見出し画像

小娘、高級ワインを知る

イタリアで1年の4分の3を過ごした2023年。年越しを前にして、忘れられない出来事に遭遇した。それは、トスカーナのDOCGワイン(イタリア格付けワインの最高格)、Brunello di Montalcinoを初めて飲んだ夜のことである。

一ヶ月ほど前から予約していたそのリストランテでは、フィレンツェ名物であるTボーンステーキを食べることが本来の目的であったのだが、そのあたりの数週間、はじめてイタリアワインについて本気で勉強し始めていたことがあって、いつからかステーキ以上に美味しい赤ワインを飲むことの方へと期待が膨らんでいっていた。

食べるものは大方決まっていたので、付け添えの野菜を話しあったのち、とうとう私はもう一つのメニューに手を伸ばし、闘いに挑むくらいの気持ちでワインリストの一ページ目を大事にめくった。

今までそもそも何が書いてあるのか、そしてどこを見たらいいのかわからなかったはずの字面が、面白いくらいにするすると頭に入ってきて、もうボトルを目にする前から全身が熱くなるほど興奮したのを覚えている(テストで前日に勉強したところがそのまんま出てくるみたいなそういう感じ)。

Chanti Classicoのページをすっ飛ばし、お目当てのBrunello di Montalcinoの表記を見つける。創始者であるBiondi Santiの名が光るように見える。その横に目線をずらしていくと3桁の数字が並んでいるのが目に入る。ボトル一本、3桁。私のひと月の家賃。そして同じ銘柄であっても年代の違いだけで値段に大きな差が生まれること。知識として知ってはいたけど、実際に数字を見てしまうと驚愕だった。

ワインリストに張り付く私の前で、友人は「好きなの頼みな」とそれだけ言って、ちょっとおかしそうにこちらを眺めた。神のように思えた。私ほどワインに興味を持っている人ではないけれど、お酒は間違いなく好きな人だった。食事にもある程度こだわりを持って、それなりのお金を払うことにも理解のある彼女の存在は、もの凄くありがたかった。せっかくだからさ、とかなんとか言ったところで、たかが飲み物代にこんなにも高いお金を払うことは理解できないと思う人だってそれなりにいるだろうから。目の前のやつの異常さに、そう言わざるを得なかっただけかもしれないけれど。とにかくそんな彼女の一声があって、私はとうとう夢のBrunello di Montalcinoをオーダーした。しかし、さすがの21歳。Biondi Santiには怖気づいて、Banfiのほうで落ち着いた。

でも、面白いことに、興奮はティスティングのひと口でそのまま高止まりしたことだった。

Brunello di Montalcinoは、Chanti Classicoで使われてるサンジョベーゼの変異種、サンジョベーゼ・グロッソっていう大粒で厚皮のブドウが使われてるんだよ、それから熟成期間はバローロバルバレスコより長い50ヶ月、と数日前に入れたばかりの知識をそのまま引き出し、得意顔になっていたところで例のボトルが運ばれてきた。試飲はどちらが?と聞かれて、すかさず手を挙げる。艶のある濃い紫色がグラスに注がれた。グラスを回し、香りを嗅ぐ。口に含んでいく。

ずっと飲みたかった、この一口。ああ、飲んだことない味だ。すごい。すごいけど。ええ、なんだろう…考えている最中で「ぶどう感すごいわ」と友人がぼそっと言い、え、待ってよと思った。いいワインである味なのは間違いなかったけれど、それがどのような味であるのか、うまく説明ができなかった。ぶどう感、そうか、そうなのか。また一口。最初の舌触りが柔らかく、まろやかなことにだんだんと気づく。でも、味の方がよくわからない。酸味が強いような。皮の感じがあんまり強くないかも。残像は7秒くらい。そんなところばっかりしか分からなかった。なにより純粋な美味しいという感想に、今あるわたしの感覚では変換されていかなかったことが悔しかった。ワインはそんなに簡単なものじゃない。真の意味でワインを知った、そんな夜だった。

追記: ビステッカはちゃんと美味しかったが、実際、私は終始ワインの方に頭がいっぱいで肉の味をほとんど覚えていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?