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例えば学校に行かないことで学ぶ「人生のカタチ」

どうもどうも。
さて、今日はいきなり今回のテーマについて。
それは「自分の人生のカタチ」を見つけること。

「人生のカタチ?」 それは一体なんぞなもし?

そこには修飾句を足して、「楽しく生きるための自分の人生のカタチ」でも良いかもしんない。
要するに、自分がどんなふうに生きたいか、というよりも、さらに言えば「自分に合った人生ってどんなものだろうか?」「自分はどんなふうに、どんな場所で生きると良いんだろうか」ってなことを漠然と意識するってことです。
どんなふうに生きたいか、というよりも、どんなふうに生きるとうまくやれるか。辛くないか。楽しいか。

だから、これは「夢」を持つ、とか、有意義な人生とは何ぞや、とかっていう「高尚」な話とは別のことです。具体的な職業選択の話とも違う。

例えば、極度に人見知りで他人とコミュニケートを取るのが非常に不得意な少年がいたとして。
その少年にとって、大学に進学して会社員か何かになって、大規模な組織の中でいろいろと人間関係のストレスを溜め込みながら生きていくのって、幸せな人生でしょうか?
いや、大多数はそんなの我慢して「大人」として生きてるんだよってのは判りますが、判った上で、あえて言うと決して幸せじゃないですよね? 少なくとも「極度に人見知りで他人とコミュニケートを取るのが不得意」な人間にとっては。

まして、その少年が単なる人見知りどころか、「皆と一緒」的な共同性や同調性に従うのが、極端に苦手だった場合。
やっぱり「フツーの会社員」になるのが幸せだとは思えない。
でも、じゃあ彼にとって「幸せな人生のカタチ」はどんなものなんだろうか?

そういう「どういうふうに生きるのが自分に向いているか」「どんな人生を送ると自分はけっこう幸せか」って問いと向き合うことって、10代の少年少女にとって、いやそれどころか30歳くらいまで、人間にとって大切なんじゃないでしょうか。
そして、そうした問いに気づける「経験」が必要なんじゃあないかな?


ホントに恥ずかしながら、個人的な話をします。あくまで一例として。
ここでも以前に書いた通り、はるか「いにしえ」の話ではありますが、僕は中学2年以後、不登校に陥り、一般の高校生活を送ったことがありません。
では、もし僕が不登校という状況を経験しなかったら、どうなっていただろうか?
こんな「 if」は、はっきり言って無意味ですが、時折、想像することがあります。

現在の僕は、おそらくリアルの僕を知る人から見れば、比較的快活で人付き合いもよく、何よりよくしゃべるオッサンという印象でしょう(え、そんなことないって?)
まあ相変わらず「鬱気味」の時は人に会うのも嫌な性格ではありますが(自分では「ゾンビモード」と呼んでます)、少なくとも比較的「明るい」、イマドキの子の言葉で言えば「リア充」です。幸い家庭も持てましたしね。

でも、少なくとも少年時代の僕は、全くそんな性格ではありませんでした。
先の言葉でいえば、常に「ゾンビモード」全開でした。

人見知りが激しく、何事をするにも自信が持てず、他人に「嗤われる」ことを恐れて、かえって「笑われる」キャラを演じるようなタイプの子どもだったのです。

そんな僕がもし「不登校」に陥らなかったなら。
今と同じような人格になっていたでしょうか?

おそらく、なっていなかったのではないかと思います。

「不登校」に陥って以来、しばらくの「冬眠」を経てから、「外の世界」に出た後の僕は、自分と合わないような人間とは一切、付き合ってきませんでした。自分と波長のあう、価値観のあう少人数の仲間とだけ青春を過ごしました。仲間は「変わり者」と呼ばれる連中ばかりでした。
そもそも「大規模」な集団に属したことはありません。大学や大学院には長々と通いましたが、ご存知の通り、大学は集団生活を無理に行う場ではありません。それぞれが個別に学び過ごす場です。

「自己肯定感」という言葉があります。
これを養うには養育環境その他の要因があるでしょうが、僕の場合は、これら10代の時分に仲間と過ごした経験も大きいように思う。
僕は、それら小規模な集団、「変わり者」たちと過ごすなかで、「こんな自分でも良いのだ」と感じることができるようになりました。
学校に通っていた頃、翌朝を迎えるのが嫌で嫌で眠れなかった僕が、初めて「明日はこんなことをしよう! 彼と、彼女と、こんなことをして遊ぼう!」と翌日を待ち遠しく思えるようになりました。

そして、漠然とながら学んだことがあります。いや、少なくとも、後日了解できたことがありました。
僕が自分に自信がなかったのは、「学校」という共同性を強く求める大規模集団に属していたからなのだ、と。
他人にうまく合わせることができない、(おそらく多動的傾向があったために)人の話を最後までちゃんと聞けず、他の子どもたちと同じ行動が取れない。そんな子どもだった僕にとって、学校生活は自信を失う出来事の連続だったわけです。

そういう場所から身を離すことで、僕は自分がどんな人間で、どんな人生を生きるべきかを、ゆっくりと、しかし着実に学んでいくことができました。

自己を肯定する心を養うとともに、自分にどんなことが向いているか、どんな場所で生きていくべきか、徐々に徐々に、人生の「カタチ」を見出していったのだと思います。

もちろん、これは僕のケースです。
「不登校」という経験が特別に必要だと言いたいわけでもありません。人によっては、一見「平凡」に見えるかもしれない学生生活を楽しく過ごすのも良いでしょう。
ただ、どんな青少年時代を送るにせよ、その中で、自分がどんな場所で、どんなふうに生きていくのかを見つけていくことは大切でしょう。

それは「夢」を持つこととは、全く別のことです。
そうではなく、自分にあった人生を模索することです。


お、なんかビミョーに当たり前なことを書いている気がするな。
誰だって人生模索しとるわい、って感じもする、、、

でも、ね。
実はこんなことを書いたのは、やっぱり今、自分を「平凡」だと見なせない子どもたち、ある種の「挫折」を感じているかもしれない子どもたちと、その親御さんのことを考えているからなんです。
僕の耳には、本当に、本当に、毎日のようにそうした「悩み」の声が届きます。

いま、実際に「不登校」を経験している子どもたち。
子どもの「発達」に関して、なんらかの心配を抱えていらっしゃる親御さんたち。

彼・彼女たちはひょっとすると、お父さんやお母さんと似た人生を送ることはないかもしれない。就職はしないかもしれない。大学にも行かないかもしれない。
しかし、彼・彼女は、その現在の境遇に悩みもがく中で、自分の人生の「カタチ」を見つけようとしているのかもしれません。
自分自身と向き合う中で、人生を生きるための「チカラ」を養っているのかもしれません。

そして、そうした誰の人生とも似ていない「自分の人生を生きる」ことができたなら、それは彼・彼女にとって幸福なことに違いありません。


今でも、僕は「小規模な気の合う仲間」としか、仕事をしていません。
そして、ヒルネットという、かつての自分と同じかもしれないような子どもたちが集える場所も作りました。

ヒルネットに来る子どもたちが、「こんな自分でもいいんだ」と思えるようになってほしい。それが僕の今の願いです。

それでは、それでは。

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記事をご覧いただき、ありがとうございました。以上の記事は2021年3月に、個人ブログ「喧々録」に掲載したものを改稿・編集したものとなります。

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