自分が手に入れたものを積み重ねても部分でしかない でも手に入らなかったものの方が全体を表すことがある。 世の中には手に入らないものか山ほどある、その中で手に入れようとして、手に入らなかったものは自分と自分以外の境目である ここに自分という全体性を表すものがあるのだと思う
スティーヴンマーフィ重松さんの本 スタンフォード大学のいのちと死の授業を読んで サウボナという南アフリカのズールー語の挨拶がある これはわたしはあなたを見ています という意味 そして挨拶の返事は わたしはここにいます というもの 生きているもの同士が同じ場で、相手を認識することはすごい力だと思う もし相手が死んでいたり、もしくはじぶんが死んでいて幽霊だったら、いくら わたしはあなたを見ています と言われても聞こえないし、見られていないし反応できない 当たり前のことだけ
体癖とは野口晴哉が独自の分類方法で、休むときに足を組んだり、何かに集中しようとしたときに体をねじったりして、体には使い方の癖があると言っている。 癖というのがとても興味深い字のチョイスである。 なくて七癖と呼ばれるぐらい、癖がある。 そして癖と呼ばれる熟語も多く、性癖・習癖・盗癖など。 癖と言われてどんな例があるか 大きく分けると、**身体的な癖**と**性格の癖**の2つに分類できる 足を組むとか爪を噛むとか髪を触るとか 人を見下すとかマウントをとりたがるとか下
一緒にマインドフルネスをしたい。 感じてみてほしい。 ※「わたし」は読んでくださっている、わたしのことです。 わたしはスマホを見ている わたしが読んでいる記事の裏には筆者がいる 筆者がわたしを見ているかもしれない わたしは記事を通して筆者を見ている お互いに見つめ合っている ちょっと緊張する わたしも緊張する、筆者も緊張してるかも 筆者もわたしを見る 筆者と目が合う わたしの目が筆者の目にうつりこむ わたしの視線は筆者の目を通り越していく 筆者の目線
記事を読んでいたら いつの間にマインドフルネスになってる文章を書きたい。 たとえば 小さな声で音読をする これを読むと自然に頭の中で 文字が音となってなりひびく わたしは。 わ という音 た という音 し という音 は を わという音で聞いている わ と、 た と、 し と、 わ 今度は わ という音 と という音 し という音 と という音 わ という音 という音 という音も頭のなかで聞いている 意味なのか音なのか なぞ
あなたは誰ですか? まるで記憶をなくした人が尋ねるようなセリフである しかし、誰もこの問いに答えることはできない 例えばわたしの場合 あなたは誰ですか →わたしは田中です いえ、名前を聞いているのではないのです あなたは誰ですか? →わたしは男性です いえ、それは性別でしょ あなたは誰ですか? →わたしは、わたしです それではよくわかりません あなたは誰ですか? →わたしは、誰ですか? 決して単語ひとつで答えられるような存在ではない。そして、どれだけ文章を並べ