「死にたい」って言う人は何考えてるのか?元・死にたいマンが解説する「死にたい」の正体
ぼんやりとした不安でおそろしくて、生きていく自信がないあなたへ。
うつ患者の家族や友人、仕事仲間のあなたも、「『死にたい』って言われたら、まず話を聞いてあげること」というようなこと言われたりして無理。って思ったことあったら、この記事を読んでください。
うつヌケハック担当者、株式会社イメジンの日野成美です。
前回の記事はこちら💁♂️
9月10〜16日まで、国をあげての自殺予防習慣です。
それに乗っかって、うつヌケハックではじめて自殺念慮、つまり「死にたい思い」についてガチな話をしようと思います。
うつ病と言ったら自殺願望、希死念慮が主訴だったりするのに、今までこの話題を避けていたのは先月まで株式会社イメジンの広報って立ち位置だったから!
独立コンテンツ化したから、もう何も怖くない!
うつ病、ないし抑うつ傾向のある人が多く集まる私のまわりには、
「可能な限り長生きしたくない」
「早死にの方法があるならそれ選ぶ」
「安楽死でいい」
「人生が消化試合にしか感じられない」
など、すなおなみんなが大好きだよ!!って言いたくなる本音を持った人がけっこういます。
つまり、ゆる〜く希死念慮が強かったりするんですね。
で、なにかがふっと緩んだ瞬間に「死にたい」って口にすることもある。
「死にたい」って言葉、重すぎてほとんどだれも扱えないんですよ。
だから今日は「死にたい」という言葉の正体を、幼稚園児のいとけない時代から「死にたい」と言い続けてきたプロの元・死にたいマンである日野が、徹底解説❣️
なお今は生きるのが楽しくて、50年後くらいに死ぬまでに日本のうつ病有病率を100分の1にするのが夢だ!
うつ病マンもわかっていない「死にたい」という言葉の正体を、個人の経験をベースにしつつ解説します。
死にたいと言い続けて26年。本音は「たすけてほしい」だった
私自身、死ぬことを物心ついたときから望んでいました。
厳密に言うと、肉体を持ってこの世にいるのが耐えがたかった。
生きてていい実感がないまま、人生が27年くらい経過してしまっていました。幼稚園の時にはすでに「歩道橋から落ちたら死ねるかな…」って考えていました。
無条件にその場に生存していい、という感覚がわからなかったし、人の顔色を読んで期待通りに振る舞わないと生きていけないと思ってました。
なのでそもそも、自己管理どころか自己保全すらわからんちん。
生きているより、死の方が自分にとって適切な気がしていました。
本格的にうつ発病したあとは、朝起きた瞬間から「死にたい」と考えるのをはじめ、夢の中でも自殺したり殺されたり忙しかったです(※うつ病マンあるある「悪夢がすっごいエキサイティング」な件)。
なんでまだ無駄に生きてるのかと、いつも自分を責めていました。
肉体を持ってこの世に生きているのがつらかった。
思い通りにコントロールはできないし、だるくて重くて眠いのに眠れない。薬を飲んでも治らないなら、これはそもそも治らないに違いない。
しかも肉体を持って生きている人はふつう、仕事したり学校行ったりしなければならない。
なのに、自分の肉体も精神もおかしいので、有益な生産活動ができない。
自分は欠陥品だから、早期廃棄が非常に適した方法のように思う。
……あれ、生きてるの辛くて当たり前じゃね?
目を開けて意識が覚醒した瞬間、最初に感じる感覚が「だるい」とか「手が動かない」とかだったら、そりゃ生き続けるのにポジティブでいるの無理じゃない?
っていうか他人の期待に応えるために生きてて、肉体機能を封じられたら「よし欠陥品だ死のう」ってならない?
シンプル!!自然すぎる!ある意味合理的だ!
こんな状態からどうやって抜け出したんだってマジで思いますね。
それについては後半でゴリッとお話しするので、まず、ぜひ、
「死にたい」という言葉の正体について、うつヌケした言葉のプロたる私の立場から解説させてください。
うつ病マンが常に持っている「死にたい」という言葉を、人はどう受け止めればいいのか。
「死にたい」を聞くのがイヤなあなたへ
うつ病マンのあなたも、患者家族のあなたも、うつ病マンの友人知人や同僚上司のあなたも。
「死にたい」って言葉聞くの、すっげえイヤですよね。
その感覚は正しいです。大切にしてほしいと思います。
「死にたい」って非常事態アラートのごときパワーワードとして、聞いた人の脳に響き渡ります。
えっなんかあったの?という感じになりますが、あまりに破壊力あるワードすぎてたいていの人は受け止めきれません。
「縁起でもないからやめて」「生きてればいいことあるよ!」と打ち消しておしまいにしてしまうのは、正直しかたないところがあるでしょう。
いや、だってかなりインパクトあるもん。ばこーんって来るもん。
「死にたい」と言い続け、友人知人の「死にたい気分」ともつきあってきた私はびくともしませんが、ふつうの人が受け止めるには非常に重すぎる言葉です。
だから、他人のつぶやいた「死にたい」を受け流すのは仕方ないと思うんです。
それでも、目の前の苦しんでいる人をなんとかしたいという、心やさしいあなたに!!
毎日「死にたい」と口にしていたプロライター日野がすすめる方法がこちらだ❣️
相手に言われた「死にたい」を、「助けてほしい」に脳内変換してみてください。
その上で「何を助けられる?どうした辛い?」と、具体的に何がどうなのか聞いてみてください。
どんなケースでも、言った人の段階を見極める必要があります。
もちろん、死を口にした人の中は、悲壮な決意で絶対確実に死ぬ方法を整える人もいます。
が、人間の体はメタクソしぶとくてなかなか死なないので、本気で死を考えるとガチ本気出さないとならんのです。
リストカット何百回やっても死なないじゃろ?アムカでも意識飛んだりすらしないじゃろ?そういうことだ。
たいていの人はそーいうフェーズじゃない。
「米炊いてない。夕飯の用意めんどくさすぎて死にたい」ぐらいの絶望感もあるし、「なんかもう考えるのがつらいくらい体がきつい」の場合もあるのです。
ガチなきつさ、説明不能なくらいの感じの悲しさや無力感が固まって「死にたい」というシンプルなワードに結晶するケースが、実は多い。
そもそもだるすぎて、肉体機能を完璧に停止させるだけのエネルギーがないのが重度のうつ病です。(※回復期がキケンって理由はここにあるよ!)
イヤ本当に人間の体死なないからね。呼吸止まっても2分くらい心臓動いてたりするから。
「死にたい」のはもちろん、現在耐え難くつらいから。
ただ、「死にたい」と口にする人のほとんどが脳機能が低下した抑鬱状態です。
うつ状態だと、言語機能も実はかなり落ちています。
「死にたい」のウラに、何かある場合が多い。
そしてその苦痛が解消されれば、また生きてみてもいいんじゃないかと思えたりする人もたくさんいます。
「死にたい」ってワードが出たときには「助けてほしい」と同義であるケースもあると考えるのが有効です。
あ?
最初から具体的に言ってほしい?
うん、ごめんねこちとら脳は炎症起こすし、自律神経はぶっ壊れるし、セロトニンは出ないしで盛大に思考回路がトラブってる状態だから!
そこまで考えが回らないの、病気だから!ごめんね!
なので「死にたい=help me!」と即座にセルフ脳内変換しちゃって、
「なんか困ってる?どうした何がつらい?」
って聞くのがうつヌケハック的な模範解答。
薬飲んでも治らないだるさ、眠気を癒すために、うつヌケハックでは鍼灸ヨガ養命酒をはじめとしたセルフケアメソッドを紹介しています。
生きてていいと確信を持つための、啓蒙の金曜日も一生懸命書いています。
うつヌケハックは今後もきっと「死にたい」をちょっとでも助けられる方法を発信していけるだろうと、そう信じている次第です。
なにかあったらコメント欄とか質問箱で教えてくださいね!誠心誠意答えるよ!
なぜ私は生きて「うつヌケハック担当者」をやってるのか
で、うつヌケハック担当者・日野が希死念慮からどうやってうつヌケたのかって話に戻ります!
いやーよく生きのびたよねー。われながら今が夢みたいだわ。
理由は大きく分けて2つ!
1つ目!
毎日好きなもの食べて、好きな文章書いて生きてたからです。
ごはん回でも書いたんですが、マック食べたかったらマック食べて、モス食べたかったらモス買ってきてもらって、ボンカレーも食って、と次のごはんを絶対好きなもの食べることで希死念慮MAXの27年間をつないできました。
あと発病が発覚した頃(14歳当時)にはハリー・ポッターがまだ3巻までしか出てなかったから、「最終巻読むまで死なない」とファン魂を発揮。だって死んだら結末が読めないからね!
最終巻が出るころにはいろいろ人生が楽になってましたね。ありがとうハリポタ。ありがとうローリング先生、静山社さん。
ちなみに私が文筆の道を志したのはハリポタのおかげだよ!今読んでも1巻の●●トリックとかあと最終巻の○○が○○で○○○ってのが本当に(ry)
生きのびるのが辛かったら、「次のごはんを楽しみに生きる」の、マジでおすすめです。
「呪術廻戦の完結を見届ける」「ワンピースが完結してから生殺与奪の権を再考する」でも全然いいと思う!
2つ目!
「生死の決定権が自分にある」と考えると疲れたからです。
「死なない」と決めた…というより死ぬ権利を手放して丸投げした、というほうが正しい言い方になります。
なんか、判断するのに疲れちゃったんですよね。
「いつ死のう」「どうやって死のう」って具体的に考えるの、まぁまぁ疲れるんですよね。
で、うつ病のヒマにあかせて聖書をはじめ仏教教典、神話、教典など宗教書を山ほど読みあさった結果、「自分の存在意義や生死を、神に丸投げする」という世界観を知りまして。
「神(や仏、摂理)が適切なときに、自分にとって適切なことを施してくださる」というやつね。
なんかどっときちゃったんです。
いや死ぬタイミングとか、私が決めなくてよくない?
だっていちいち考える方が疲れない?
生きてるのもきついけど、死ぬのも大変なら、死ぬタイミングはテロメア遺伝子とか運命とかに任せたほうが効率的じゃない?丸投げしたほうがサクッと死ねそうじゃない?死ぬの大変だし。
今は特定の宗教を信仰とかしていないのですが、「全部自分で抱えこまない」ことを教えてくれた古人の教えには感謝しています。
私は今、生きているのが快適です。
それは「死ぬべきだ」と自分をいちいちジャッジしていないからです。
そして、生きている肉体をセルフケアしてるので、ストレスが少ないためもあります。
でも、いつかは死ぬでしょう。それは当然のことなので、その時が来るまで生きることを楽しめればなと思っています。
自分から「死」を考える人の多くは、認知の歪みにおちいっています。
言い方を変えれば、視野狭窄。
ただ、それは脳機能の低下で容易にだれでも陥ることであり、いずれは人生を歩んだ先、死に至ることが決まりきっている人間にとって不自然なことではありません。
つらさが臨界点を突破して、心が「死にたい」と思うことは自然なことです。
「死にたい」は言っていい言葉だと、私は今も思っています。
で、死なないためにできることは、かんたんです。
今のまま息をするだけでいいんです。
それだけでいいんです、その場にいるだけで私もあなたも、二酸化炭素を植物に提供して消費税払って、世界に貢献できています。
読んでくださって、本当にありがとう。
でも何を目的にして生きればいいのか?
人間五十年どころでなく、人生100年時代になにをして過ごしたらええねん?!
こんなに今、つらいのに!!
それを次回では探ります。
次回、啓蒙の金曜日「うつ病マンの、私たちの、生きなければならない理由」の予定。
お楽しみに!
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