価値論から考える 人の価値 自分の価値
こんにちは!
対人コミュニケーションについて研究・教育をしている大学教員の今井達也です。
簡単に私の経歴を書きますと、青山学院大学で英語の教員免許を取った後、アメリカの大学院で対人コミュニケーションについて学び、博士号を取得。その後、某私立大学で対人コミュニケーションの授業を担当しながら、海外のジャーナルを中心に対人コミュニケーションについての論文を出版してきました。
(私の業績や教育活動などはこちらをご覧ください。Threadsはこちら。)
突然ですが
『あなたには価値がありますか?』
この問いに、みなさまはどう答えますか。難しいですよね。
人の価値ってどう考えればいいんでしょう。私も分かっていないので、一緒に考えてもらえると嬉しいです。
例えば、大谷翔平選手の年俸って、約2億8000万円らしいんですよ。もう訳わからん笑 つまり、大谷選手に対して、大きな価値が付随しているってことになりますよね。
あと、もっと身近な例で言えば、就職活動とかどうでしょうか。あれって、『社会人として、有用であるかどうか』を軸に、評価されるプロセスですよね。あれも、価値を見定められてるような気がするんですよね。
その人の社会的立場を考慮する人もいるかも知れない。『会社の社長である』『SNSでたくさんのフォロワーがいるインフルエンサーである』とかですよね。ということは誰かに影響を与えれば、人の価値が上がるのかな?
上記のような例は、哲学の一領域である価値論の中では『外在的価値』もしくは『手段的価値』と呼ぶそうです(色々読んだのですが、日本語ですっきりまとめられてたのがWikipediaだったので、リンク貼っておきます。学術的論文だと、この解説もよかったです。あと価値論難しすぎて、間違ってたらすみません)。
つまり、モノや人が『社会や他者にとって、どれくらい有用であるか、で決定される価値』のことを 外在的価値 と呼ぶそうです。
ここまで読んだみなさまは、当然疑問を持ったと思います。
『いや、人は産まれながらにして、価値のある存在だ』と。
そのような価値の種類のことを『本質的価値』または『最終的価値』と呼ぶそうです。『誰か や 何か にとって有用である必要のない、その存在そのものに付随する無条件の価値』のことを指します。
例えば、産まれたばかりの赤ちゃん。あの子達って、ただ泣いているだけで、周りの人達から可愛がってもらえる存在じゃないですか。あの子達が 何か や 誰か の『役に立つ』かどうかって、あの子達の価値には関係ないと、きっとたくさんの人は思うんです。
『そこに存在してくれているだけで、価値がある』
と思ってもらえるのが、赤ちゃんという存在ですよね。
そこで、私が疑問なのが
『どの成長の段階で、人は自分の価値を見積もる時に「自分は存在しているだけで価値がある存在である」という要素を忘れてしまうのだろう』
というところです。
人の本質的価値(存在しているだけで付随する価値)って、成長するにつれて、減るわけないと思うんです。減ったら本質的価値じゃないので。そして、子供って、ある程度の段階まで、その理由なき自己価値を、認識していると思うんですよね。
でも、例えば「成績が悪かったから、自分は駄目だ」とか「また失敗しちゃったから、自分はすごくない」とか、思う段階がくるんだと思うんです。
つまり「条件付き自己価値」(何かがうまく出来た時だけ、自分の価値に自信が持てる)の意識が高まってくる、と思われます。
上記のことに関連して、下記のデータを見てください。
これはこども家庭庁が行った「我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査」(令和5年)の結果です。日本の若者(13-29歳)に関して、自分への満足度が、他の比較国と比べて、一番低いことが分かりました。そして、残念ながら、国が行うこの手の調査では、日本はいつも一番低いという結果が出ています。
本来、人は産まれながらにして本質的価値を兼ね備えているはずなのに、どこかで価値の市場原理に巻き込まれ、自己評価の際に外在的価値に重きを置きすぎ、自分の価値を低く見積もっているのでは、と想像しています。
さて、自分の思う自己価値は、本当に他者や社会からの評価に、影響を受けるのでしょうか?
心理学のある研究郡は、自分の認識する自分の価値(自尊心:Self-Esteem)が、外在的価値(他者評価)に影響を受けることを示唆しています。
著名な心理学者、Dr.Learyは、自己肯定感についてこう説明します。「自尊心とは、自分という存在が他者に肯定的に評価されていると感じられているかどうかを示す装置である」
つまり
『自分は他者から高い価値を感じてもらっているんだ』と思えれば、自尊心は上がる 可能性がある(状況によるが)』ということになるかと思います
そして、日本人がそのような「他者からの評価」を自己評価に関連付けてしまいがちだ、ということを示唆する調査結果もあります。
以下の調査結果の一部を御覧ください:
一番左にある、日本の「自分自信に満足している」というスコアが、自己有用感(自分が他者にとって、どれだけ役立てるか、貢献できるか、という認識)に影響を受けていることが見て取れます(残念ながらこの調査方法では因果関係ははっきりとは分かりませんが)。
つまり、自分に対する満足度が、「自分が他者にとってどれだけ役立っているか」という認識に、ある程度依存している、ということが示唆されています
そのような影響は、比較国である、アメリカ、韓国、フランス、では見られなかった、とのことです。
当然、この調査だけで、結論づけることは到底できません。しかし、私達がいかに、自分の価値を考える時に、他者や社会からの評価を気にしているか、が垣間見える調査結果だと考えています。
個人的には『自分の価値を、他者や社会からの評価と自動的に関連付ける、という思考の癖』をどうにかして、緩和したいなあ、と思っています。というか、そういう発想を無自覚に肯定する社会を変えたい。所属する社会グループと結びつけて、人を一方的に悪く評価する偏見や差別の問題や、社会的に『美しいとされる』見た目を持っていない人は、価値が低いとするようなルッキズムの問題、もゆるく繋がっていると考えています。
この癖は、人間の『社会化』によって、徐々に植え付けられていくものだと思います。例えば、小学生同士でさえ
『〇〇さんは、△△が出来ないから、入れてあーげない』
というやり取りをします。そのようなことを言われた子供は『自分には何かが足りていないから、好きだと思ってもらえないんだ』と無意識に考えるでしょう。
中学生や高校生も、成績などで順位を付けられますよね。その結果、他者との比較を通して行われる、自分の相対的価値を意識するはずです。実際に、勉強の成果と自己観に相関関係があることを示す研究のまとめ(メタアナリシス)もあります(相関関係なので、因果関係は分かりません)
大学受験、就職活動、結婚などのライフイベントを通して、私達の人生は、いつでも誰かや社会に評価され続けることになります(『あの人はあの大学に落ちた』『あの人はあんな仕事をしている』『あの人はあの年齢で、まだ結婚していない』など)。
だからこそ、『人間とは他者の評価とは全く独立した、別の価値を備えている、つまり本質的価値がある』ということを意識するような発想が必要だと考えています。(と同時に、人を不条理に評価する社会も変えていく必要もある)
つまり、先程述べた
『自分の価値を、他者や社会からの評価と自動的に関連付ける、という思考の癖』
をうまく緩和し、他者や社会からネガティブな評価を受けても、自分の存在意義を見失わないような働きかけをしたい、と考えています。個人的には、研究・教育で、子育てで、そいうことが実践できたら、と考えています。そして、人の有用性を人の価値と混同させてしまうような、社会のあり方も変えていきたいなあと思っています。
みなさまは、自分の価値について考えたことがありますか?
補足1:私は 勉強、入試、就活 などのプロセスで発生する、『競争』自体を、強く否定している訳ではありません。ライフイベントにおいても、自分が望んでいる生活を、他者がしているのを見て、羨んだり、自分も頑張ろう、と思う気持ち自体も不可避なものだと思っています。しかし、それらの競争において避けられない他者からの否定的な評価、を自己価値に結びつけないトレーニングや発想の転換が必要では、と考えています。
補足2:アメリカの小学校に通う子供たちを見ていると、学校では結構、徹底的に『あなたはあなたのままで素晴らしい!』という暗示をかけられているのを感じます笑 廊下では鏡が置かれていて、そこを子供が覗き込むと『あなたはすごい!』とメッセージが書かれていたり、自分のユニークネスを強みに変えてくれる仕掛けが多いです。自己に対する本質的価値の考え方において、学校教育の重要さも感じています。
補足3:宗教の役割も気になっています。キリスト教のこと、本当に勉強不足なんですが、考え方の一つに『人は産まれもって、価値がある存在である』というものがあるそうです。他者や社会とは離れた場所で、自分の絶対的価値をリマインドし続けてくれる、宗教の機能などにも興味があります。
補足4:その他関連する概念としては、『人権』という概念は近いと考えました。人権とはすべての人が生まれながらに持つ、平等で基本的な権利のことです。人権は国籍や性別、宗教、文化などに関係なく、すべての人が享受すべきもの。この発想は、人の本質的価値に近いものを感じます。
補足5:幼少期の親とのコミュニケーションが大きく影響するとされる、『愛着』と自分で認識する自己価値の関連も検討する余地があると思っています。愛着のスタイルと、自尊心には関連があることが分かっています。人にとって最初に、そして一番長くコミュニケーションをすることが多い親という存在。人が自分に認識する本質的価値において、その影響は大きいと考えています。
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