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五感を味わうアンテナを立てて過ごした休日。そこで行き着いた考え




五感をしっかり味わうと決めて過ごした日。


自分にアンテナを立ててキャッチしようと決めて
日曜日を過ごした。


なーのーに
ついつい子どもの言葉を軽くスルーしようとする自分に
何度も気づく。

おいおいアンテナどこいった

と、なった私はそこから
子どもが私に話しかけてくる言葉を
一旦は自分の心に入れてそこから
私の心を通して出た言葉で子どもに返すってやってみた。

これ、毎日常にやってたら
すごいことだと思った
丁寧に子どもと関わるってこういうことかなって思った

嬉しい、楽しい、ドキドキした
ハラハラした、そうやって心が動いた時
そのことをちゃんと言葉で伝える。
あとでじゃなく、その時に。


言葉を交換したからこそ気づけたお互いの気持ち。



娘がフライドチキンを夜に食べようかって話してきた時
私はこう考えてた
『娘、今歯がグラグラしてるからチキンに
かぶりつけるのかな?』って。

でもさ、いつも心で思っても私言葉にしてないなって
そこで思ったの。
だからちゃんと口に出してその言葉を伝えた。

そしたら娘が輝く笑顔で教えてくれたんだよね
『ふふ、今私も歯のこと考えてた笑』
って。まさか同じこと考えてたなんて
思わなかったんだよね私。
言葉を交換して初めてわかるんだよね
言葉にしてよかったなって思った。
こんなことさえ言葉にしなかったら
気づけないんだよね。
『同じこと考えてたね』って二人でゲラゲラ笑った
日常の幸せってこういうことだと噛み締めた。



自分の中におごりがあると気づいた。


私から生まれた命。毎日一緒にいて
何を考えてるか私ってすっかりわかった気でいるんだよね
我が子だし、みたいなおごりがあるって
こうして意識してみるとすごく痛感した。

家族だけど自分とは違う人間だってこと
当たり前なのに
忘れかけてるんだよね
こんな当たり前のことが私
できてないんだなって。
ちゃんと心に置いておきたい、置いておかないと、と感じた。


こう『だろう』でやり過ごす弊害。


我が子はこう思う『だろう』
だろうのまま終わらせてあえてわざわざ
確認することは少なかった。
確認しないと
同じこと考えてたねなんて笑い合えないんだな。

『だろう』『だろう』は積み重なり
いつか気づいた時には
目の前の子どものことは見ずに
自分の中の想像の我が子とやりとりをしている
そんなことが起きると思った

こんなに毎日そばにいるのに
心は遠くにある可能性があると思った

そんな親子になりたくないのなら
やっぱり私は当たり前のことができていなかった自分を認めて
我が子は自分とは違う人間なんだってことを
心に置いておく。

毎日会うことができて
大好きだってことを簡単に伝えることができる
いつでも抱きしめることができる。
今そんな日常が当たり前だけど
これは当たり前なんかじゃない。

反省。


いつも一緒にいるからつい、話さなくてもわかってくれてる。
話さなくても相手はきっとこう思っているんだろう
今きっとこれが言いたいんだろう。と
コミュニケーションを取らなくても、
分かり合えた気になってること。
私、すごく多かったなと大反省。

近くに居すぎるし、
我が子だし蔑ろにしても許されるんだと
自覚はなかったけど
思ってたんだな。

別々の心と体を持った存在を
丁寧に味わおう、楽しもう。

触れ合う感触を楽しんで
どう感じたかを言葉にして交換する。

『だろう』で終わりじゃなく
言葉に出して相手に伝える。
相手も『だろう』と思ってるかもだけど
そこで終わりじゃなくて言葉にする。


同じ言葉でも満足感が違う。


娘と昨日手を繋いだ時
娘:あったかいね
私:あったかいね

って言葉を交換した。
表面でもそんな言葉は交換することができる。

でも、あえてちゃんと自分の手の感触に
注目してみる。
温かい、小さい手、柔らかい、この感触。
娘の表情。

全部味わって心に落とし込んでから
『あったかいね』って言葉を返した。
同じ言葉なんだけどね。
私の心の満足感が表面の言葉を返した時とは違う。


わざわざ言葉にしなくてもいっか とか
きっとこうだろうって
家族にしまくってるなってこうして
ツラツラ書いてきて気付かされたのは。。。


他人を蔑ろにしていることに気づき、更に気付かされたこと。

自分に対して一番
それをやっちゃってるんじゃないかってこと。

何かの出来事があった時
感じてるのよね心は。
でもそれを見て見ぬ振りしたり
感じてないふりしたり
フィルターをかけて
こうであってほしいと自分を思い込ませたりしてる気がしてきた


だって本当の気持ちをしっかり感じてしまったら
それに向き合って味わってしまったら
落ち込んだり悩んだりも増えて
それがめんどくさいから。
感じてないふりをする。

アンテナを立てて感じてるものをキャッチできる自分でいる。
携帯見てると現実逃避が簡単にできるんだよな。


五感とは


五感とは・・・
・視覚
・聴覚
・嗅覚
・触覚
・味覚

携帯を通して視覚では
味わえるものはなくはないと思うけど
目の前の世界に目を向けることの方が
大事だなぁと思った

毎回のように私は携帯依存症だって書いている気がするけど
今回の五感を意識した休日を通しても
携帯に目を向けてばっかじゃ
目の前の子どもは見えてないぞと感じた。

子育てで改善したい出来事は日々何かしらあって
それについて
こんなアプローチしてる人もいるとか
こんな声かけしてる人がいるとか
調べてるとさ(私は基本インスタで調べるかな)
そうするとどんどん違うものが流れてきて
つい見ちゃって全然違うこと調べてたりするんだよね
そんで私見てるだけじゃ覚えないから
記憶にインプットされてない。

調べたいことがあってそれについて
タメになったなと思うなら
こうしてブログにアウトプットするとか
紙に書くとかしていくのが良さそう。
話それたw

五感を味わって
自分とは違う心、身体を持った家族や周りの人とのやりとりを
味わって楽しもうって書いてきたけど

結局最後に行き着いた私の答え。


最後に行き着いたのは
そうです。
魂と心が今ひとつになって
私として存在してる。
自分のこの命を感じること。
私が私の五感を使って味わい
それをまた別の存在に言葉や行動で伝える

感じたものをキャッチできる自分の心の状態でいることも大事だ。
疲れてるのに知らないふりしない。
立ち止まって自分を観察する。
自分に聞いてみる。
まずは自分だなぁ。

そこに余裕がなかったら
感じてることに気づかないし
ましてやそれを言葉にして
誰かに伝える余裕なんてないんだよね。

この魂と体で生きていられる今の尊いことにも気づく。
我が子としてその心と体で生まれてきてくれた存在にも
感謝が込み上げてきた。
周りの人だってそうだなあ
出会ってくれてありがとうございますだねほんと



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