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もしも、ガンかもしれないものが消えたのだとしたら。

ちょうど2年ほど前、突如として乳がんと診断された。そして、同じ年の秋に手術を受けた。その後、半年ごとに反対側の検査を受けている。

3回目の検査と結果

先日、術後3回目となる検査を受けた。今回は、殊のほか心配だった。それは、2回目の前回(半年前)のマンモグラフィー検査で、新しい石灰化が見つかり、「次回の検査結果によっては、生体検査(組織を取る検査)をしましょう」と言われていたからだ。それからの半年間、頭の片隅にずっと灰色の不安が棲みついていた。

そもそも2年前の乳がんは、初めて受けたマンモグラフィー検査で石灰化が見つかり(おそらく大丈夫だろうと言われたのだけど)、生体検査をしたことで判明した。告げられた瞬間、頭の中がぐらぐら揺れて世界が遠くなった。

それとまた同じことが起こるのでは、という不安も当然あったけれど、それ以前に、生体検査そのものが憂鬱だった。

生体検査は、針を体内にぐいっと刺して、中から組織を切り取る。検査が進むと針も太くなり、まるでドリルで身体を削られているような感覚になる。痛みや傷跡も嫌だけれど、それ以上に、そんな乱暴に細胞を傷つけたら健康な細胞さえ病気になるのではないか、あるいは、小さく留まっている(そっとしておけば危害を及ぼさない)がん細胞が広がってしまうのではないか、という疑念が頭から離れなくなる。

そんな陰鬱な気持ちで迎えた今回の検査。まずはエコー検査。仕切られたカーテンの中に入ると「この半年間、もっと自分の身体を労わっておけばよかった」と急に後悔の念が湧く。テスト用紙が配られてから「もっと勉強しておけばよかった」と思ったり、プレゼンで人前に出てから「もっと準備しておけばよかった」と思ったりするのに少し似ているかもしれない。検査中、技師は何も話さない。無言で、無表情で、装置を動かす。ただ、その動きから「何かある」ことが何となく読みとれた。その時、自分の身体から「大丈夫だよ」という声が聞こえた。もちろん、空気を震わせる「声」ではない。でも、しっかりと耳に、脳に届く、子供のような声。自分でも不思議なのだけれど、病気が見つかってからこの声は時々聞こえるようになった。

次に、マンモグラフィー検査。撮影が終わると、画像を見た技師から「何か治療をしました?」と聞かれた。質問の意図を掴めずにいると、技師は「前回の石灰化が無くなっているんですよね。治療したわけではないんですね?」と首を捻った。「その部分の追加撮影する予定だったんですけど・・無いもの撮っても仕方ないですし・・お終いにしましょう」。そうして検査は終わった。これまで何度となく受けた検査で、技師から検査指示以外の言葉を掛けられたのは、これが初めてだった。

そして1週間後の検査結果。主治医は、エコーではやはり気になる所見があるけれど、マンモグラフィーでは前回あった石灰化が見られなくなったから、また次回まで様子を見ましょう、と言った。そうして懸案だった生体検査は、回避となった。

もしも、消えたのだとしたら

技師も、主治医も、石灰化が無くなったことについて、はっきりと説明できない様子だった。インターネットで検索すると、良性なら消えることがある、という情報もあったので(医師は、悪性なら消えることはないという言い方だった)、これは良性で、たまたま前回は出現のタイミングで、今回は消滅のタイミングだった、ということなのかもしれない。

たまたま、タイミング。

でも、そんな偶然で、ドリルで身体が削られるかが決まるなんてたまったもんじゃないな、とも思う。

でもやっぱり、これはたまたま、だったのかもしれない。やや悲観的に考えれば、何かが見逃された可能性も否定できない。それでも、身体に何らかのダメージを及ぼすであろう生体検査を受けずに済んだことで、この半年間の出来事にまるごと感謝をしたい気持ちになった。そして、もし特に何かが作用したとすれば何だっただろう、と考えた。

思い当たることは3つあった。1つは、畑を借りて有機野菜作りを始めたこと。2つめは、新しいヨガに出会ったこと。3つめは、野口整体の教えを受け始めたこと。

1つめ、野菜作り。ちょうど前回の検査を受けた頃、自宅近くに畑があることを知り、一角を借りて野菜作りを始めた。有機・無農薬の、安心安全な野菜を食べることはもちろんだけど、むしろその過程の自然と向き合う時間、自然から受け取るパワーが、身体に何らか良い作用を及ぼしたのではないかと感じている。

2つめ、ヨガ。旧友(赤木香苗)が、NYとインドでのヨガ探求の末に、日本でヨガ・セラピーを始めた。その10日間のオンラインセッションに参加して、自分の心・身体・頭と向き合う、その声を聴く、というのがどういうことなのかが初めてわかった気がした。これまであまりに自分の声を聴いてこなかった自分に気づき、涙が出ることもあった。その後は、朝ヨガや、リアルのクラスにも参加している。

3つめ、野口整体。その彼女に、病気のこと、前回検査から、なすすべなく次の検査を待つだけの状況にあることを話したところ、紹介されたのが野口整体の教えを継ぐ整体師だった。偶然にも自宅から徒歩圏内で、すぐに連絡をとり、訪ねた。野口晴哉氏が創始した野口整体は「今行われているほとんどの整体の始祖的存在といって過言ではない」と言われる。それから定期的に身体を見てもらい、様々な指導を受けている。

自分の身体と向き合う

半年前、主治医から「新しい石灰化が見られる。次の検査結果によっては生体検査をしましょう」と言われたとき、それまでに自分で何かできることはないのか、と尋ねたが、何の回答も得られなかった。何もないはずはない、と納得はできなかったけれど。

次の検査まで、何の拠り所もなく、不安だけを抱えてただ待つことは、しんどくもあった。努力できない、というしんどさ。病院では何も言われないので、最初は仕方なく、マンガ「はたらく細胞」(第2巻)のひとコマを拠り所にしていた。笑うことで体内のNK細胞が活性化し、がん細胞をやっつけるシーン。それを頭でイメージしながら、なるべくストレスを溜めない、ストレスの源に近づかない、できるだけ楽しく過ごす、それを唯一の指針としていた。

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でも、検査日が近づくにつれ、不安は増した。その頃、仕事ではそれなりの重責を担っていて、「はたらく細胞」を拠り所としたストレス・フリーな生活を送るのは、そう簡単ではなかった。

そのタイミングで、ヨガ・セラピーと出会い、「自分の身体と向き合う」ことを学び、自分の身体の変化を感じ、そして、何もせずただ時が来るのを待つのではなく「何かできることをやってみよう」と思うようになった。検査まで2ヵ月を切る頃。

そして、畑で自然に触れ、野菜の成長に寄り添い、時々ヨガをやり、整体に通い、整体師の先生の数少ないシンプルな(もっと水を飲みなさい、とか本当にシンプルな)教えに従った。それがどう作用したのかは、誰にもわからない。けれど、検査日をただ待つだけではなく「自分の身体と対話しながら何かしている」ということが、自分の心を、それと繋がる身体を、支えてくれたように思う。

病気になってしまった後は、病院を頼らざるを得ない。けれど、その手前には、まだ解明されていない大きな領域が広がっていて、それは、私たちの生活にとても大切なものなのだと感じる。そこには(ヨガや整体を含む東洋医学とよばれる領域を中心に)たくさんの研究結果があるのだと思う。けれど、いずれにしても「こうすれば良い」という単純明快な答えはなくて、自分の心の声を聴く、身体の声を聴く、自分を信じる、そんな地道な積み重ねから、自分の答えを一つずつ拾い集めていく。きっとそういうことなのかなと、この半年間を振り返って感じている。


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