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【お薦めの一冊】 健康とは何か?の問いに答えられない方に / 「からだとこころの健康学」 稲葉俊郎

今まで多くの本を読んできました。

その中には、私の人生に良い影響を与えてくれた本が沢山あります。

そんな本の感想を書き留めておくことで、私自身の備忘のためにも、また、これを読んで下さった方の本選びにも、少しでもお役に立てばと思っています。

1.健康とは何かについて

本書は、健康とは何かについて、いわゆる西洋医学的な観点からだけでなく、伝統医学などの視点も踏まえて、私たちに問い直し、解説してくれます。

分量もあまり多くはありませんので(紙の本で約100ページ)、1〜2時間程度で読み終えることができます。

また、その分値段も比較的安く、購入し易くなっています。

2.著者 稲葉俊郎氏とは

著者の稲葉俊郎氏は医師であり、東京大学医学部附属病院循環器内科の助教を経て、現在は、軽井沢病院総合診療科の医長をされている方です。

専門は循環器内科で、心臓の治療を行うカテーテル治療などを特に専門に行なっていたようです。

現代医学を学び、臨床医として実際に勤務されている方ですが、本書では、現代医学だけでは説明することが難しい健康に対する考え方について、東洋医学などの伝統医学の観点も踏まえて分かりやすく説明してくれます。

3.健康には、客観的かつ絶対的な唯一の基準はない

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皆さんが「健康」と言われて思い浮かべる状態はどのようなものでしょうか。

「大きな病気や怪我の無いこと」

「健康診断で異常が無いこと」・・・

怪我や病気の有無や、健康診断の数値などは、一見客観的に見える基準のようですが、そもそも「病気」とは何かといった点について明確な基準を設けることは簡単ではありません。

また、健康診断の血液検査の数値でも、正常値とされているのはあくまで平均な人にとっての正常な数値であり、それより少し外れていても身体の状態に何ら異常の無い人もいます。

逆に、正常値の範囲内でも身体に異常をきたしている可能性も否定できません。

このように考えると、「健康」について、全ての人に一律に当てはめられる客観的かつ普遍的な一律の基準があるわけでは無いことが分かります。

4.健康は、各人が主体的に決めるもの

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このように、健康について、客観的かつ普遍的な一律の基準があるわけでは無い以上、健康とは、個々人が自分の基準で主観的・主体的に決めるしかありません。

例えば、健康診断で各診断の数値が正常値内であっても、その人がずっと体調が悪いと感じていれば、それを健康と思う方はいないかと思います。

また、目に見える怪我や傷がなくても、慢性的にストレスを受けているような状態も健康とは思えない方がほとんどかと思います。

さらに、同じ人にとっても、健康と言える状態は年齢によっても異なるかもしれません。

例えば、学生時代の健康とは、放課後、激しいスポーツを数時間継続できる状態であるかもしれませんが、70歳を迎えてからの健康は、日常生活において不自由なく体を動かすことができる状態かもしれません。

このように、健康とは、究極的には、自分がどのような状態でありたいかを、自分自身で決めることに他なりません。

5.「あたま」だけでなく、「からだ」と「こころ」の声を聞く

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それでも、いきなり健康は各人が主体的に決めるものと言われると、どのような状態を健康の基準として意識すれば良いのか分からない方がほとんどかと思います。

ただ、その考え方はとてもシンプルです。健康とは、各人が主体的に決める以上、各人のからだ・こころに聞けば良いのです。

以下で具体的に説明させて頂きます。

(1)人間は、あたま・からだ・ここをの3つの機能を持っている

人間は、あたま・からだ・ここをの3つの機能で成り立っています。

「からだ」は、文字の通り、我々の身体です。自身の目で見える手足はもちろん、外側からは見えない内臓なども身体の一部と言えます。

「こころ」は、我々の本能的な気持ちです。「あたま」は論理的に物事を考える理性に近いですが、「こころ」はより本能的な感情です。例えば、恋に落ちた時に、その人のことしか頭で考えられなくなる、無意識に目で追ってしまうなどが「こころ」の反応です。

「あたま」は、脳で考えることです。計算・比較・分析・計画などの理論的思考です。理性とも言えます。

(2)あたまが、からだとこころを押さえつけてしまう

このように、人間は、あたま・からだ・こころの3つの機能があり、本来であれば、そのバランスを上手くとって我々は生きています。

しかし、近年は、人間は「あたま」の支配が強く、「あたま」が、「からだ」や「こころ」を押さえつけてしまう傾向があります。

例えば、「からだ」がとても疲れていて休みたいと思っていても、「あたま」が「明日までにこの仕事をしなければならないので徹夜しよう」といって「からだ」に無理をさせることもあるでしょう。

「こころ」がこんな理不尽な仕事は耐えられないと思っていても、「あたま」が「でも会社を辞めたら路頭に迷ってしまうので、ここは耐えよう」と言って「こころ」に無理をさせることもあるでしょう。

そのような状態が続けば、「からだ」や「こころ」が耐えきれず、ストレス性の蕁麻疹やうつ病などといった形で現れます。

もっと日常的で単純な例を挙げれば、私たちが普段食べている食事は、本当にお腹が減ったから、つまり、「からだ」が求めているから食べているのでしょうか。

「お昼休みは昼食を取る時間だから」、「7時頃に夕食を食べるべきだから」といったように「あたま」で考えて食事をとっていることも日常茶飯事ではないでしょうか。

そもそも、人間以外の動物は、「あたま」の支配がそこまで強くなく、「からだ」や「こころ」の声に従って本能的に生きています。

つまり、「からだ」や「こころ」の欲求とは、いわゆる本能であり、生き残る・生命を維持するという究極的な目的のためにシグナルを発していると言えます。

つまり、「からだ」や「こころ」の発するシグナルに耳を傾けることが、生命維持のためのシグナルに耳を傾けること、すなわち、最低限の健康を維持することに繋がるのです。

「あたま」の支配が強すぎる人ほど、すなわち、合理的で理性的な人ほど、「からだ」や「こころ」の声に耳を傾けることが少なく、自分が決めた規則や原則、世間の目を意識することにこだわり、「からだ」や「こころ」、つまり本能が求めていないことを行なってしまう傾向があります。

6.からだ・こころの声を聞く方法

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現代社会では、合理的で理性的であることが求められるため、どうしても「あたま」の支配が強くなり、「からだ」や「こころ」の声が押し殺され易くなってしまいます。

それでは、そのような「あたま」の支配から逃れ、「からだ」や「こころ」の声を聞くためにはどのようにすれば良いでしょうか。

本書で挙げられている方法を私なりに纏めると以下の通りです。

(1)快・不快を意識する
(2)からだの感覚を大切にする
(3)こころの感覚を大切にする
(4)違和感を表現してみる

(1)快・不快を意識する

発達心理学では、人間が最初に学ぶ情緒は「不快」であると言われています。

それほど、人間にとって「快・不快」は本能に近い感情であると言えます。

例えば、温かい湯船に浸かった時に「あぁ〜」と無意識に声が出てしまうのは、まさにからだ・こころが心地良いと感じている証拠と言えます。

このように、「あたま」で考える快・不快ではなく、「からだ」や・「こころ」で感じる快・不快を意識すると、本当に「からだ」や「こころ」が求めているものが分かります。

どのようなことをしている時に「からだ」や「こころ」が心地良いと感じているかを意識し、それを大切にしてみて下さい。

(2)からだの感覚を大切にする

例えば、今、皆さんの呼吸は早いでしょうか、ゆったりとしているでしょうか。

また、心臓の鼓動は早いでしょうか、ゆっくりでしょうか。

身体に痛い所はないでしょうか。

そのようなからだの感覚を感じ取ることも重要です。

このようなからだの感覚は、あたまではなく、からだが感じている本能的な反応であり、そこから、からだが今の状況を望ましいと感じているか否かが分かります。

からだの感覚を感じ取る方法として、実際にからだを手で触ってみることが大変効果的です。

例えば、胸を実際に触ってみると、想像以上に心臓の鼓動を感じ取ることができるでしょう。

また、お腹に手を当ててみると、呼吸を実感でるはずです。

馬鹿らしい行動かもしれませんが、実際にやってみると「からだ」の声を感覚的に感じ取ることができます。

「ご飯を食べる時間だからご飯を食べる」ではなく、「本当にお腹が減っているのか意識してみる」

(3)こころの感覚を大切にする

こころの感覚を大切にするとは、すなわち、あたまで理性的に考えるだけではなく、本能的な感情を大切にするということです。

人間は、好きや楽しいといったポジティブな感情は素直に受け入れやすいですが、ネガティブな感情、例えば、イライラ・悲しい・嫌いといった感情は、それを避けようとして、あたまで押し殺そうとする傾向があります。

例えば、悲しいことがあっても、「悲しいのは自分だけではないので、我慢しなければならない」と思ったり、嫌いなことに対しても「本当は嫌いだけど、周りの雰囲気を悪くしないために、好きと言っておこう」といって「あたま」が感情を抑えるける傾向があります。

ただ、そのような感情こそ、大切にする必要があります。「あたま」で押さえつけて無視をするのではなく、そのような感情を素直に受け入れ、自分が本当は何が嫌いなのか・悲しいのかを知る必要があります。

(4)違和感を受けとめる

違和感とは、まさに、からだやこころが、本能的に何かおかしいことを感じ取っている状態です。

からだの違和感は、「何かお腹の調子が悪いな」といった程度のこともありますし、こころの違和感は、「何か楽しくないな」「何かやる気が起きないな」といった程度のこともあります。

ただ、そのような違和感こそが、からだやこころの不調を本能的に私たちに伝えようとしているのです。

そのような違和感は、あたまで簡単にやり過ごすこともできますが、きちんと受けとめ、なぜそのような違和感を感じるのかを考えてみると、自分が本能的に何を望んでいるのかを知るヒントになり得ます。

7.病気で無いことだけが健康ではなく、病気であっても健康になり得る

以上の通り、本書では、健康とは各人が主体的に決めるものであり、そのためにも、「あたま」だけでなく、「からだ」や「こころ」の声を聞く必要があると教えてくれます。

健康とは各人が主体的に決めるものである以上、必ずしも病気で無い(健康診断での各種数値に異常が無い)ことだけが健康では無いはずです。

逆に、世間的には病気や怪我と言われる状態にあっても、ただ病気や怪我に身を任せ、打ち負かされるのではなく、その中でも「からだ」や「こころ」が本能的に求める声を聞くことで、自分にとってより望ましい状況や健康へのヒントが見つけられるはずです。

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

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