【書評】鈴木 健:なめらかな社会とその敵-PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論-
□読んだ本
なめらかな社会とその敵 ――PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論 (ちくま学芸文庫 ス-28-1),鈴木 健 (著),2022/10/13
□内容
「なめ敵」という略称で,1年ほど前にYoutubeなどのメディアで,特に,成田悠輔氏や,落合陽一氏との対談など,色々と取り上げられていたらしいが,私は知らなかった.
本書のタイトルにもなっている,”なめらか”とは,0か1かといった離散的な仕組みで考えずに,温度など連続的に変化するものを社会の仕組みに使おうという話である.そうすれば,会社や大学,家庭など所属であったり,職業に対して,よりグラデーションを持った多様な状況を生み出せるのではないかと本書では考えられている.
この本で提案されているアイデアの根幹部分は,価値伝播のシステムである.以下では,それを提案するにあたっての問題意識と,その改善アイデアとして導入される価値伝播システムについて要点を挙げて考えてみる.
*現状の問題点
この本の問題意識を私なりに要約してみると以下のようなものだ:
これまでの貨幣での取引は,一時的な価値の授受であって,近接的な相互作用(バケツリレー)でしかなかった.このために,社会的ネットワークにおいて,実際には価値を生み出し,重要な役割をしているはずの孫請けなどの労働者まで,金銭が回らず,元請けが膨大な利益を保持するといった問題が生じている.それが,現代のピラミッド型の中央集権的な官僚制を生み出してしまって,現代の行き詰まりを生んでいるのではないか.この問題はバケツリレーのように貨幣が伝播する仕組みしか持たないことが起源ではないか.
というわけで,この本では,貨幣の持つ取引の仕組みの問題点,バケツリレーしかできないことを否定し,価値伝播システムの導入を提案している.
*貨幣伝播システム
この本では,以下のように貨幣の価値伝播システムがモデル化されている.
ここで3人$${A, B, C}$$の取引を例に挙げよう.
$${A}$$が製品,サービスなどの何らかの価値を$${B}$$に提供した場合に,その対価として,$${B}$$は$${A}$$に報酬を支払う.この$${A}$$のサービス提供に由来する報酬の直接の流れを$${E_{B \to A}}$$と記述しよう.
これは通常の取引であるが,価値伝播システムの面白いのはこのあとだ.
$${A}$$による価値提供によって,$${A-B}$$間の取引が発生した際に,その関連取引が他でも行われるほど,$${A}$$にもその取引に応じた価値が伝播されるようにモデル化されるのである.
$${B}$$が$${A}$$から受け取った製品を用いたサービスを$${C}$$に提供したとする.この時,$${C}$$から$${B}$$は報酬$${E^{A}_{C \to B}}$$を受ける(上付きの添字$${A}$$は$${A}$$によるサービス提供がこの取引をもたらしたとするラベリング).ここで,価値伝播システムでは,この報酬に対して,$${A}$$にも報酬$${P_{C \to A} = E_{B \to A} E^{A}_{C \to B}}$$が伝播(Propagate)すると考えるのである.
つまり,$${A}$$はトータルで以下の貨幣を受け取ることになる:
$${E^{A} = E_{B \to A} + E_{C \to A} + P_{C \to A} + P_{B \to A}}$$
$${= E_{B \to A}(1 + E^{A}_{C \to B}) + E_{C \to A} (1 + E^{A}_{B \to C})}$$
ここで,$${A}$$は$${C}$$に対しても同様にサービス提供を行なっており,$${A}$$によるサービス提供をもとにして,$${C}$$から$${B}$$へのサービス提供が行われていることに注意せよ.
また,この本ではモデリングを簡単化するために,$${A}$$によるサービスの伝播が作り出すネットワークを取引の人的ネットワークに置き換えていることにも注意(上付き添字$${A}$$をなくすことに相当).この操作によって,$${E_{ij} = E_{i \to j}}$$のように書けば,価値伝播行列$${\bold{E} = (E_{ij})}$$が得られる.
この本では,これを伝播投資貨幣,PICSY と名付け提案している.また,現在の投票システムの代替案としても有効なのではないかと提案している(これを分人民主主義,Divicracyと名付けている).
以上が,この本のアイデアの根幹部分だ.
この本の内容は私の力量では,このノートでは,とても語り尽くせないくらいにしっかりと広範な文献を引用しながら書かれている.人間や他の生物による社会性,さらに,人間が進化していく中で生み出した技術革新,特に,インターネットによる社会変革の推移,またその思想など,随所に文献を引用しながら考えている.このように大局的な視点で捉え,問題は何かを明確にして,それに対する(一時的にでも)何らかのアンサーとなるアイデアを提示する試みは,学んで問う,まさに学問の試みなのだと改めて感じた.
*パラレルワールド
この本の後半では,Vennevar Bush による "As we may think"(Atlantic Monthly, 1945)に注目する.
この文献は,インターネット革命によって情報化社会と呼ばれる社会構造が生まれ,それがどのように発展していくのかを深く先見的に考察した文献だという.この文献やその他のを度々引用しつつ,話が進んでいく.
ロールプレイングゲームのように現実の仕事をシステム化,引き継ぎされ始めるのではないかという考察がなされる.
一部の企業などでは,そのようなシステムが導入されていて,Todoリストをクリアするごとに経験値,ポイントが入るように設計されているらしい.
このような現在の社会にゲームの楽しさを取り入れる取り組みが,パラレルワールド性の1つとして紹介されている.
*社会契約論
社会契約論(社会,特に政府,と個人の結びつき方)についても,ラッセルの用いた対比を引用して議論されている:
ロック(各個人の集まりによって運営される社会との契約という立場)と
ルソー(社会からの要請が常に優先される立場,極端に言えば,個人は政府が4ねと言えば,4ななくてはならないというもの.)
を対比させて議論している.著者はロックに賛成とのことだ(もちろん私も).ただ,ロックは理想的だが,現在の政治では,官僚制に基づく法と秩序,軍の問題など,ルソー的要素が発生してしまうのは確かだろう
(この部分に対する私の疑問:それぞれの国という枠組みは何のためにあるのだろうか?ルソー的要素はない方がいいのか?それがない社会システムはどんなものになるのか?結局は両要素のバランスが大切?).
この本の最後には敵味方の対立,区別をなくし,グラデーションとして捉えることができるのかを考察している.
□読んでみての意見と感想
私自身読んでみて,貨幣システム,投票システムなどといった社会システムに関するアイデアを提供していて面白かった.また,科学,哲学や人文社会学に関して広い分野から引用を行いながら語られていく,例えば,生命とはどのような物理的なシステムなのか,人間という生物種と現在の社会システムの考察(中央集権的官僚制の問題提起),また人間以外の生物との関わり合いの見直しについて(例えば,イルカやクジラからも意見を伺う必要があるのではないか)など,斬新かつ新鮮なアイデアと知識の奥深さを感じられた.現状のエッセンシャルワーカー,インフラ業者,農業者といった末端の労働問題などの,労働者問題や,資本家であっても資金繰りの行き詰まりといった経済全体の流れの悪さの問題なども,これらのシステムが一部でも導入されれば良い方向か悪い方向かはわからないが,何か変わるかもしれない.
ただ,私はこの価値伝播システムについては単なるプロトタイプのアイデアでしかないと思っているし,アイデアとしては面白いとは思うが多くの問題点や不明瞭さ,実装に関する問題が残っていると思う.
例えば,暗号通貨などを利用するにしても,ネットワーク上の取引履歴をどう追い続けるのかや,動的にコネクションが変化するネットワークをどのように貨幣に取り入れるのか,膨大な計算量の問題などがパッと浮かんだ.また,そもそも暗号通貨などを人々が使いたがるのか問題も残る.さらに,この価値伝播システムでは人的ネットワークにおけるコネクションが多い人(いわゆる人付き合いが上手い人)ほど富が集中するのではないか(つまり,現在よりも人的資本による格差は増し,多様性がより消失しかねないのでないか)などの問題も起こるように思う.もちろん,この本でもこれらの問題点に関するさらなる研究,試行錯誤が必要だと語っている.一部のオンラインゲーム内での1つの仮想通貨として導入してみて実験して試しながら改善などするのがまずは良いとの提案も行われていて,その通りだと感じた.
どのようなシステムも利点と欠点はあるであろう.であれば,現行の貨幣や投票システムとともに,ここで提案されているシステム,その他の多様なシステムが共存し,互いに個人が使い分けながら生きていく状況というのもいいのかもしれないと感じる.それは,仮想通貨や,様々なポイントなどがもっと力を持った状況とも言えるかもしれない.このシステムが正解なんてものは世の中にないのだろうし,1つのシステムに絞る必要もないはずだ.むしろ,できるだけ,多くのシステム,メディアが存在することが大事なのだろう.
あと,余談ではあるが,新たなシステムやソフトウェアをプレゼンするのに,PICSYや,Divicracyといった造語はとてもキャッチで有効なのだろう.ただ,難しい言葉,知らない言葉が出てくることは,一般的に受け入れられるのにも困難がありそうだと感じる部分もある.
また,私を含め,理系の科学者肌を持つ人間の悪い癖だが,突っ走って,これが正解だ!と思い込む癖がある.これで視野狭窄に陥って,その前提に必ず存在する,取り込みきれない部分,欠陥や欠如に無意識に蓋をしてしまう.この悪い癖がこの本でも多少は出ている感じもしていて,自己反省もした.
この本では,数理的なモデルを通して,社会実装可能な新たな貨幣システムのアイデアを提案している.このようなアイデアを私も含めて,多くの人がどんどん出していくような試行錯誤が大事だと感じている.また,ゲームなどでいろんな通貨システムが試されるのが良いのかもとか,すでにある色々なポイントシステムや,ゲーム内でのポイントの流れなどを見直していくと面白いのではないかと新たな興味が湧いた.
ただの自己満足でまとめた読書ノートではあるが,もしも,これを読んでくれた読者が,少しでも学問をしてみようと思えたなら嬉しい.別に学問をするのに,本来ならば,わざわざ難しい言葉を使う必要もないし,わざわざ難しい本をわざわざ読む必要もないはずだ.さらに言えば,限られた所謂"賢い"人でなければ学問ができない理由はないはずだ.先に触れた通り,システムにこれが正解なんてものはないはずだ.できるだけ多くのアイデアや,実装が行われて,互いに自分に合ったものをグラデーション的に選べる方が豊かだろう.あなたのアイデアがそのための一助になれるかもしれない.例えば,普段の生活への疑問や,社会との関わりに興味を持って,自分も調べてみよう,考えてみよう,試してみよう,何か書いてみようなど,そんなことを思ってくれたら幸甚だ.
#読了日
24.08.21
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