仕事を通じて考える「あなたの価値」

こんにちは、tomoyaです。

みなさんは「金は命より重い」という言葉を聞いたことがありますか。
有名な漫画「カイジ」に出てくる言葉です。

今回は、派遣を通じて「あなたの価値」について考えてみたいと思います。
なぜ私たちは私たちの価値を知らなければいけないのか。
それは私たちが少しでも多くのお金を、少しでも少ない時間で、少しでも少ない労力で手に入れる必要があるからです。


リソースという考え方

私は、多くのお金を手に入れることについて考えるときに重要な着眼点は「リソース」だと考えています。
リソースとは資源を意味する言葉で、今回は私たちが使うことのできるものを指します。「私たちが使うことのできるもの」とは、「私たちが持つ有限で交換価値のあるもの」を指します。

難しい言葉からスタートしてしまいましたが、シンプルにお話しすると、私たち各個人が持っているものは大きく分けて3つ。
時間、お金、労力です。

私たちは基本的に時間と労力を使ってお金を手に入れています。
フルタイムと仮定すれば時給制にせよ月給制にせよ一か月の8分の1くらいの時間は仕事に割いているはずです。少なくともですが。

では「収入を増やしたい」と思ったときにどうすればいいか。
まず多くの人は「長く働く」あるいは「多く働く」ことを考えるでしょう。これはさっきの話で言えば時間のリソースを使ってお金を得るという発想になります。
良いとか悪いとかの話ではなく、私たちは基本的に時間を使ってお金を得ているのです。

もちろん労力も影響してきます。時間を拘束される場合、その間ずっと仕事をしているわけですから労力は並行して消費されます。
ただ、これは仕事の質によるでしょう。
どういうタイプの仕事で、どれくらいの量をこなさなければいけないのかによって労力の消費量は変わります。わかりきったことですが。

ではこういったケースではどうでしょう。
あなたは前日にお酒を飲んでいて、それはさほど多い量ではなかったはずだが、翌朝起きてみたらとても仕事ができるとは思えないほどの吐き気と頭痛に襲われている。このままでは仕事を休むほかない。
仕事を休むことは上司に連絡を入れれば簡単にできることだが、休んだ分の給料は発生しない。(有休はまだ発生していないか使い切っているものとする)
このとき、もしも歩いて1分のコンビニに
「15分で二日酔いが覚めるドリンク」
が1000円で売っていたらどうだろう。あなたは買うだろうか。

私は、「間違いなく買うべき」だと考えている。ドリンクの効き目がたしかなら、一日分の賃金のために迷わず飲むべきである。

これはいわば、「1000円払うことで一日分の賃金を得ることが出来る」状態である。単なる二日酔いなのであれば、吐き気と頭痛が収まればあとはいつもの状態である。仕事の日に飲まない手は無い。
そんなドリンクがあるなら私は休みの日でも飲みたいくらいだ。

私が伝えたかったのは、「お金」というリソースを使って「お金」を得るケースがあるということだ。

万が一「二日酔いのために1000円のドリンクを買うなんてもったいない」と言い仕事を休んだとしたら、それはとんでもない判断ミスである。
ここまで読んだ人の中にそんな判断をする人などいないはずだが、これが
・現実の場合で、
・「二日酔い」じゃなくなったりすると、
この判断ミスをおかす人が結構出てくる。「無駄な節約」のような、かえってマイナスになる判断をする人たちを実際に何人か見てきた。

体調管理、交通アクセス、仕事のアイテム、効率化のサービス。そこに投資するだけで明確にそれ以上のリターンを生んでくれるものは意外と多い。
しかしそこに適切に投資をできる人は意外と少ない。

昔の話だが、学生時代に付き合っていた彼女がマクドナルドでアルバイトをしていた。当時のマクドナルドの店舗の一部はシフトを最低1時間から組むことで人件費を最適化していた。(もっとも「最適化」というのはあくまでマック側の視点のみであって、従業員たちにとっては稼ぎづらいだけでしかなかったはずだが)
彼女もわずか1時間のシフトのために片道30分かけて通勤していた。時給は800円。移動時間を入れたら拘束時間に対して発生する賃金は時給400円である。出かけるまでの準備も入れたらもっと目減りする。
しかし彼女に不満げな様子はなかった。「行けば800円得られる」ことしか頭にないようだった。(通勤は定期の範囲内だった)
学校が休みの日は近所のスーパーでバイトする、マックのシフトは最低3時間以上で組んでもらうように交渉するなど、当時でもできることはあったはずだ。若い彼女に求めるのは酷かもしれないが。
このあたりのことは私たちも常に考えていかなければいけない。

職場と自宅の距離も考えるべきことだ。
居住地はその人が生活していて最も幸せな土地に住むことが望ましい。
ただ、”そこにしかないもの”が無いのであれば、職場と家は近いに越したことはない。時間のリソースが増えるし、家が遠ければあるとき帰宅できないリスクやタクシーを使わなければならないリスクも出てくる。台風や地震などによって仕事を休まざるを得ないリスクも出てくるだろう。その日の給料が補償されない可能性だってある。

「電車の中で本を読んだり勉強をしたりするから」という人もいる。それはそれでいいだろう。ただ、勉強する人は家が近くても勉強する。勉強することもできるし勉強以外のことをすることもできる。選択肢が増える。
体調がすぐれなくなったときに家が近ければすぐに療養できるが家が遠ければ帰宅にかかる時間を縮めることはできない。十分な療養ができなければ翌日出勤できないケースも当然出てくる。

私の知る限りでは少なくとも私のエリアではかなり広い範囲でくくっても家賃はほぼ変わらない。電車で40分以上離れても変わらなかった。そして職場から交通費が出るとは限らない。家の場所が悪いせいで選べない仕事も出てくる。
また年齢を重ねると通勤自体で消耗してしまう。パフォーマンスにも影響が出るし、シンプルにQOL(生活および人生の満足度)に直結する。
そういった意味で、リモートワークができる仕事が最適な可能性もある。

労力については多くを語ることは不要だろう。
時給が同じだとして、キツイ仕事であれば6時間しか働くことができないが、楽な仕事なら8時間働けるということは往々にしてある。
あなたにとって負担の少ない仕事を探すのもお金を増やす方法のひとつだ。使う労力が少なければ、8時間とられたあとも週に何日か3~4時間のアルバイトができるかもしれない。キツイ仕事ではそれができない。

また加齢によって使える労力のリソースが減っていくことは考えておいた方がいいだろう。労力のリソースが減ると時間のリソースが減る。時間のリソースが減ると金を稼ぎづらくなる。
だから長期的にはスキルアップも視野に入れなければいけない。スキルアップをするのも労力と時間のリソースがいる。無駄遣いは避けたい。

結局、私たちの生活はそういった1日分の賃金や1万円の給料の違いの積み重ねで大きく差がついていく。月に2万円の差しか出ないとしても、年間にすると24万、5年で120万だ。5年後に目の前に120万がボンと置かれる人生と置かれない人生、どちらをとるかだと私は思う。

時間と金

タイムイズマネーという言葉を聞いたことがない人はいないだろう。
時間は金と同じくらいの価値があり、それほど時間は貴重なものだという意味だ。
たしかにうなづける。そして実際に私たちは時間と金を交換している。
しかし、時間→金の交換はできても、金→時間の交換ができるケースは限られている。その意味では時間の方が価値が高い。

ただ、こんな言葉もある。「金は命より重い」
この言葉の意味するところは、ひとりのエリート会社員が小学生のうちから塾に通って一流の会社に入社し20年勤めあげ、ようやく積み上げることのできる金が1000万円という金であり、ひとりの人間がそれまでの生活のすべて=人生を捧げて手元に残る金額がようやく1000万という金であるという説明である。
そうなるともはや、金は命より重いのであると。
(これはカイジの作品の中で限定的な条件のもとで使われた言葉である)

しかし私は異を唱えたい。
金が重いか命が重いかは、金をどれだけ持っていて、命がどれだけ残っているかによる。

命とは何か

私には両親がいる。幸い健在だ。ただし高齢者でもある。
私がこどもの頃は金の無い両親だったが、こどもが一人立ちし、共働きの生活をしている中で蓄えができたようで、最近はいい歳したこどもたちに小遣いを寄越すようにもなった。
それと同時に、私たちとともに時間が過ごせることを心底よろこんでいる。祖父母の墓参りに誘えばよろこぶし、夕食だけでもと一時的に帰省すればとてもうれしそうにする。
彼女たち(両親)は、もう目先の金よりも自分たちに残された時間の方が貴重なフェーズ(段階)に突入している。比較的健康とはいえ人並みに持病はある。いつ人生が終わってもおかしくないのは世の中の高齢者たちと同じだ。

つまり彼女たちにとって、「時間」とは「命」なのである。

そもそも人生自体が有限な時間の中で繰り広げられるドラマであり、それが高齢になると顕在化してくるだけで、
最初から・生まれたときから・私たちにとっても「命」とは「残り時間」なのである。

私はある時期まで親孝行を勘違いしていた。多くの金を稼ぎ、仕送りをして楽な生活をさせることこそが親孝行だと思っていた。いまだにそれができないままでこんなことを言うのはお門違いかもしれないが、高齢者にとって最も貴重なリソースは金よりも時間なのである。
その意味では「残された時間は金よりも重い」。程度問題でもあるが。

両親と会える残り回数

私の知人がこんな計算をした。毎年正月に1回実家に帰るとして、10年かければ10回会える。しかし両親があと何十年生きるだろう。仮に20年は生きるとしよう。あと20回しか会えない。
「20回」という数字が「この人生で両親に会える残りの回数」として眼前に突き付けられたとき、心臓に電気が走るほどの焦りを感じたという。
「自分はもう両親に20回しか会うことができないのか。生まれたときから高校卒業まで毎日顔を突き合わせて一緒に生活していた両親と、あと20回会えば永遠の別れになる可能性がある。もちろん20回以上あるかもしれない。しかしもっと少ない可能性だってある。
その知人はその年から春と夏も無理やり帰省して両親と会う回数を増やすようになったという。幸いご両親とも健在のようだ。

先にも書いた通り、金を稼ぐことを目的とした場合の私たちのリソースは「時間」「金」「労力」である。
しかし時間と金は距離が近い。親和性があるというか交換性が高い。労力は明確に数値化しづらい部分がありこの3つでは少し離れたところにある。しかし確かに存在することを忘れてはいけない。特に時間のリソースに影響を与える部分があり、軽視すべきではない。

このリソースを、どのように使っていくかが重要なのである。
仕事を選ぶ際に交通費や通勤時間を時給計算に入れるべきというのは過去にも書いた通りだが、いわゆる仕事以外にも副業のようなものを見つけるのか、ゆくゆくは個人事業主として独立を目指すのか、経営者になって他人の時間と労力を金で買うのか、それによって私たちの収入は大きく変わっていく。
どこに向かってどう振り分けていくかはよく考えなければならない。

ここまでで説明できなかったこともあるが、私の意見をまとめると、
「時間」とは「命」であり、
「金」とは「自由」であり、
「労力」とは「愛」である。
このことを意識してみるだけで日常の景色が変わって見えるだろう。


最後に本題に戻る。派遣におけるあなたの価値とはなにか。
働ける時間(時間の長さ・時間帯)、スキルと成長性、体力と健康。
もちろんそれぞれが案件に見合うレベルであれば必要以上に高い(多い)必要はない。最低限あればいい。

スキルは必要ないが10時間拘束の仕事、労働時間は短いがスキルを求める仕事、勤怠は不安定でもいいが実績を求められる仕事(またはその逆)、いろんな仕事がある。
私はいまだに派遣の転職サイトを毎日見ているが、案件は山ほどあるし種類も条件もそれぞれに違う。勤務開始時間ひとつとってもバラバラだ。あなたが9時~18時のフルタイムで働けなくてもあなたに合った条件の仕事はきっとある。必ずあると言ってもいい。

あなたが使えるリソースを無駄撃ちすることなく日々の生活を積み重ねていくことで、あなたの収入は上がっていくはずである。
あなたが求めるならば。

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