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noteという駅前

今年に入って、毎日、なにかを表現すると決めた。

いろんなSNSをやっているけれど、選んだ媒体は「note」だった。

長文が読みやすいのがよかった。
写真を投稿しやすかった。
エディタの使い勝手が直感的でよかった。
まだそこまで手垢がついてないが、最近、利用者が増えてきた。

毎日表現するまでは、いろんな理由が思い浮かんだけど、やってみるとこの、noteという場所の魅力は、全然違うところにあったことに気づいた。

自分を試している感覚。

noteに表現して世の中に出すことは、駅前でギター1本で歌を歌うような感覚なのだ。

自分のことを、知らない人たち。noteという駅前を通りすぎていく。

そこで、なんの肩書きもなく、ギターをかき鳴らして、足を止めてくれる人を待つ。自分になんの肩書きもない、というのはすなわち、中身で勝負しているということ。毎回、全世界に伝わってほしくて表現している。ヒリヒリした感覚をもって、僕の存在を、かけている。

ずっとストリートに立ちたかった。知らない人たちにどこまで通じるか試したかった。

ギターはそこまで上手くないし、歌を聴いてもらいたいわけでもない。似顔絵を描きたいわけでも、自分の書をもっているわけでもなかった。大道芸も、できなかった。

それでも、僕が誰にも負けていないと思っていたことがひとつあった。「考え続けていること」。

だから、唯一、「自分が考えていること」は、表現したいと思っていた。

実際に、スケッチブックをもって、ストリートに立って、自分が考えたことをただ話すということをやろうとしたことがある。直前で、ビビりすぎてやめた。

いま、noteにこうして表現していると、あのときにできなかったことを、実現している実感がある。

足を止めて。こんなにも、面白いことを考えてるんだ!

音は鳴らないギターをかき鳴らしながら今日も歌おう。

以下オマケ

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