見出し画像

【サンプル】透明なリボンで結んで

11月23日開催 文学フリマ東京に出展します。
スペース:サ-33 水色バンビ
イベント詳細はこちら
新刊は、別々の学校に通う見た目も性格も反対な二人の少女の物語。

---------------------------------------------------

彼女の手は、文庫本を持つためにある。
ほっそりと長い指が本の背に沿って回り込み、親指は優しく表紙を支えている。そんなありふれた仕草からわたしは目が離せなかった。
 四月。入学式へ向かうバスでのことだ。
 急勾配を上るバスの窓から平凡な団地と桜並木を眺めていた。コンクリートの建物が道路を挟んでドミノみたいに並んでいる。わたしが生まれるより前から立っているであろう棟々はすっかりくたびれていて、洗濯物のかかったベランダが三分の一ほど。ほかはおそらく空室だ。
この辺りから駅に出ようとすると、どの方角へも二十分はバスに乗らなくてはいけない。スーパーやコンビニへ行くにも坂を上るか下りるかしなくては行かれない。学校見学に数回訪れただけのわたしにさえ分かるほど不便な場所だ。
人気がないだけに団地は一層物質めいて見えた。ドミノみたいだ。いまにも倒れてしまいそうで、なのにきっちり並んでいるというだけで妙な安定感がある。
大きなドミノの間を高校生ばかりをぎっしり詰めたバスが通っているのだった。
もしも桜が手を取り合うように枝を繋げて並んでいたのなら、灰色のドミノもミュージックビデオにありそうな、ノスタルジックで美しい光景に見えただろう。
実際には木と木の間隔が広いのでイマイチ迫力がない。代わりに棟の間から青い空がすっと立ち上がっているのがよく見えた。眩しいほどの陽が道路へまっすぐに通っている。
右耳のイヤホンを耳の奥へ押し込んだ。何度も聞いたギターのイントロが流れ込む。続くのは口笛を思わせるような、少し高めのハミング。鼓動をリズムに並走させる。つい口遊みたくなるのを抑えて、爪先を小さく揺すった。
 中学校へは三十分歩いて通っていた。完璧にわたしの足の形を覚えた白いスニーカーで三十分。
 今日からはチョコレート色のローファーがわたしの足を覆う。まだ足のほうが辛うじて付き従っているというかんじだ。
十五歳の足は驚くほどやわで、頼りない。踵の皮膚なんてもう負けようとしている。がんばれ、わたしの足。口の内でエールを送って爪先を上げると、靴は窓から射した光を一粒蹴飛ばした。

 坂の途中でバスが停車する。乗客のおよそ半分が降りた。
〈県立立花高校前〉
 私が降りる停留所のひとつ手前だ。
 バスを降りた学生たちは横断歩道を渡り、上ってきた道を引き返すように下っていく。
 アスファルトを跳ねた陽の欠片が真新しい制服の繊維を滑って、紺色のジャンパースカートやジャケットがピカピカひかって見えた。
 歩道を染める影は濃い。暑そうだけれど、顔をしかめている生徒は誰もいない。誰もが朗らかな顔をして、新入生という音を全身に響かせて歩いている。
新入生、新入生、新入生
 わたしからも同じ音が鳴っているだろうか。
サクラ色のシャツに腕を通してからずっと、スキップしそうな気分でいる。心が取り出して晒せるのなら、きっとシャツと同じ色をしているにちがいない。だってわたしも新入生だから。
窓越しでもわかるほどに血色良い頬の女の子と目を合わせて、わたしはにこりと笑った。ガラスの表面で彼女も笑う。
ピカピカの一年生。シャンシャンと鈴が鳴るように誰より騒々しく鳴っていた。
 私の学校は立花高校の先にある。県立桜ヶ丘高校。地図上ではお隣さんだが、偏差値では天と地ほど差があった。
 坂の頂上に学校があるので「バカと桜は高いところが好き」なんて言われている。いつから言われているかは知らないけれど地元暮らしの父も母もこの文句を知っていた。
「まったく、花純は暢気すぎるわ」
母はこめかみを抑えて言う。
「それが花純の良いところなんだから」
父はそう言ってコーヒーを啜った。
母はわたしではなく父に向けて芝居がかったため息をついた。
母の心配も父の慰めも、おなじくらいピンとこなかった。賢い人はうまいこと言うなと思ったくらいだ。
そんなことよりもグレーのジャケットにチェックのプリーツスカートが可愛いことのほうが重要だった。もしも立花高校の入試をパスできたとしても、ふたつの制服を見比べたら、ちょっと迷ってしまうだろう。
暢気なわたしはスクランブルエッグにケチャップをかけて気予報を聞いていた。
坂を下っていくのは、わたしとは違う、暢気ではない人たち。
そう思うと同じ高校一年生のはずなのに彼らがまったく違う生き物のように見えるのだった。水族館で鰯を眺める気分に近い。
 光のなかを鰯の群れが泳いでいく。たしか、こんな絵本があった気がする。小さな魚たちがひと固まりになって、大きな魚のかたちをつくる。でもあれは、赤い魚だったっけ。
そんなときだ。
 ぼんやりした視界に飛び込んできたのは、ひとりの女の子だった。真っ直ぐな黒髪を風にあそばせながら片手に文庫本を持ってあるく女の子。
 鞄も靴も服もほかの生徒と同じなのに、彼女だけがどこか違った。背だって高くも低くもない。紛れてしまうくらい。それでもわたしはその子を見失わない。
 その子は目に見えない透明なヴェールを纏っていた。歩くたびにヴェールが揺れて空気がまたたく。
まるでヴェールの裾からほつれた糸が心臓に絡みついたように、目が離せなかった。
 それからわたしは毎朝彼女を探してしまう。

---------------------------------------------------

『透明なリボンで結んで』
A5 28ページ 300円

当日は新刊のほか、
・既刊『うそつきのきつねのはなし』(サンプル
・合同誌『待ち合わせは喫茶店で』
などの既刊も持ち込む予定です。

どうぞ、よろしくお願い致します。

この記事が参加している募集

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?